lazarusの日記
lazarus



 問題の原因。

ヒトの心の中は
ほんとうに不思議な仕組みになっている。
対応に苦慮し
振り回され
くりかえし、くりかえし
同じ迷路のなかを
行きつ戻りつ・・・・。
もどかしいこの状態に耐えきれず
本心からではないのに、いらぬことばで
傷つけあう。

今日
相手の言葉の意味が
つたわってきた・・・。
なぜ、その言葉を繰り返し
なぜ、そのような行動になるのか。
本人はわからなくて混乱し
そうしてこれまでは
聴く私も大きな渦に巻き込まれて来た・・・。
しかし
無意識のなかに
本心は隠されていたのだ。
言えてなかった『未完の行為』
言葉と
矛先に
矛盾がある。
そのことの意味。
私は、はっと気づいた・・・。

マズローの発達課題。
自分が置いたポイントよりも
もうひとつ下に
未解決の課題が残されている。

2003年08月18日(月)



 非常に質の良い

キリストの愛は
私にとっては
他に見出すことのできない、
純粋で
非常に質の高いものである。

これまで
知っていたのに
認識できていなかった。
メーテルリンクの青い鳥のように・・・。

実に
このように
質の高いものは
どこにもない。
他の追随を許さないきびしさとともに
そこに存在する。
まさに
見える者にしか
見えないかたちで。


2003年08月16日(土)



 ノック

今日、ベテル病院のホスピス病棟へ
ボランティアとして行った。

他のボランティアのメンバーとも出会え
病室訪問もさせていただいた。

とりわけ
入室前の「ノック」の音が
これほど気になったことはなかった。
病室は、個室であっても
プライバシーは無いに等しい。
でも
それはしかたのないこと・・・。
そのことは
昨年の私自身の入院時にも
CLという立場が、一方的な受身であると感じられた、
まさにそのことである。

ドアの向こうに
思いがけなくやさしい笑顔があった。
ありがたかった。
CLに支えられるということ。
CLもCOも対等であるということ。

私は自分がその場へ行く理由を
知るためにそこへ行く。
ただそのことだけが、大切なのだ。


2003年08月14日(木)



 明確化

長いこと
自分の無意識のなかに隠されていた
『或る事・・・』

いつのころからか
気がつけば
いつも
そのことについて
かんがえていた。

それが
どういうことを意味するのか。
なぜ
そのことについて
私は考えつづけてきたのか

いまの時点で出た結論。
とりあえず
かたづいた。終結。

矛盾を感じ
息苦しさを解決しようと
あいまいな無意識にある事柄を
明確にしたいと望むCL。

その後方支援をする・・・そういう仕事。
私の役目。ロール。使命。
純粋で質の高い「或る物」
言葉で語らず
ヒトトナリでしめせ。


2003年08月12日(火)



 生きることの意味

ヒトは良くも悪くも
自分の人生の岐路において
ちゃんと選択して
生きているものだ。
え〜?
そんな選択なんて
やった覚えないよ。
そうそう。
多くの人が
無意識のなかで
選択をして生きてる。
おもしろいね。
なんでもなく生きていくヒトと
自分の無意識の存在にふと気づいて
そこに立ち止まって考えるヒト。
多様でよいと思われるけれど
本人にとっては
重大な問題。大きな壁のようにも感じられるだろうし、
若年者ならば大きな混乱、矛盾、渾沌の世界に悩み
恐れを感じたり、哲学の病に陥ったり・・・。
しかしながら、
私が今の年齢で確信していることは、
「気づいた人は、
無知である自分、知らない自分を知ったのであり
未来へ大きくはばたけるゲートに
いま、まさに立っているということである。

そのゲートを開いてその向こう側へ行くのには、
未知なる「キィ」が必要。

その「カギ」探し求めながら
現実の自分を生きる。

そうできないものか・・・・。



2003年08月10日(日)
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