山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年06月30日(月) 今度はぎっくり腰?

朝起きるときに腰の按配がよろしくなかったのだが、ちょっとひねったのか突然激痛が走る。背中ではない。ぎっくり腰というのはやったことはないが、多分そのようなものだろう。腰にもだいぶ負担がかかっているはずだ。今日も一日寝ている羽目になる。

夕方になり、まだ寝ているところへ書道の佐藤先生がみえた。今年の本院展での入賞者のうち八戸連合会の会員のみデーリー東北紙上に載ったそうだ。佐藤先生ご自身が審査員部門で準大賞を受賞された。田面木クラブからは吉村さんが推薦を受賞された。そして今年は佐藤先生と吉村さん、内城さんで本院展ツアーをしたそうである。行きたかった。

職場の山本さんが本を届けてくださる。彼女の変わった趣味本のなかからリクエストしておいたものだ。楽しみである。早く読んでみたい。


2003年06月29日(日) 副作用その2

 今日も脊髄造影の副作用で頭痛と吐き気に悩まされ、ほとんど一日寝て過ごす。寝てばかりいるものだから腰まで痛くなった。
 工藤憲昌先生が見舞いに来る。バスケ部30周年の準備はしているのかどうか確認をされた。

 夕方には都市政策課の石黒さんが見舞ってくれる。みんなびっくりして心配しているとのことだ。


2003年06月28日(土) 看護師ランキング

 今日は看護師ランキングをつけてみたい。いつから看護婦を看護師と呼ぶようになったのか。女性は看護婦、男性は看護士と思っていたら、みんな含めて看護師と呼ぶようになった。男女の差別用語として変更されたのだろう。

ではランキング。

好感度ナンバーワン:岩谷真喜子看護師。岩手県出身24歳。八重歯のチャーミングな笑顔美人。

美形ナンバーワン:向山ルミ子看護師。MAXの一人を連れてきたような現代美人28歳。

さわやか系ナンバーワン:寺沢かおり看護師。私と同郷の舘地区出身。推定年齢24歳。

癒し系ナンバーワン:萬谷瑠美子看護師。大野村出身23歳。

これだとぜんぜんランキングではないが、私の個人的な好みで勝手にタイトルをつけてみた。他の病棟も回ってみたが、我が整形外科病棟が最も若くて粒ぞろいの女性看護師がいるように思う。

写真を掲載したところだが、これは実現しそうにもない。


2003年06月27日(金) 造影剤の副作用

 昨日の脊髄造影のためか頭が重い。しかもベッドの頭部に角度をつけて寝たためか首が痛い。寝違えた感じだ。

 午後北川秋男さんがお見舞いに来てくれる。上田さんから聞いたそうだ。
 石橋純二さん、佐々木隆二、澤田美智明、後村勉の諸氏が見舞ってくれる。デイルームでしばらく話をする。


2003年06月26日(木) 脊髄造影

 7時過ぎに大坪さんの携帯に電話してみるが、マナーモードになっている。朝食後9時過ぎに市役所の彼のデスクに電話する。小渡さんの奥様の実家がお医者さんだそうで、医療レベルについては八戸についてもかなり詳しいらしい。当初N赤病院に入院したと誤った情報が入ったので心配したが、市民病院の末綱先生なら大丈夫ということだった。N赤にはあまりいい医師がいないらしい。

10時過ぎに不在者投票をした。投票事務は病院職員が委嘱されてやるそうで、芝さんや津取場さん、教育委員会から移動した巻裕美さんらがいた。もうとても知っている人たちなので、ばつが悪かった。
午前の点滴が終了した直後に、なんと接待部長と妻神次長が見舞いに来てくださった。本来であればデイルームでお話をするところだが、今日はあいにく選挙の不在者投票のため伊に使用している。部屋で立ったままの会話となった。

今日は脊髄に造影剤を入れCT検査の日だ。午後3時にベッドごと検査室へ連れて行かれる。痛いと聞いていたが、先生がうまかったのかすんなり針が入った。造影剤を注入するとき腰にずしりと重い感じが伝わってきたが、その程度で済んだ。数枚X線撮影後、CTの予定だったが、CTの予約が思いのほか混んでいたため一旦部屋へ戻される。

ここからが長かった。3時半に戻ってCTに呼ばれたのが6時過ぎだ。この間困ったことが生じた。尿意をもよおしたのだ。妻から尿器を用意してもらうが出ない。とても溜まっているのに何度トライしても出ないのだ。自分自身横になったままするのは始めてである。そうこうしているうちにCTに呼ばれる。付き添った男性看護士に尿が溜まっていることを告げると、CTの隣の部屋で尿器をあてがい下腹部を押してみるがやはり出ない。20分間乗り切ってくれといわれ、CT検査に入る。「これが終われば導尿でもなんでもできるから。」CTの台に載ったとたんに尿意は激しくなる。全身硬直したままその20分間をこらえる。終了後検査技師たちが「よくがんばたったね」と声をかける。痛みをこらえていたと思ったらしい。必死にベッドに移り別室でまた尿器をあててもらう。もう限界を超えていた。勢いよく噴出する。看護士が「よかった、よかった」と安心する。私もえもいわれぬ開放感に浸った。

 ベッドに寝たままおしっこをするというのがこんなに難しいとは思わなかった。立ってするのと違い腹圧がかからないため、なかなか難しいのだそうだ。そしてもっと驚いたのはその量だ。一旦出始めたおしっこは止まりそうもない。どんどん尿器がいっぱいになってくる。ほとんど溢れそうになる寸前でやっとおさまった。普通の倍の量だそうだ。


2003年06月25日(水) 貯血


術後のため「貯血」ということをした。ようするに手術後自己血を利用するために採血して保存しておくらしい。献血のときと同様の機材を使用し、400cc採血した。成田先生も私の太い血管に驚いていた。さらに400ccがすぐに採血できたのに驚いたようだ。自分は献血マニアだから血の出も良いし、スピードも速いと自慢しておいた。

 採血後は補給のための点滴をする。途中痛み止めの薬と併せて2時間以上要した。点滴中に大坪さんからナースステーションに電話が入った。電話をくださいということだたが、点滴が遅くまでかかったのでこの日はもう電話はあきらめた。


2003年06月24日(火) 最善策とは

 朝の食事中にナースステーションに電話が入ったとのことで呼ばれる。大坪参事からだった。病状を心配してのことだ。脊椎に損傷があるというのは白血病の可能性があるということではないかと聞いたというのだ。骨髄腫らしいと告げると、小渡さんとか心配してくれていて、東京の専門の病院を紹介できると言ってくださっているらしいのだ。市民病院が良くないというのではなく、今選択できる最善の方法をとるべきではないかという提案をしてくれた。

結構一日中悩んでみる。


2003年06月23日(月) 慰霊の日

今日も快晴だ。6月23日は沖縄で実質的な戦闘が終結した日で、「慰霊の日」とされているそうだ。一昨日、娘から持ってきてもらったパソコンで今年1月に職場旅行で訪れた沖縄の写真を見たばかりだったので、「ラジオ朝一番」の「今日は何の日?」でこのことが紹介されたときは、景色が鮮やかに脳裏に浮かんだ。

午後から妻が両親を連れてきてくれる。定期的に病院へ通っているので、その途中、市民病院へ寄ったものだ。妻が父を車椅子に乗せて押して着てくれた。ニコニコして「しばらく」と言った父だったが、私の顔色があまり良くないと思ったらしい。でも2週間も病院に入ったきりだと青白くなるのも止むを得まい。逆に父はずいぶんと赤ら顔で血色の良さを感じさせた。
母は手提げ袋の中からいきなり封筒を差し出した。「少しだけど」年金暮らしの両親から見舞いのお金はもらいたくないが、「いらないよ」と言った時の母の顔がとても寂しそうだったので受け取っておくことにした。とりあえずは元気そうにしている私を見た両親は一安心した様子で帰っていった。

午後、娘とテレビでサッカー観戦をしていると、背後から
「山村さん、どうですか」
と成田先生に声をかけられた。動くときに痛みを感じるので、コルセットを着用していることを告げると、車椅子に座っている状態で両足を上げさせ、痛みがあるかどうか確認した。この形では痛みはない。先日の診断で間違いはないだろうということで、来週水曜日に手術と確認された。左肩付近の背中と胸を週箇所押して、この辺は痛くないかと聞かれたので、左脇の下付近を示して、このあたりが痛いと告げると納得したような顔つきをされた。ここも何かあるのかと再度訊ねると、やはりちょっとあるけれども化学療法に反応するやつだからそっちですね。ということだった。このあたりの骨髄も侵されているということか。


2003年06月22日(日) 晴天に気分爽快

夜明けは早いのに(今日は夏至)病院の朝は午前6時から活動を開始する。共同生活をしているため、時間のルールに従い、みなベッドの中でひたすら6時を待つ。日中も眠っているのだから、朝の目覚めは早く、この6時までの待ち時間がものすごく長く感じられる。しかし6時を過ぎ大きな窓のカーテンを開けると朝の光が差し込み、やっと長い夜から開放される。しかも今朝は雲一つない見事な快晴で、爽快な気分である。

ここ二三日新聞を買っている。金曜のデーリー東北の第1面には八戸市で構造改革特区の検討会が発足し、認証に向けて物流、幼保などの検討をはじめたという記事が載っていた。自分がいたら直接の担当でやていたはずの会議だなあと思い、どんどん先へ行ってしまわれるという焦燥感のようなものを感じ始める。新エネルギービジョン策定補助金の交付決定が20日ごろと聞いていたがどうなったのだろう。気になるところだ。

点滴後、ラジオでビジネス英会話を聞いているところへ、政策推進室の今野さんが見舞ってくれる。病状は室のみんなから詳しく聞いているらしい。彼も神経性胃腸炎で3回ほど一週間ぐらいずつ入院したことがあるらしい。見かけどおりに繊細な神経の持ち主のようだ。室の様子も聞くことができたし、楽しいひと時であった。


2003年06月21日(土) お見舞いラッシュ

部屋の窓からはちょうど新井田川に松館川が合流する地点が見える。今朝は白い紙袋をぶら下げた人たちの集団が土手を歩いていくのが見えた。川の掃除をしているようだ。新井田川をきれいにする会の活動だろうか。

今朝、夜行バスで着いたばかりのはずの娘が9時過ぎにはもう病室に来た。さっそく私のワゴンを乗り回している。電話でお願いしておいたパソコンも持ってきてくれた。メールをチェックしてきてもらったので確認してみると、たいしたものはなかったが、ケイコ・ボールドウィンさんという人からお礼のメールが来ていた。先月末に、スリランカ出張中の慶長さんからの依頼で、八戸氏周辺での就職先を探すお手伝いをしていたからだ。ワシントンDC在住のボールドウィンさんは、軍人である夫が三沢基地勤務になるため、三沢・八戸周辺で自分の専攻である物流戦略を活かした仕事につきたいとのことで情報を提供していた。

昼前、県庁へ派遣されている安原清友氏が見舞ってくれる。下水道事務所の工藤氏からメールをもらって知ったそうだ。わざわざ来てくれて本当にうれしい。県の文化観光推進課でとても忙しいらしい。それとは別にプロジェクトチームにも入っており、相当の事務量があるそうだ。病状については詳細に語っておいた。良く理解してもらえたと思う。また来て欲しい。

午前からコルセットを着用して過ごしてみる。背筋は伸びるがかなり苦しい。点滴もつけたまま横になりやってみた。寝るときは楽だ。午後にはやはり着けたまま午睡をとる。仰向けは特に楽になった。

昼過ぎ、松葉保育園の松田一園長(八戸市消防団舘分団副団長)、同小笠原雅子主任保育士、舘分団一班長根保満部長の諸氏が見舞ってくださる。今まで痛かった話で盛り上がる。病状については半分ぐらいにしておく。若干能天気な長根部長から話がそれていくとまずいので。


2003年06月20日(金) コルセットできる(別名:白糸縅)

11時過ぎ、農業振興課の岩澤さんが見舞ってくださる。岩澤さんは検査部門にいた巻厚子さんと中学の同級生であり先輩だ。市庁入庁の時には道路建設課でご一緒させていただき、とても心強かったのを覚えておる。地元舘地区出身者では信頼できる一人だ。つい先日まで仕事で農業振興課へ出入りしていたので、入院したと聞いて大変驚いたと言っていた。

午後コルセットが出来上がってきた。でも見て驚いた。これまで見たことがあるものは布製で金属の板をとことどころにいれたものしかなかったのに、今回の製品はプラスチック製だ。型合わせの時のものをそのまま製品視したのだ。体の型のとおりに硬いので、コルセットというよりはギプスといったほうが近いイメージだ。着用してみるとかなりきつく苦しい。これに慣れないといけないわけだからがんばるしかない。

16時過ぎ、階上町の佐京さんが見舞ってくれた。同級生なのでずいぶんと心配してくれた。病状をすべて教えてやった。彼とは漁港の仕事をしていた時代(平成4~5年頃か)に、八戸市と階上町が連携してよく仕事をした。出張も一緒に行ったし、酒も飲んだ。今は血圧も高くリウマチもあるそうだ。私の心配をするより自分の健康をケアしたほうがよさそうだ。


2003年06月19日(木) ナースコール

朝の検温の時におとといbiopsyを実施した際、背中の針の穴に当てたガーゼはもう取ってもよいのではないかと若い看護師に話したら、自分の知識としては実施日を含め2日で取ってよいはずだが、今日はベテラン看護師がいっぱいいるから訊ねてみて欲しいという。(でも私が訊いてみろと言ったことは内緒でネ)
点滴時に別の看護師に話したら、今度は明日傷の巡回があるからそのときまで待って、ということだった。いったいどーすりゃいーの?
結局午後2時を過ぎてから成田先生が「背中を見せてください」とやってきて、ベリベリと剥がしながら背中を押してみて、「シャワーをしても大丈夫ですよ。」と取って行ってしまった。

午前11時過ぎ、午前の点滴が終わらないうちに八戸高専バスケットボール部OBの上田正人先輩が見舞ってくれる。彼は脳卒中に倒れたとき、市民病院で予兆を見逃されたとのことで、市民病院を全く信用していないらしく、手術は労災病院のほうがいいのではないかとか、医者は若い方が体力があるから良いとか、散々自論を展開していった。(バスケットボール協会のほうはよろしくお願いしますね。)

向かいのベッドの患者さんの点滴が終了したため、ナースコールをしたところが10分たっても一向にくる気配がない。ボタンに手が届かない状態になっていたため、私のほうから再び呼んでやったらやっと来た。

ところでこのナースコールだが、ボタンを押すと向こうから看護師が応える。ほとんどが「どうしましたか?」あるいは「どうしました?」である。これはイントネーションによっては結構威嚇的である。年配女性の太い声で「どうしましたか?」はおっかない。ボタンを押すのに勇気がいるのだ。そんな中、何人か「どうなさいました?」という女性看護師がいる。これは優しいしとても暖かい。ナースは医療のスペシャリストであると同時にサービス業の提供者であるべきだ。(ちなみに、病院の格付けなどにこの辺は考慮されないのか)

パソコンのカタログを依頼していた古里電気商会の成民氏がお見舞いまで包んでやってきた。肝心のLet's Noteのカタログがない。再度依頼する。

夕食後、薬剤師がやってきて、点滴に使用している「ロピオン」という痛み止めの説明をしていった。点滴用の薬は提供用の情報がないので、類似の飲み薬の情報カードを持ってきて説明してくれた。

その後、田中光彦・ふさ子夫妻が見舞ってくださる、田中さんたちとはお互い結婚前からの付き合いだ。青少年活動に熱中していた時期があった。それぞれその活動が縁で結婚したようなものだ。今でも光彦さんと私は市庁郷土芸能保存会でご一緒させていただいているし、妻はふさ子さん経営の美容室「モンパル」にしばしばお手伝いさせてもらっている。光彦さんは豊崎町出身なので同町にある阿部医院の話で盛りがったし、ふさ子さんに紹介され通った鍼灸院「八正堂」の話題も出た。

買っただけでためておいた立花隆の本を持ってきてもらったので読み始めている。まず「脳を鍛える」東京大学での講義「人間の現在」(1997/6~1998/6)を一冊にまとめ2000年3月に出版されたものである。面白いがかなり難しい。さすがに東大講義である。

もう一冊、やはり2000年7月に出版された「新世紀デジタル講義」であるが、97年の講演がベースとなっており、up-to-dateなものではなくなってしまっていた。序章は「サイバーユニバーシティの試み」で、東大で行った講義を、ホームページを作成し掲載して公開するということを紹介したものだが、今どきこれはどこでもやっていることになってしまっている。


2003年06月18日(水) 浴室の使い方

朝一番で、妻にシャンプーをしてもらう。ついでに体も拭いてもらった。シャワー室は月、水、金男性、火、木、土が女性で、午前中が要介護者、午後からその他の患者となっている。風呂場の予約表に、その日になってから希望者が記入することになっている。

今朝は利用後、終了したことを示すために予約の名前を消しておくことを怠ってしまった。10時過ぎに点滴を始めた直後、別グループの看護師さんに
「山村さんシャワー室もう終わったんですか?ずーっと待ってるんですけど!」
と叱られてしまった。こっちのチームの看護師さんに話したら、
「大丈夫、大丈夫、心配しないで。別チームは関係ないから。」

今朝の点滴は長かった。2時間以上だ。せめて1時間で終わってくれないかな。
点滴の終了直前、池本智子さんが見舞ってくださった。妻の同級生で親友そして池本室長のお兄さんの奥さん。先週お母さん(義母か?)が入院していた時に妻を見かけたらしい。私の両親のどちらかでも入院したのかと思ったとか。でも私だったので驚いて急いで見舞いに来てくれたということだ。付き添ってくれている妻のことを私と同じくらい心配していた。
「なんにでも頑張り屋さんだから・・・」

昨日の検査で針を刺した痕を消毒するものと待っていたがなかなか呼ばれない。4時半になって看護師がみせてくれと言ってきた。Tシャツをパッとめくって「ガーゼが汚れていないから大丈夫」と言って帰ってしまった。なんだこんなもんだったらもっと早くみてくれたらいいのに。

夜の点滴を始めようというときに成田先生がみえられた。
「やっぱり悪い部分取ったほうがいいと思いますね・・・。手術の方向で考えていますので・・・。7月2日ごろにね・・・。神経圧迫してるしね・・・。痛いしね・・・。後でまた説明しますからね・・・。」


2003年06月17日(火) バイオプシィ

昨日着てくれた政策推進室の仲間との会話の中で、やはりパソコンは必須だという結論になった。最低でもメールができないとコミュニケーションが断絶してしまう。FM-LOOXかパナのLet's Noteが欲しい。今朝、下水道時代から取引のある古里電気商会にカタログを取り寄せようと電話するが留守電だ。時間を改めて電話してみよう。

点滴後、コルセットの型合わせがあった。妻が自宅に戻っていたので看護師に外来まで連れて行ってもらう。私の胴の型がプラスチックでできていた。なんとぴったりなことか。ガムテープで締め付け立ち上がってみる。座ってもみる。とても楽だ。末綱先生に確認してもらい作業終了。

午後3時から第10胸骨の組織を直接採取する検査だ。車椅子で検査室まで連れて行かれる。しばらく待つと、先発で検査していた隣のベッドの住人野呂さんが出てくる。入れ替わりに自分の番だ。末綱先生、成田先生のほか、今回も中学の先輩看護師厚子さんがいる。
「ちょっとは痛いけどがんばってね。」
と声をかけてくれる。

透視しながら針を骨に刺し、組織を採取するらしい。(バイオプシィ:biopsy)
「最初に局部麻酔をしますから。ちくっと痛いけど我慢してね。」
厚子さんが傍らで励ましてくれる。麻酔の注射は3ヶ所。3番目が最も効いた。押し広げるような痛みがくる。先生が背骨に何かを当てた。
「少し押されるわよ。」
強い力で背中を押される。次に先生の「ハンマー」と呼ぶ声がする。
「衝撃がくるわよ。」
ガンガンと音がしながら背中にショックが伝わる。枕にしがみつく。やっと静かになる。「もう一度」という先生の声が聞こえ、同様に繰り返される。「消毒」という先生の声で終了したとわかる。
「終わったよ。良くがんばったね。」
厚子さんが最初から最後まで優しく気遣ってくれ、成田先生に「私の後輩なのよ。」と紹介している。そうだ、彼女は僕らのマドンナだったんだよ。


2003年06月16日(月) 今日も検査なし

朝食後シャワーをした後今日は何もない。土曜日から検査も何もない日が3日続く。明日は背骨に直接針を刺して組織を採取し検査するらしい。痛いかな。でも、覚悟は既にできているのだから、早く手術でも何でもして、早く回復したい。

BSで「世界音楽紀行」をやっていたので見る。
オーストリア、ザルツカンマーグート地方はサウンド・オブ・ミュージックの舞台となったところだとか。美しいところだ。ぜひ行ってみたい、というより生活してみたいと思える風景だ。

先週、腰の手術をした山田さんはもうリハビリを開始している。さっきも午後のリハビリに出かけた。自分の場合、術後どれくらいで動けるようになるんだろう。早く動きたい。リハビリしたい。

慶長氏の座右の銘を思い出してみる。
     「成功するために必要なものはただ二つ。
      それは明確な目標と強い意志である。」

夕方、下水道業務課の工藤、畠山両氏が見舞ってくれる。病状を詳しく話した。よく理解してくれたようだ。工藤氏は市民病院勤務が長かったため、医療スタッフも施設関係者にも詳しい。畠山氏からは先日行った鯵ヶ沢の風車見学の話を聞いた。

夕食後、今度は政策推進室の若手の面々が来てくれた。小笠原、磯嶋、大嶋、佐々木、鈴木、山本の6名。病状を詳しく話した。医師の話も伝え、良くわかってもらえたと思う。最近の仕事の状況や上司の話で盛り上がる。楽しいひと時だった。帰り際に
「またきます。」
という彼らに
「忙しいからこなくていいよ。」
とは言ってはみたものの、やはり来てくれるとうれしい。

彼らが持ってきてくれたものの中に月刊建設がある。5月号の「地区連のページ」に私の署名入りで「新幹線開通とともに新しい時代を迎えた八戸市」が掲載されている。
もう一つは「葛巻町視察の写真」みなさんかなり刺激を受けたらしい。

自宅へ届いていた郵便物を妻が持ってきてくれた。

○大日本書芸院展の「準特選」入選通知がきていた。さっそく石橋先生宅に電話で報告。奥さんがとても心配してくださっていた。
○放送大学からは既修得単位tの認定通知だ。3年次に編入学したときに申請していたものだ。認定されたのは全部で62単位。卒業に必要な単位数は128単位だから半分にちょっと足りない。最大で64単位まで認めてくれる規定になっているが2単位ばかり少なかった。
○もう一つ放送大学から、八戸サテライトでの面接授業2単位分の科目登録通知と振込用紙。8月の授業の申し込んでいたのだが、全く間に合いそうもないので思い切って捨てた。残念。

今朝立ち寄った青銀(八戸支店八戸市民病院出張所)で目にしたもの「ふるさと通信」というミニコミ紙。市民情報伝言板と銘打ってある。
どうして目に付いたかと言うと。トップに前田洋子さんの写真があったからだ。八戸市母子寡婦福祉会の会長として、創立50周年を迎えたという記事だ。はちのへ男女共同参画推進ネットワークの代表や、女性模擬議会の議員などで大活躍だ。
ぜひ書道のほうも続けてがんばっていただきたい。


2003年06月15日(日) サンクトペテルブルグを観る

朝食後、自宅に電話する。母が慌てて出たらしく、息が上がっていた。外にいて掃除の後始末をしていたそうだ。妻が戻るときに電話をすれば風呂を沸かしておいてくれるらしい。父の声も心配そうだった。

昼食後にもう一度消防団の会計を整理する。一部領収書が見当たらない。妻に自宅を捜してもらうよう依頼。自宅の机の上にあるんじゃないかな。

午後は妻が出かけたので、おとなしくベッドでテレビ鑑賞した。NHK・BSで「地球ウォーカー・スペシャル」サンクトペテルブルグ3回シリーズの再放送で、午後5時まで時間をつぶせた。元気なときは「暇をつぶす」という行為したことがない。いくら時間があっても足りないからだ。それが今はこれだ。今年建都300年を迎えたサンクトペテルブルグ、旧ソビエト時代はレニングラードといった。紹介されていた街はとても美しいものだった。また偉大な芸術家たちも輩出している。美術館はエルミタージュがヨーロッパ絵画で有名だが、ロシア美術館にはロシアの作家の作品が展示されているという。

夕方、大坪参事が見舞ってくださった。先日行った鯵ヶ沢の市民風車の話や職場の状況を教えてくれた。病状の話をしていてどうも変だと思ったら、まだ診断書を見ていないらしい。まあいいか。そのうち誰かから詳しい話も出るだろう。
帰り際にUSBケーブルを職場へ持っていってもらうよう頼んだ。

蛇足(今週のビジネス英会話から)
The customer is never wrong.
The customer is always right.   お客様は神様です。


2003年06月14日(土) 検査のない日

土曜と日曜は病院業務(外来)は休みのため検査はない。朝からゆったりとすごす。

点滴終了後、消防団会計の整理を行う。長根部長に電話し、会計事務担当の移管をお願いした。

午後、右を向いて寝てみた。なんとかこの形からでも起きられる。これまでは左向きだけで寝ていたのでつらかったのだ。寝返りとまでいかなくても、一旦起き上がって向きを変更できるだけでもありがたい。

15時過ぎホルターをはずしてもらう。このストラップが邪魔で寝ていても下になると痛くてしょうがなかった。やっと楽になった。

18時過ぎ、自宅に戻っていた妻が帰ってきた。ちょうど夕食が始まったところだ。出入り口付近で池本室長を見かけたからここへくるかもしれないと言う。それでは急いで食べなくてはと思っているところへ池本室長が来てくださった。

一通り病状と経過、見通しを説明する。12日葛巻町へエネルギー視察に行ってきたそうだ。町長が直々に説明してくれたり、事業にかける意気込みが感じられたとのことだ。町内の3セクはみな黒字経営など、視察したメンバーはみな感動した様子だったそうだ。助役も別の職員にも見せたいと言っていたらしい。

私の職務は何人かが分担してやってくれているので心配しないようにとのこと。(「山がいなくても用が足りる」といういみではないことを願う。)
闘病日記を出版するから、荒谷新幹線のような出版記念パーティを開いてくれとお願いしておいた。

夜、成田先生が見えられた。
「痛み止めは効いていますか?火曜日に針を刺して組織を取ってみる検査をしますからね。」
早く結果が出るといい。


2003年06月13日(金) 検査漬け

テレビのニュースでは観光協会総会が八戸で開催されたと報じている。新幹線開業効果を引き出そうといろんな会議を誘致しているが、最も効果の期待できる会合の一つではないか。

今朝から朝食メニューを変えてもらった。普通の和食ばかりと思っていたら、選択できるらしく、今回から「常食B」になる。クロワッサン2個、オムレツ、野菜スープ、野菜サラダ。希望通りの内容だ。

9時過ぎ、政策推進室に電話する。昨日妻が診断書を持参したときには室長が不在だったため、改めてよろしくお願いをした。特に室長には
「3ヶ月で復帰するから、席を置いといてください。!」
と宣言しておいた。

10時ごろ、娘と母が来る。夕べ診断書を見た母は卒倒したに違いない。でもやはり直接私の顔を見て安心したようだ。
午後からは娘に付き添いを代わってもらい、妻は所用を済ませに出かける。

午後はメニューが豊富だった。

①外来へ行き、頭部レントゲン撮影。やはり仰向けにならなくてはいけない。覚悟を決めて横になる。数枚撮影の後、レントゲン技師と娘の手を借りて起こしてもらう。激痛。でも自分で起き上がれないのだから」しょうがない。痛いが「えいっやっ」とやってもらうしかないのだ。

②4階に戻るとすぐにまた外来に呼ばれる。循環器内科で狭心症についての診断だ。感じの良い女医さんだった。先生が診る限り狭心症はなさそうだとのこと。

③整形外科のギプス室で、コルセットの型取りをした。ビシビシ包帯を巻いていったと思ったら濡らすと即固まる。その手際の良さに驚く。娘にまで「プロの業を見た。」と言わせた。

④最後に24時間心電図のホルターをセットされた。明日の昼過ぎまで体につけていなければならない。

忙しい一日だった。

夕食後、書道クラブの佐藤翠洋先生が早速見舞いに来てくださる。先日「入院したからしばらくは書けない」と電話したので確認に来た。病状を詳しく話しておいた。
「退院したらゆっくり再開するべし。字はいつでも書けるから。」

さて、今日つけた心電図ホルターだが、その製品名が「NASA なんとか」と言うらしい。NASAの宇宙飛行士がつけてるやつで、テレビで良く目にする。NASAが先か医療が先かとたずねてみたが、ネーミングからしてNASAが先だろうとのこと。宇宙開発が民生に貢献した一例か。


2003年06月12日(木) 骨シンチ

午前9時、トイレに入っていると検査に呼ばれる。「骨シンチ」という骨の写真を撮るRI(Radio Isotope)という部屋だ。まず、造影剤を注射する。いったん病室に戻り、11時からのRI室へ行くために、また痛み止めを注射してもらう。この撮影機械は「ガンマカメラ」というそうだ。一時間以上かかった。今回も終了後ベッドから降りるのがつらい。

検査終了後、エレベータの前で下水道の職員と会う。思わず声を掛けてしまった。どうせ知れ渡るんだろうからいいよね。

昼からまた娘がきてくれる。昨日頼んだものは持ってきてくれたようだ。交替で妻が出かける。自宅に戻るついでに、役所に診断書を届けてもらう。(今日は葛巻町へエネルギー視察だったので、室長以下かなりのメンバーがいない。接待部長が受け取ってくれたそうだ。)

14時から点滴。隣のSさんが体が大きすぎるためMRIのカマに入らなかったという話で看護師さんと盛り上がる。CTへ行っても肩が入らないとかで夕方再び撮り直していた。お気の毒。

16時に長い点滴が終わり、役所へ電話する。前述の通り残留部隊は交通政策チームで、出たのは鈴木氏。様子を尋ねられたのに対し、思わず「戦力外通告を受けたみたい」とぼやいてしまう。

17時過ぎ成田主治医が「明日写真を撮ります。頭は痛くないですか。」とやってくる。痛くはないがまたMRIに入るのかな。そうすると背中が痛いけど。


2003年06月11日(水) またMRIの窯に入る

朝一番にシャワーを済ませようと思っていたら、「心エコー」の検査に呼ばれた。
戻ってすぐにシャワー。広い浴室で妻から洗ってもらう。
10:30、青坂看護師とご対面。北海道出身とのことだ。
向かいの山田さんは手術の開始予定時刻が早まったらしく、看護師たちもあわてている。昨日の萬谷看護師が見習い看護師に指示を出している。一応一人前なんだ。

午後、母と娘が来る。心配かけて申し訳ない。母は私の顔を見て安心したようだ。市民病院までバスの乗り方がわからずタクシーできたそうだ。今度も無理せずタクシーにしろよ。
妻の車を娘が運転し、母を乗せて帰る。心配だが妻の運転よりはましかもしれない。

今日予定のMRIになかなか呼ばれない。時間の予約ではなく"on-call"といって、空き時間に呼ばれるものらしい。仰向けに寝るのはとてもつらいので、痛み止めの注射をしてもらう。16時過ぎMRI検査に入る。昨日も会った桝谷検査技師がジョークを飛ばしながら、「がんばろう」と励ましてくれる。しかもここには中学の先輩:巻(旧姓:伊藤)厚子さんがいて
「とうしたの望君?」ときかれる。
「歩けなくなっちゃいました。」

MRIは振動や動きに弱いので、動かないように。くしゃみや咳もしないように。と言われて横になる。数十分間微動だにせず、汗びっしょりになった。
「よくがんばったね。」
とねぎらわれる。

最後に「私の大事な後輩なんだからよろしくネ」と巻さんからスタッフに一言。
一同「だいぶお世話になったみたいですね。」
私「すんごく世話になりましたよ。」

夕刻、主治医の成田先生に呼ばれる。病状の説明があった。脊椎に腫瘍があるのだそうだ。他の悪性腫瘍からの転移ではなく「多発性骨髄腫」という血液の異常による。ただし化学療法によく反応するタイプなので直るらしい。ただし脊椎の手術は必要。

まあ目標は「生還」そして「復活」としておこう。


2003年06月10日(火) とうとう市民病院へ入院!

午前8時20分ごろ、八戸市民病院の受付に、紹介状とMRIなどの写真をもって入る。受付を待ていると、早速事務局の鈴木さんに見られる。
「どーしたの?車椅子なんか乗っちゃって?」
かくかくしかじかで歩けなくなったのでここへ紹介されたと話すと、
「整形外科は末綱先生がいるから大丈夫」
と励まされる。

診察室に入って初めて末綱先生と対面する。
「10番目の骨がつぶれてますね。あなたの年代では普通はこうはななりませんよ。病気が疑われますが、もしそうならこの悪い部分をとってしまわなくちゃいけない。」

ということで、予想はしていたものの即入院ということになった。
病室へ入る前に、脊椎や胸部のレントゲン撮影、心電図、血液検査などのメニューをこなす。

お昼ごろ案内されたのが西病棟407号室で、ここが私の部屋になる。私の担当は青坂さんという男性看護師だが、この日は休暇のため、代わりに萬谷さんという若い女性看護師がお世話してくれる。

昼、ベッドに横になっていると、窓の外に見える鮭の孵化場付近から黒煙が上がっているのが見える。周りの人たちも騒ぎ出した。
「タイヤでも燃やしてるのだべが?」
いや、はっきり大きな炎が見えている。サイレンが聞こえだした。
「ありゃ、火事だじゃ!」
暇な私たち病人どもは火災観戦の野次馬となり、私は消防の知識を一くさり披露し、部屋の人たちとお近づきになる。


2003年06月09日(月) MRI検査を受診

約束の午後3時、村上脳神経外科クリニックでMRIに入る。できた写真をもって、その足で田名部整形外科へ。

田名部先生は
「市民病院に末綱先生という背骨に関しては相当の権威がいらっしゃるので、そちらを紹介するから行きなさい。」
ということであった。


2003年06月08日(日) ただただ我慢の日

一日ただただがまんして過ごす。


2003年06月07日(土) 救急病院のお世話に・・・

夜8時ごろ、激痛のため田名部整形外科に電話するが、先生不在のためこの日の救急担当医である青森労災病院へ行く。痛み止めの坐薬を処方され帰宅。


2003年06月06日(金) 立ち上がれない二日目

田名部整形外科で行ったでは血液検査の結果からは悪性のものとは判断できないが、念のためMRIを撮ってみたほうがいいという。月曜日午後3時村上脳神経外科クリニックを予約する。


2003年06月05日(木) 立ち上がれない

朝、背中の痛みがひどい。起き上がろうとするが激痛で起きられない。なんとか起き上がってみるが、まともに歩けない。やばい。食事もできず、職場に突然の休暇を申し出る。

午後、妻から田名部整形外科へ連れて行ってもらう。レントゲン撮影の結果、10番目の背骨が圧迫骨折しているらしい。怪我と病気の両方の可能性があるので、血液検査をする。背中に痛み止めの注射をして帰宅。


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