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2004年05月31日(月)
「No!」としか言えない国、ニッポン

「けっこん・せんか」(檀ふみ・阿川佐和子共著、文藝春秋)より。

【檀:それから、日本人の場合、ニュアンスとか。その言葉や表現に潜んでいる意味をすごく大事にするんだけど、海外ではニュアンスだけではなかなか伝わらないわよね。だから、「Yes」「No」をはっきりと意思表示しなきゃいけない。
 阿川:含みを持たせたようなあいまいな表現は通用しないこともあるものね。
 檀:だけど、「No」だけでもダメなのよね。
「No thank you」と言わなくちゃ。ところが日本人は、
「No」だけ。たとえばコーヒーを頼むときだって、ぶっきらぼうに「コーヒー」っれ。なんだかとても命令口調よね。
 阿川:そうそう。若い女性でも「紅茶」って言ったきりだものね。
 檀:あちらでは必ず「コーヒー、プリーズ」。
 阿川:それで持って来てもらったら、「サンキュー」って。
 檀:ついこのあいだ聞いた話なんだけどね。世界的に活躍されたオペラ歌手の藤原義江さんがいらしたでしょう。「基本的に大切なのは、”ありがとう”と”どうぞ”。この二つをちゃんと言えること。そうすれば世界中どこに行っても恥ずかしくない」とおっしゃったそうなの。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この対談は、1993年に行われたものだそうですから、この10年のあいだに、日本人のコミュニケーション能力が劇的に向上していなければ(たぶん、平均値としてはそんなに変わっていないような気はしますが)、現在でも海外に行った日本人のコミュニケーション能力というのは、このくらいのものなんでしょうね。去年僕がアメリカに行ったときは、それなりに学校英語は勉強してきたし、日頃英語に接する機会が多いはずなのに、あまりの「通じなさ」に情けなくなりましたから。
 まあ、実際に英語圏に旅行に行く日本人にとっては、「まず意図が通じること」が第一で、その言い方が礼儀にかなっているかどうか?なんてことまで考えている余裕はないのだろうな、という気もしますけど。
 それでも、「単語だけ言えば通じる」と言うのではなく「単語+プリーズ」というだけでもけっこう印象というのは違ってくるのだろうな、とも思うのです。
 僕たちが、「日本語の上手な外国人」と話していたとして、どんなにその人の日本語が流暢ですばらしいものだったとしても、助詞の「は」と「が」の違いとか、目上の人への言葉遣いとか「そこまで要求するのは理不尽だ」と頭ではわかっていても、やっぱり「違和感」というのは感じるものですし。
 「アメリカ人は、”Yes”と”No”がハッキリしている」と多くの日本人はイメージしているはずです。でも、確かに彼らは、”Yes”と”No”を言いっぱなし、ではないんですよね。”No”だけじゃなくて、”No thank you”つまり、”いいえ、でもありがとう”というように、断りつつも、ちゃんと相手への気配りもしている、ということのようなのです。
(余談ですが、僕はこの「ノーサンキュー」を「サンキューじゃない」、つまり「歓迎しない」という意味だとずっと思っていました)

 僕もアメリカに5日間くらいいたときには、すっかり事あるごとに"thank you"と言うようになっていました。日本に戻ってあらためて考えると、日本人は「ちょっとした感謝の言葉」というのを知らない人にあまり言わなくなっているのかな、という気もしたのです。

 もっとも、アメリカで飲み物を持って来てくれた店員さんたちは、僕たちが「プリーズ」とか「サンキュー」とか口にするよりも、テーブルの上に置いたチップを見たときのほうが、はるかに嬉しそうで、彼らのサービスも良くなったんですけどね…
 まさに「ゲンキンだなあ」という感じ。



2004年05月30日(日)
「好奇心」という電車に乗って

「Number 602」(文芸春秋)の連載コラムより(文・三田村昌鳳)

【’78年のマスターズ。青木は1打差での予選落ちを喫した。最終ホールの最後のパットは、たとえ沈めても予選落ちの動かない1打だった。だが、その1打のことを、青木は酒を飲みながら、僕にしみじみと語ったのだ。
「俺は必死にあのパットを入れようと決めたんだ。これを外したら、この先の自分がなくなっちゃうような気がしたんだよ。俺は今、36歳。この年になってやっと、棒j(クラブ)を振っていることがゴルフじゃないって解りかけてきたんだ。ゴルフは技術だけでも勝てない。精神だけでも勝てない。言葉にすると簡単で、当たり前だけど、”心技体”が大切なんだね。ちょっと遅いかもしれないけど、でも一生、気がつかないよりいいよな……」
 僕は思わず言葉に詰まった。「そうですよ、遅いということなんてないんはずですよ」と年上の青木に言ったような気がする。

(中略)

 4月22日、青木の日本男子初のゴルフ世界殿堂入りが明らかになった。今年の8月で満62歳。今なお、戦い続ける姿が世界に認められたのだろう。
 再び、僕は青木の言葉を思い出す。
「好奇心という電車に乗ってここまで来た。いずれ駅に降りなければいけない時がくるなら、できるだけ長く電車に乗っていたい」】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は一時期ゴルフをやっていたことがあるのですが、あまりの自分の下手さに嫌気がさして、最近ではクラブを握ることもなくなりました。けっこう立派な道具だけは揃っているのですが。
 でも、プロゴルファー・青木功選手のことは、子供のころから好きだったんですよねえ。ジャンボ尾崎選手みたいに「軍団」とか結成するわけでもなく、ほんとうにどこにでもいるようなオッサン(失礼!)が、ひょうひょうとプレーしている姿には、とても惹かれるものがあったのです。青木選手は僕の母親と地元が近いので、その茨城弁丸出しの言葉遣いになんとなく親近感を持っていたこともあるのかもしれませんが。

 この青木選手のエピソードを読んで、僕はひとつ不思議に思ったことがあるのです。それは、「どうして青木選手が『必死に入れようと思った』というパットが、勝負を決めるような1打ではなくて、いわば『敗戦処理』のようなパットだったのだろう?」ということ。
 もちろん、若干の賞金の違いとかがあるのかもしれませんが、そのパットの成否というのは、青木選手にとって、そんなに大事なものだったのでしょうか?それが、ひとつの「転機」になるような。

 しかし、考えてみれば「優勝を決める1打」とかであれば、別に何も自分で意識しなくても、みんな「必死で入れようとする」のですよね。でも、そういう「意味のなさそうな1打」を漫然とプレーしているようでは、そういう「本当に大事な1打」を前にして、自分のゴルフを見失ってしまう、ということなのかもしれません。
 もちろんそんなこと「いつでも油断するな」なんてことは、プロのゴルファーであれば、誰でも意識していることなのだと思います。ただ、「意識している」というのが、実際に活かされているかどうかは、また別の話。
 この1打は、青木選手にとって「状況に流されず、主体性を持って自分のゴルフをする」という意識改革をもたらしたのかな、と僕は思うのです。

 36歳、日本のトッププロでありながら、そういう気持ちをあらためて自分の中に発見して、「ちょっと遅いかもしれないけど…」なんてしみじみと語ってみせる青木さんの姿って、素晴らしいなあ、と。
 その後の青木選手の活躍を考えると「けっして遅くはなかった」という気もしますし。

 人はみんな、いずれは駅に降りなければならないのだと思います。
 でもね、いくつになっても、自分の心の持ちようで、新しい発見をしていくのは可能なのではないでしょうか?
 「好奇心という電車」に、終着駅はないのだから。


 



2004年05月29日(土)
「生きること」と「生きることの意味」のあいだに

「風の歌を聴け」(村上春樹著・講談社文庫)より。

【僕にとって文章を書くというのはひどく苦痛な作業である。一ヶ月かけて一行も書けないこともあれば、三日三晩書き続けた挙句それがみんな見当違いといったこともある。
 それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。
 十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口もきけないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える……そんな気がした。
 それが落とし穴だと気がついたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートのまん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったものを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの……僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。
 僕たちが認識しようと務めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「文章を書くのは苦手」という人はけっこう多いと思います。僕も昔はそうだったのですが(夏休みの宿題の読書感想文とか、まともに提出したのは学生生活を通じて一度か二度ですし)、最近はさすがに「苦痛な作業」ではなくなってきましたが。
 「風の歌を聴け」は、村上春樹さんの実質的なデビュー作で、ここに書いてあることは、もちろん100%の本心ではないにしても、今のような大ベストセラー作家になる前の、「作家志望の文章書き」だった村上さんの思想が反映されているのではないか、と思います。
 「文章を書く」という作業は、ずっと続けていると、苦痛とともに快楽をもたらすのは事実です。【生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単】という部分は、まさに「文学」というものの本質なのかもしれません。
 「恋愛をすることよりも、恋愛論を書くことは簡単」なのですから。
 もちろんその「恋愛論を書くこと」と「それが多くの人に支持されること」というのは別物なんですけどね。
 「文章を書く力」というのは、ある意味「イメージの力」なのではないかなあ、と思うことがあります。「世界の中心で、愛をさけぶ」の作者の片山恭一さんは、こういう言い方をしては失礼なのですが、どこにでもいそうな普通のオジサンですし、村上春樹さんだって、とりたててカッコいい人ではないですし。もちろん「個性的」ではあるんですけどね。そして、「現実でのやるせなさやもどかしさ」みたいなものと、頭の中で理想としてきたイメージが、作品に反映されているのではないでしょうか。現実ですべてがうまくいる人は、創作よりも現実を生きるものではないのかなあ。
 逆に、中谷彰宏さんなどは、見た目はカッコいいのかもしれませんが、文章の中身は…
 「モテナイ組」の僕としては、「文章を書く」という行為は、「どうしようもない自分」を何か意味ありげに見せてくれるような気がするんですよね。村上さんや片山さんのように、収入を得られたり、他人の人生に影響を与えられるクラスの「作家」になれば、そこにはまた別の「意味」が生まれてくるのかもしれませんが。

 少なくとも「人生を語ること」は「生きること」よりはるかに簡単です。その2つのあいだには「理想の医者について他人に演説すること」と「自分が理想の医者であること」と同じくらいの格差があるのです。

 「書こうとしているもの」と「書いているもの」には深い溝があって、「伝えたいもの」と「伝わっているもの」のあいだにも、高い壁があるのです。それは、ひとりひとりが違う人間であるかぎり、やむをえない宿命。
 「書くことによって救われる」というのは、おそらく幻想なのです。
 本人が「救われたような気になっている」だけのことで。
 どんなに「辛い状況でがんばっている自分」を文章にしてみても、現実世界で他人に見えているのは、「悲劇のヒロインぶっているナルシスト」だったりするのですよね。

 まあ、世の中そういう人間ばかりだからこそ「文章を書くこと」の存在意義があるのだろうし、僕もその恩恵を受けているひとりなわけですけど。



2004年05月28日(金)
「自己責任」と「命の使いかた」

日刊スポーツの記事より。

【イラクの日本人フリー記者襲撃事件で、与党が28日、「自己責任」の必要性を強調する一方、野党ではイラクからの自衛隊撤退を求める声が相次いだ。】


産経新聞の記事より。

【「命なんざー、使うときに使わなきゃー、意味がない」。今年一月、イラク戦争取材の経験をまとめて出版した「イラクの中心で、バカとさけぶ」(アスコム)中で、橋田さんは命懸けの取材を続ける自分を鼓舞。その一方、この戦争で命を捨てるのに「意味があるか、どうか?」と自問自答していた。
 巻頭の対談で戦場に行く理由を橋田さんは「好奇心ですよ。それがいちばん強い。建前じゃなくて、見たいから見に行く」と説明。「やっぱりドラマチックだから。そこに人が生きて、あるいは死んで。一歩間違えれば自分も傷つくわけですから、それはもうエキサイティングだし」とも話していた。
 「ある戦場カメラマンの遺言」と題した後書きではバンコクでだらだらと過ごしていたときに「残り少ない人生を有意義に生きるのだ」との決意を明かしていた。戦争取材については「100%安全といえる日常生活はあり得ない。私の妻もそれを十分理解している」と話していたという。
 橋田さんはベトナム戦争、カンボジア内戦、アフガン戦争とこれまで世界各地の内戦や動乱を取材。現在は特派員をしたこともあるバンコクを拠点に活動していた。九三年五月にはカンボジア北西部で武装グループに襲撃、拘束され、現金やカメラを奪われたこともあった。
 昨年四月のバグダッド陥落の際には現地からリポートを送り、今年に入ってからも数回イラクに入り、不定期の日刊ゲンダイの「サマワ・リポート」と題した記事を掲載していた。
 ファルージャで取材中の昨年十一月、米軍と地元武装勢力との戦闘にまき込まれ、左目に大けがを負ったイラク人少年(一〇)と会い、静岡県沼津市のボランティア団体を通じて聖隷沼津病院を紹介。この少年は六月初めにも来日し、治療を受けることになっていた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「自己責任」とは何だろう?と僕は考えます。
 橋田さんに対する世間の反応は、先日の「人質3人組」に比べて非常に同情的ですし、僕自身も悼みとともに、ある種の畏敬すら感じてしまうのです。
 「ああ、こういう人生というのもあるのだな」なんて。
 もちろん、銃で撃たれたりすれば痛みはあったでしょうし、もし仮に命を奪われずに「人質」にされて自衛隊撤退を要求されでもしたら、世間の反応というのは大きく変わっていたのかもしれませんが。
 僕も「3人組」との違いをうまく言葉にはできないし、彼らを分かつものは、「結果としての生と死」だけなのかなあ、などという気もするんですけどね。
 そういう意味では、「死人に鞭打つ」というのを是としない日本の国民性というのは、今でも生きているということなのでしょう。

 命というのは、誰でもひとつしか持っていないものです。そして、「一度きりの人生だから、あまり危険なことはしないようにしよう」と思う人もいれば、逆に「一度きりの人生だから、人のできないこと、すごいこと、自分が充実感を得られることをやろう」という人もいます。
 それは、どちらが正しいとか正しくないとかいうものではなくて、まさに「価値観」の違いなわけで。
 どちらかというと「安全策」の生き方をしてきた僕にとっては、橋田さんの生き方というのは、ものすごく魅力を感じるのです。ある意味、そこまでしないと生きている充実感が得られない人生というのは、本人にとっては非常に厳しくて辛いものかもしれませんけど。

 橋田さんたちの死は、「自己責任」だと思います。もちろん悪いのは襲撃してくる連中なのですが、橋田さんは誰かに強いられてイラクで活動していたわけではないし、こういう危険性があることを十分に承知していただろうから。
 でも、僕は彼らの死は悲しいことだと感じていますし、その「殉職」に敬意を表したいのです。
 とはいえ、日本全体のことを考えれば、そんなふうにイラクで活動する人は人質にされてしまうリスクも抱えているわけですし、あまり賞賛できないというのも理解できるんですけどね。
 ただ、「自己責任で殉職した人」に対して、国会議員たちが「小泉政権に影響はない」とか、「危険だから自衛隊撤退」とか、要するに「その死をどう自分たちの都合の良いように解釈するか?」という反応しか示さないのは、ほんとうに悲しい。
 そんな自分たちの都合の良い解釈を並べ立てる前に、亡くなった人や御遺族に対して、言うべきことがあるのではないかな、と思うのですが。

 それにしても、こういう事件が起こるたびに、赤の他人である僕ですら「何があっても自己責任だから仕方ないよ、それも『命の使い方』なんだし」と割り切れないのも事実ではあるんですけどね。
 「死んでしまったら賞賛、生きて帰ってきたら罵倒」というのも、ちょっとヘンなのだけどさ。



2004年05月27日(木)
そして『伝説』へ…

読売新聞の記事より。

【東京都大田区立中学校の放送室を占拠し、授業を妨害するなどしたとして、警視庁少年事件課は26日、同区在住の都立高校1年生(15)ら少年10人(15―16歳)を建造物侵入と威力業務妨害などの疑いで逮捕したと発表した。うち2人の少年は、教師らに暴力をふるって教室のカギを奪い取ろうとした強盗未遂容疑などでも逮捕された。

 調べによると、少年らは同中学の3年生だった今年3月12日昼ごろ、校舎2階にある放送室に侵入し、校内放送を使って約5分間に渡り、映画「バトルロワイアル」のテーマ曲を流しながら、「皆さんこれから殺し合いをしましょう」などと暴言を繰り返し、授業を妨害した疑い。

 少年らは、動機について、「卒業する前に、これ以上ないと言われるような伝説を作りたかった」などと供述している。

 少年らに暴行を受けた教師の1人は、肋骨を折る全治3週間のけがを負った。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「♪伝説の少女になりーたいー」という歌を観月ありささんが若い頃(と言っては失礼?)歌ってましたねえ。みんな、そこまでして「伝説の人」になりたいんだろうか?

 ちょうどお昼どきに、僕はその場にいた先生たちと、不謹慎ながら苦笑しつつこのニュースを観ていたのです。
 僕はコレに対して、「ああ、尾崎豊の世界だなあ」と内心イメージしていたのですが、僕より一回りくらい上の先生は「まるで『金八先生』みたいだねえ」とコメントして、僕よりちょっと若い先生は「やっぱり公立中学って怖いですねえ」と呟きました。で、本人たちは、映画「バトルロワイヤル」の模倣のつもりだったみたいですね、この放送室占拠事件。

 しかし、「伝説作ってやる!」なんて息巻いて、先生に大怪我させてまでやったことが【映画「バトルロワイアル」のテーマ曲を流しながら、「皆さんこれから殺し合いをしましょう」などと暴言を繰り返し、授業を妨害した】という、映画の猿真似なのですから、正直「バカだなあ」としか言いようがありません。どうせ放送室を占拠するのなら、もっと面白いアイディアは無かったのだろうか?なんて、ちょっと残念に思ったりもするのです。
 正直、彼らが先生を大怪我されたりせずに放送室を占拠してなんらかのオリジナルのメッセージを流すだけなら、僕はあまり嫌悪感を感じなかったでしょうし。若いなあ…と思うくらいで。

 まあ、彼らのやったことは「バカな中学生伝説」として、その学校では語り継がれること間違いないのですから、そういう意味では目的は達したのかもしれませんが、それにしても、こうやってそれぞれの世代にこの「伝説軍団」の行動にマッチする映像の記憶があるわけですから、映画やドラマや歌の世界では、こういう行為が「カッコいいもの」として賞賛されてきた、という愚かな歴史があるような気がします。実際に起こってみれば、こんなにバカバカしい感じしかしないことなのに。
 「折り目正しい若者の物語」だけでは面白くないのは確かだけどねえ。



2004年05月26日(水)
「コレクター」にとっての最大の難関

「編集狂時代」(松田哲夫著・新潮文庫)より。

【いつか種村季弘さんが「コレクターの三条件」を教えてくれたことがあった。まず、「一、お金が沢山あること」、次には「二、時間や空間が自由になること」、そして「三、家族(特に配偶者)がいないこと」なのだそうだ。種村さんの知っているあるコレクターは、親譲りの多額の遺産を相続し、広い家に一人で住んでいる。職業は大学の講師。拘束時間がすくなく、自分が求めているものがたとえ外国で出たとしても、すぐに飛んでいけるからだという。

(中略)

しかし、お金、時間、空間よりも、コレクターにとって最大の難関は配偶者のようだ。ぼくの知人の場合でも、彼のコレクター的性癖を十分承知した上で結婚した奥さんが、いざ一緒に暮らすようになると、はっきり嫌だという姿勢を示すようになったという。ぼくも、コレクター的なふるまいを、ほぼ完全にやめるようになったのは、結婚してからだった。
 世の奥さんたちの目には、夫が集めてくる得体の知れないインベーダーが家のスペースを侵してくることは、なにより耐え難いことのようだ。放置しておくと、経済、時間、空間すべてにわたって侵食されていくのではという恐怖にかられるみたいだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 インターネット時代になって、コレクターにとっては、果たして良かったのかどうか?少なくとも、今までよりは時間や体力を使わなくても品物や情報は得易くなったような気がします。
 Yahoo!のオークションを覗いていると、「誰がこんなものを買うんだろう?」というようなものにけっこうな高値がついていたり、「こんな昔のパソコンゲームを座して何の苦労もなく買えるなんて!」なんて驚いてみたりもするのです。
 まあ、オークションで何かを買うというのは、手続きがちょっと面倒だったり、お金のやりとりに関してリスクがあったりもするんですけどね。

 それにしても、コレクターにとって最大の難関が「配偶者」というのは、なかなか興味深い結論です。結婚しようとするくらいの相手であれば、お互いの性癖は承知の上のはずなのに、とか僕はつい思ってしまうのですが、実際に一緒に生活していると、やっぱり「何よ、こんなガラクタ!」という感じになってしまうのでしょう。一と二を考えれば、「お金と空間の無駄遣い」であるのは間違いないことだし。
 逆に「結婚」というのはコレクターを卒業する最後の機会なのかもしれません。

 配偶者をとるか、コレクションをとるか?それはまさに、究極の選択。
 「それなら、同じ趣味の人と結婚すればいいんじゃない?」確かにそうなんですけど、その場合は、お金と空間は、際限なく消費されていく一方になってしまうしなあ。
 



2004年05月25日(火)
「目標に見合った努力」の限界

時事通信の記事「イチロー2000本安打達成関連・談話」

【仰木彬・元オリックス監督 とにかく早い。彼にとっては1つの区切りにすぎないのでしょうが…。普通の選手は1000本や2000本を目標にしているわけだが、彼は旬のときに2000本。とてつもなくすごいことだ。これで3000本も射程圏。あと5、6年ですかね。
 オリックス・谷外野手 年数も短いことですし。価値あることだと思います。日本でも、毎年すごい成績を残してすごいバッターだった。
 オリックス・大島内野手 次は3000本を目指してください。世界の頂点を目指す気持ちを忘れず、これまで通り妥協のないプレーを続けてほしい。
 オリックス・河村打撃コーチ 入団当時のリポートに12年間で2000本安打を達成すると書いていた。彼がここまできたのは本当に努力のたまもの。(日本記録の3085安打は)当然いくだろうね。その時はぜひ日本で達成してほしい。
 ヤンキース・松井秀外野手 イチローさんは、2000本安打なんて気にしていないんじゃないかな。そういう記録に価値観を抱いているとは思えない。でもすごいですね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 イチロー選手が超ハイペースで日米通算2000本安打を達成したのは、さる5月21日のことなのですが、そのことについてのオリックス時代の元チームメイトたち、そして現在ともにメジャーリーグで活躍している松井秀喜選手のコメントです。
 ここには、さまざまな選手の「イチロー論」が集約されているような気がするのですが、その中で僕が共通点として感じたことは、「イチローは2000本安打を目標としていない」というものでした。まあ、人によって「3000本くらいは…」という選手もいれば、「数字よりも野球選手としての自己完成を目標としているはず」という選手もいるのですけど。

 僕は子供のころから歴史が好きで、小学校時代は「マンガ日本の歴史」というのを愛読していたのですが、確か、その本の中にこんなエピソードがありました(もちろん、フィクションかもしれませんが)。
 毛利元就は、安芸(現在の広島県)の小領主の次男坊として生まれました。当時は家督を相続するのは基本的に長男でしたから、元就は「田舎の小豪族の次期領主の弟」でしかなかったわけです。
 元就の子供時代、家臣と初詣に行ったときのこと。帰り道で自分の隣で手を合わせていた家臣に「お前はいったい何をお祈りしていたんだい?」と尋ねました。その家臣は気を利かせて「はい、若様(元就)が、中国地方の領主になれるように、お願いしておりました」と答えました。
 すると元就は、その家臣に向かってやや気色ばんで、こんなことを言ったそうです。
 「どうしてお前は俺が『天下を取るように』とお祈りしなかったんだ!」驚く家臣に「そもそも、天下を取るつもりで頑張っても、せいぜい中国地方くらいしか取れないものなのだ。最初から中国地方を…というようなつもりでいては、中国地方だって取れるわけがないじゃないか」と続けたのです。
 若者らしい大言壮語、なのかもしれませんが、最後の「天下を取るつもりでも…」というところに、僕は強いインパクトを受けました。
 目標に対する努力というのは、「このくらいでいいだろう」と自己満足するレベルでは、所詮目標達成には届かないものなのだ、と。

 陸上の50m走では、こんなふうに習いました。「50m先のゴールまで」走ったら、最後のゴールのところでは「ゴールだ!」と気が緩んで失速してしまうから、もっと先にゴールがあるつもりで走らないと本当にベストの記録は出ない、って。
 
 2000本ヒットを打つ、というのは、数字以上の目的意識がないと、達成できないことなのだと思います。イチロー選手にとっては、まさに「通過点」なのかもしれません。

 「目標に見合った努力をしているのに」というのは、本当は「努力がまだまだ足りない」のですよね、きっと。

 そういう「大きな目標を目指す」というのが、ひとりの人間としての幸せとイコールなのかは、人それぞれ、だとは思うんだけど。



2004年05月24日(月)
郵便物とノゾキのコインロッカー

読売新聞の記事より。

【配達前の封書など636通を盗んだとして、日本郵政公社兵庫監査室は23日までに西宮郵便局郵便課の非常勤職員男性(27)を懲戒免職にした。近く窃盗容疑で書類送検する。

 同室によると、職員は昨年12月から勤務。今年4月から5月18日にかけ、同課事務室で郵便物の区分け作業中、同局管内で投かんされた封書やはがき計636通を盗んだとされる。

 大半は差出人が女性で、同室の事情聴取に対し「手紙が読みたくて興味本位で盗んだ。同封の写真も見たかった」と話している。

 今月21日、阪神電鉄甲子園駅から同局に「利用期限が過ぎたコインロッカーから郵便物約190通が出てきた」と連絡があり、同室が捜査。局内にある職員のロッカーから封書など30通、自宅からも大量の郵便物が見つかった。

 同局は盗まれた郵便物について、差出人に連絡し、改めて配達するかどうか、意向を聞いている。

 同公社近畿支社の話「お客様に多大な迷惑をかけ、深くおわびします」】

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 やっぱり「他人を覗き見したいという気持ち」というのは、多少なりとも誰にでもあるのだろうと思います。僕だって目の前で一緒にご飯を食べている彼女の携帯が鳴ったら、「誰からの電話なんだろう?」「どんな内容のメールなんだろう?」って、気になりますからねえ。
 ただ、実際に「誰からの電話?」とか「どんな内容のメール?」というような質問を自分から口にすることはありません。やっぱりそれは「ルール違反」のような気がするし、信じているから(というよりは、「信じていることをアピールしたいから」なのかもしれないけど)。
 しかしながら、世間には「寝ている間に彼の携帯をチェック!」なんて女性はけっこういるみたいですし(それは、ロンドンハーツとかの観すぎなの?)、逆に多少は気にしてみせてあげたほうがいいのかな、とも思うのですが。
 まあ、それは逆に「僕の携帯の履歴も覗かないでね!」という暗黙のアピールだったりもするんですけどね。見られて困るような履歴があるわけではないのだけれど。

 それにしても、この郵便局員の「他人に対する興味」というのは、やっぱり異常なものです。自分の身近な人ならともかく、社会的地位や収入を捨ててまで、赤の他人の手紙を見たいというのは、やっぱり普通の価値観じゃないから。もっとも、そういうリスクが何もなければ「他人の手紙を覗き見したい人」というのは、もっと大勢いるとは思うのですけどね。
 ただ、彼の欲望が、果たして充足されていたのかと考えると、僕はやや疑問なのですが。基本的に「差出人の名前」で彼は女性を判断していたと思うのですが、現在では若い女性でメールではなくて「プライベートな手紙を書く人」って、かなり少数派なのではないでしょうか?ハアハアしながら封を開いてみたら、御高齢の方の読めないほど達筆な字で書かれていて、悲しい思いをすることも多かったと思うのです。そういうのが、彼の「覗き魂」に火をつけたのかなあ。
 もちろん、わざわざ手紙に書くような内容だからディープなものもあったのかもしれませんけど。

  WEB日記みたいに、「見せたい人」と「見たい人」の利害が一致するところで満足できればよかったのだろうけど、おそらく彼は、「手紙」というものにこだわりがあったのでしょうね。もしかしたら、「他人に見てもらいたい!」というWEB日記は、ちょっと違うと思っていたのかも。

 それにしても、2ヶ月間もこんなことをやっていて、しかも発覚した理由が「駅のコインロッカーから手紙が大量に発見された」ということですから、日本人の多くは、手紙が届いたかどうかは確認しない人、もしくは手紙が届かない理由が郵便局にあるとは考えない人、なのでしょうね。それって、すごい信頼度だよなあ。



2004年05月23日(日)
「私」という小さなスペース

「デッドエンドの思い出」(よしもとばなな著・文藝春秋)の中の一篇「おかあさーん!」より。

(食中毒で死にかけた主人公の女性が、「もし自分が死んでいたら…)と遺された恋人のことを想像して考えたこと)

【そしてゆうちゃんはあの、ふたりで借りた部屋にたったひとり。
 たったひとりで、ごはんを食べて、ふたりでいつも使っていたお皿を洗うのだろう。たったひとりでふたりのベッドに眠り、お休みの日はいつもふたりで行っていたプールにひとりで行って、帰りはいつも通りに本屋に立ち寄るだろう。
 そう思うと、涙が出てきた。
 いつか私よりもずうっと若くてかわいい女の人といっしょになって「昔、結婚しようとしていた女の人が、毒を盛られて死んでしまったんだ」とか話して、涙をさそい、ますますその人との絆をかたくしたりするんだろう。
 でも、それまでのゆうちゃんの毎日から、私は消える。お葬式も終わって、ひとりでふたりの部屋に帰っていくゆうちゃん。得意な掃除を自分のためだけにするゆうちゃん。もう私の作ったパスタが食べられなくなるゆうちゃん。
 私なんか、この世にいてもたいしたスペースはとっていない、そういうふうにいつでも思っていた。人間はいつ消えても、みんなやがてそれに慣れていく。それは本当だ。
 でも、私のいなくなった光景を、その中で暮していく愛する人々を想像すると、どうしても涙が出た。
 私の形をくりぬいただけの世の中なのに、どうしてだかうんと淋しく見える、たとえ短い間でも、やがて登場人物はいずれにしても時の彼方へみんな消え去ってしまうとしても、そのスペースがとても、大事なものみたいに輝いて見える。
 まるで木々や太陽の光や道で会う猫みたいに、いとおしく見える。
 そのことに私は愕然として、何回でも空を見上げた。体があって、ここにいて、空を見ている私。私のいる空間。
 遠くに光る夕焼けみたいにきれいな、私の、一回しかないこの体に宿っている命のことを。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も自分のことを「この世にいてもたいしたスペースはとっていない人間」だと思っています、いや、思っているつもりです。
 でも、この主人公の独白は、とても心に響くものだったのです。
 客観的にみると「人類に絶対必要な人間」なんて、ひとりもいないのではないでしょうか?要するに、その死に対して悲しむ人が多いか少ないかの違いだけのことで(まあ、後追い自殺とかしてしまう人もいるんですけど…)。
 「自分の葬式に出てみたい」なんて思う人はけっこういるらしくて、「そういう場でこそ自分の真の価値はわかる」と昔から言われているのですが、実際にさまざまな「死」に接していると、本当の悲しみというのは、あの告別式の読経のなかで顕れてくるものではなくて、そのあとの日常の風景のなかにあるもののような気がします。
 その人が使っていた食器とか、好きだった食べ物とか、とくに意味のないことが書いてあるメモとか、そういうものを目にしたときの「喪失感」というのは、本当に言葉にできないものだから。

 ゆうちゃんは、もしかしたらもう、同じ本屋やプールには行かないかもしれません。
 もちろん、彼女のことを思い出しながら行くかもしれないし、どちらが正しいとか、そういうことではないけれど、少なくとも、そこには「同じだけれど、同じじゃない日常」しかないものだから。

 その一方で、死にゆく人間としては、自分がいなくなっても変わらず続く日常を想像するというのは、なんとなく淋しくて悔しい気もするんですよね。
 僕自身も「失ってしまった人」のことを思い出して淋しく思うこともあるのです。そして、その人のことを思い出す感覚が少しずつ長くなっていく自分の冷たさに、よりいっそう淋しくなることもありますし。

 ひょっとして、人間というのは「自分がいなくなったら淋しく思っている人」を探して長い旅をしているのかもしれません。
 そして、そのために頑張って生きようとしている。

 それでも「生きている」というのは、ただそれだけでもかけがえのないことなんだな、僕はこの文章を読んで、そんなことを考えました。
 他の誰のものでもない、小さな小さな、僕のための大事な場所、それが今、ここにあるのだから。


 P.S.【いつか私よりもずうっと若くてかわいい女の人といっしょになって「昔、結婚しようとしていた女の人が、毒を盛られて死んでしまったんだ」とか話して、涙をさそい、ますますその人との絆をかたくしたりするんだろう。】という部分は、なんだか「世界の中心で、愛をさけぶ」に対する皮肉みたいで、僕はちょっとだけ笑ってしまいました。
 



2004年05月22日(土)
「山手線」vs「やまてせん」

「にほん語観察ノート」(井上ひさし著・中公文庫)より。

【もとより新しいことばを考えつくのは小説家や学者だけとは限りません。じつは、ごくふつうの市民もたいへんすぐれた考案家なのです。
 これはまちがって新しい言い方を発明してしまった例ですが、昭和の四十年代前半に、東京の国電(当時)に「山手線論争」というのがありました。山手線はもともと、「やまのてせん」と読むのが正しい。ところが、敗戦直後、進駐軍命令で駅の表示がローマ字表記になったとき、ペンキ屋さんたちが、ついうっかり”YAMATE LINE”と書いてしまい、それ以来「やまてせん」が通称になっていたのです。そしてこの論争の末に、ようやく山手線の読み方が、もとの「やまのてせん」に戻りました。】

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 僕は東京の人間ではありませんから、あまり深く意識したことはなかったのですが、「山手線」を「やまてせん」って読む人って、けっこう多いような気がしていました。たぶん「の」という助詞を入れるのが次第に面倒になってきた結果なんだろうなあ、なんて漠然と思っていたのですが、こんな「論争」にまでなっていたとは全然知りませんでした。
 世間には、僕が思っている以上に「こだわり」がある人がたくさんいるみたいです。
 でも、平成16年現在でも「やまてせん」と呼ぶ人がこれだけたくさんいるのですから、「読み方が戻った」というより、正式名称が「やまのてせん」に決定したというだけで、通称としての「やまてせん」というのは、ずっと残っていたのでしょうね。
 もちろん言葉の意味はわかりにくくなりますが、実際に発音してみると、確かに「やまのてせん」の「の」は、ちょっとまだるっこしい感じもしますから。
 「ファミリーコンピューター」が「ファミコン」になるというのは、あまりに正式名称が長いので自然な流れかな、という気がするのですが、「の」一文字くらいわざわざ略さなくても…とも思いますが。
 とりあえず、少しでも言いにくいことばは、どんどん省略されていく運命なのかもしれません。ペンキ屋さんの「書きまちがい」というのは、たぶん、そのひとつのキッカケにすぎず、もしそれがなくても「やまてせん」に向かっていくのが自然の流れというものだったのでは。

 ところで、実際に「山手線」を利用している都心の人たちが「やまのてせん」と正式名称で呼んでいる割合って、どのくらいなんでしょうか?



2004年05月21日(金)
「差別する人」と「差別される人」

「焚火オペラの夜だった」(椎名誠著・文春文庫)より。

【その店の厨房を覗ける窓口に珍しい風景があったのでカメラを抱えて身を乗り出したところ、隣にいた中国人の腕とぼくの腕がつい触れ合ってしまった。するとその男はぼくの顔と腕を眺め、なんともじつに露骨に嫌そうな、蛇蝎に触れたがごとく。顔を歪めてつい今しがた僕の腕に触れたところを自分の手でこびりついた汚れを払うようにしてなんどもこれ見よがしにこすり落とすのだった。
 あとで中国の諸事情に詳しい友人にそのことを話すと、それはおそらくあんたがチベット人に間違えられたのだろう、と笑いながら言った。彼は毎年のようにチベットに行っており、内政問題に詳しい。そして中国の大多数を占める漢民族による少数民族、なかんずくチベット人へのクルド、コソボ的な民族差別迫害の実態をよく知っている。
 沖縄の旅からすぐ上海に行ったのでぼくは日に焼けて真っ黒けであった。天然パーマのもじゃもじゃ頭といい、一回り大柄な体格といい、まさに全体がチベット人的であったようだ。それにしても日頃人種差別などを受けていないお気楽軟弱民族の我が身としては実に身をもって体験したささやかな国際的困惑であった。】

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 「差別はよくない」というのは、おそらく日本人の大多数が心に刻んでいる「常識」だと思うのです。しかし、その一方で、外国人に気軽に話しかけられる日本人はごく少数ですし、普段日本で生活していると「日本人だから」という理由で差別したり、されたりする機会はほとんどありませんので、「差別意識」というのは、あまり実感を伴わないものなのかもしれません。
 まあ、外国人だから積極的に話しかけなければならない、なんてのも、ある意味「差別」ではあるんですけどね。

 僕が一昨年アメリカに行ったときのことです。ちょうどその飛行機はほぼ満席で同行の人たちと離れてしまい、僕はひとりでアメリカ人青年の隣に座っていました。でも、その飛行機が離陸する直前に、彼はその席を離れて、近くの空いている席に移動してしまいました。確かに飛行機というのは、乗り継ぎがない便であれば、途中で人が乗り込んでくることはありませんから、彼がより広くて周りに人がいない席に移ったところで誰も迷惑はしないのですが。

 でも、僕は正直なところ、「それだけのこと」にすごくショックを受けました。たぶん、日本の国内便で、隣のオジサンが移動してしまった、という話であれば、「これで気分的にラクだな」なんて快哉をさけぶかもしれませんが、海外で同じことを隣の人にされると「ひょっとして、僕が日本人だから?」なんて考えてしまうのです。
 もちろん僕は彼が隣にいたからといって積極的に話しかけるような積極性も語学力もありませんし、実際に彼が席を移ったときホッとしたのは事実なんですけどね。

 この椎名さんが体験したような、露骨かつ意図的な「差別」というのは、僕たちが知らないだけで、きっと世界中にあるのだと思います。
 そしてたぶん「差別するのが当たり前」という感覚で生きてきた人もたくさんいるのです。
 そういう人に「差別は悪いことだ」と認識してもらうには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。

 それにしても、ただ「空いている席に移ること」だけでも、場合によっては「差別されたのでは…」なんて不快になることもあるんですよね。
 「差別する側にとっては何も考えずにやったことでも、「差別される側」にとっては、とても不安になったり、疑問に思うことって、かなり多いのだと思うのです。

 「他人を差別しないようにする」というのは、本当に難しい。そもそも、「この人を差別しないように…」なんて特別視すること自体が「差別感情」なのかもしれないですし。



2004年05月20日(木)
すきだったひと。

「毎日かあさん」(西原理恵子著・毎日新聞社)より。

【秋雨がふっているなか、入院中の元夫にあいにゆく。

西原「またお酒飲んだんだ。このあんぽんたんが」

元夫「かあしゃ」
西原「もうお母さんじゃないっ」

いちどはなした手は、もいちどにぎると、かるい。

元夫「もう行っていいっ」
西原「なんで?」
元夫「はずかしいからっ」

(病室から出て行く西原さんに)

元夫「もうねっ お酒やめるからねっ」
西原「うそつけっ」

(降りつづく雨の中を帰りながらの独白)

すきだったひとをきらいになるのは むつかしいなあ。】

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 文章だけ抜き出してしまったのですが、この「すきだったひとをきらいになるのは むつかしいなあ」という言葉のやるせないニュアンスは、西原さんの絵がないとうまく伝わらないものだと思います。機会があったら、ぜひ読んでいただきたいです。

 西原さんの元夫は、それなりに有名な戦場カメラマンだったのですが、お酒によるトラブルなどもあったようで、夫妻はは離婚という選択をし、2人のお子さんは西原さんが(お母さんと一緒に)育てておられるそうです。もちろん「2人が別れた本当の理由」なんていうのは、当人たちにしか(あるいは、当人たちにすら)わからないものなのでしょうけど。

 たぶん、世の中には「すきだったひとをきらいになる」というのを「そんなに難しくない」と思う人と「難しい」と思う人がいるのだと思います(さすがに「簡単」はいないだろうから)。それはもう、その人の性分みたいなもので、「時間が経てば経つほど愛着が湧いてくる」という人もいれば「飽きてくる」という人もいるのと同じことで。
 僕は、「あまり人を好きになることもなければ、嫌いになることもない」という傾向があるのですが、そういう人間にとっては「一度好きになる」というのは、ものすごく大きな意味があって、その人を「自分にとって特別な人間」だと認識する、ということなのです。なかなか好きにならないかわりに、一度好きになったらなかなか嫌いにならない、というより、嫌いになれない。
 逆に、「一度会ったら友達!」みたいなタイプの人は、こんなふうに感じることは少ないのではないかなあ。
  
 「誰かを好きになる」というのは、本当に難しいことだし、「好きだった人を嫌いになる」というのも、とても難しいことです。たぶん、「イヤだと思うようになったところも含めて、好きだった」のだろうし、変わってしまったのは、自分のほうかもしれないのだから。

 「それなら、嫌いになんかならなくてもいいんじゃない?」確かにそうかもしれません。
 でも、「嫌いになれたらラクになれるのに」と思うような状況だって、生きていればあるのです。
 なのに、そういうときに限って、キライになれない。
 心って、本当にもどかしくてやるせない。



2004年05月19日(水)
「そんなに暇ならその時間を私にください」

「ダ・ヴィンチ」2004年6月号の記事、マンガ家・一条ゆかりさんのロングインタビューの一部です。

【一条「”自分探し”で悩んでいる人たちは生きるとはどういうことなのか、ちゃんと感じ取れていないのでしょうね。何かやりたいことがあれば、それが自分の核となる。問題が起こっても、いつでもそこに戻れるから迷いはなくなります。私は小学校のときからずっとマンガ家になりたいと思っていたの。時間を無駄に使っている不良を見てはうらやましがっていたくらいだもの。そんなに暇ならその時間を私にください。私が有効に使ってあげましょう、って本気で思ってた(笑)」

 マンガ家になったときのために、自分に汚点は残したくないと学校の勉強も一生懸命やった。それだけ自身がマンガ家になるということを信じて疑わなかった一条さんだが、彼女にとってのプロのマンガ家は、地味で貧しいといったイメージだった。お金をたくさん稼いで、チヤホヤされるとはまったく思っていなかった。逆にマンガ家イコール貧乏、ミカン箱の世界を想像していたという。】

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 「少女マンガの女王」こと一条ゆかりさんのインタビュー記事です。ちなみに、一条さんは1949年生まれ、1968年にデビュー以来「デザイナー」「砂の城」「有閑倶楽部」などの大ヒット作を生み出し続けておられます。
 ……とか書いている僕が読んだことがあるのは「有閑倶楽部」くらいなんです、すみません。

 それにしても、マンガ家として大成功されている一条さんですから「結果論」と言えなくもないのですが、それにしても彼女のこの強烈なモチベーションというのは、凄みすら感じてしまいます。
 「そんなに暇ならその時間を私にください」なんて、小学生とは思えません。
 しかしながら、「創作の世界でプロになる人」というのは、やっぱりこのくらいの自負心がないとダメなのだろうなとつくづく感じました。
 以前、原田宗典さんが「僕は自分が作家になるに決まっていると確信して疑いをもたなかったし、そのためにできるかぎりの努力をした」と書かれていたのを読んだこともあります。
 本当にプロになれる人というのは、ごく一部の例外を除けば「マンガ家になれればいいなあ」とか「小説書いて印税生活したいなあ」というような漠然とした「夢」レベルの発想ではないのでしょう。
 それこそ「書かないと生きていけない」というような衝動が必要なんでしょうね。
 でも、大部分の人は、その「自分のやりたいこと」が見つからないために「自分探し」をしてしまうわけで、そういう意味では、一条さんは羨ましい人なのかもしれません。
 「やりたいことがあれば、自分だって頑張れる!」と思いながら、結局何もできずに、ボーっと日々を過ごしている人って、けっこう多いのではないかなあ。
 そう考えると、「自分」なんて「探せば見つかる」というようなものではなくて、ひょっとしたら生まれついての「運命」みたいなもののような気もしなくはないのです。
 「自分探し」なんてやっている時点で、すでに「負け組」なのかな…

 実際には、「一条ゆかりになれなかったマンガ家予備軍」は、語られないだけでたくさんいるのでしょうから、どちらが幸せかなんて、一概には言えないことだけれど。

 



2004年05月18日(火)
「ニート」という生き方

産経新聞の記事より。

【就職意欲がなく働かない、「ニート(NEET=無業者)」と呼ばれる若者たちが急増している。平成十五年は六十三万人と十年前の約一・六倍に増加、十五−三十四歳の約2%に上ると推計される。就職活動をしないことからハローワークなど公的機関経由の接触も困難。少なくとも働く意思はあるフリーターよりつかみどころがない存在で、職業人育成システムの再構築が必要になりそうだ。
 ニートの急増ぶりは、独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の小杉礼子・副統括研究員が、総務省の労働力調査のデータを分析して明らかにした。十五−三十四歳の比較的若い年齢層に限定、フリーターを除外し計算したところ、平成五年の四十万人から、十年後の十五年には六十三万人に急増し、対象年齢層の約2%に上ったという。
 この分析結果を踏まえ、小杉研究員は、若者への就業支援を行っている民間企業、地方公共団体施設などを対象に、ニートの実態などについて聞き取り調査を行った。
 その結果、ニートの例では、親に“パラサイト(寄生)”して生活しているケースが多く、現金が必要になると、一、二日の短期のアルバイトをしてしのいでいる−などの生活スタイルが浮かんだ。
 若者の就業をめぐっては、フリーターが内閣府調査で全国で約四百十七万人にのぼり、税収減、年金制度など経済、社会への影響が懸念され国が対策に手をつけたばかり。
 小杉研究員は、「日本社会がこれまでもっていた次世代の職業人を育成するシステムが機能しなくなったことをまず社会全体が認識する必要がある。その上で、学校、産業界、行政が連携してシステムを再構築しなければならない」と指摘している。
                  ◇
≪社会の不安定要因に≫
 「パラサイト・シングルの時代」などの著書がある東京学芸大の山田昌弘教授(家族社会学)の話「アルバイトとか夢をもっているフリーターのほうがまだましで、『どうなってもいいや』という人が増えることは、社会における不安定要因になる。これだけ努力したら、こんな職に就けてこんな生活が待っているといった将来の見通しがつけられるような総合的対策が必要だろう」
                  ◇
≪ニートとフリーター≫ ニートは「Not in Employment,Education or Training」の略語で英国の労働政策の中から生まれた言葉。一方、フリーターはフリーのアルバイターの意味の造語で、定職につかず、短期のアルバイトなどをして暮らす若者ら。長引く不況下で企業が正社員採用を手控える中で増加した。】

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 この「ニート」という言葉、産経新聞の一面に載って急速に広まってきたような印象があります。
 確かに、普通に働いている人間にとっては、「働けるのに働かないなんて!」という苛立ちもありますし、みんながそんなふうになってしまったら、この先どうなってしまうんだろう?という不安もあるんですよね。
 その一方で、企業のほうも「安くて使い捨てにできる」というフリーターを利用して、人材を育てる努力を放棄してきたという一面もありますけど。

 「昔はみんなもっと一生懸命働いていた」というのは、大人の常套句なのですが、確かに原始時代に「引きこもり」や「ニート」はいなかったと思います。もちろん「フリーター」も。少なくとも「働かないと食えない」という状況になれば、大部分の人間はなんらかの行動を起こすもので、文字通り「座して死を待つ」というほど悟った人というのは、現代社会にもほとんどいないでしょう。
 そういう意味では、現代は「ニートでも生きていける、恵まれた社会」なのかもしれません。
 考えてみると、「労働は尊い」というのは僕たちにとって「後天的に植えつけられたイメージ」という面はありますし、もしそういう教育を受けていなかったら「働きたい!」と真剣に思うかどうかは怪しいような気がしませんか?
 だいたい今の社会では、家にじっと引きこもっていてもテレビやビデオやゲームやインターネットなど、とくに退屈しないのかもしれないですし。
 もちろん、「人とふれあうのが好き!」というタイプの人もいるでしょうけど、「ふれあわずにすむのなら、そのほうがいい」と感じている人だっているのです。
 現代は、人々の生き方が変わったというよりは「そうやって生きることが可能になった時代」というだけのことなのかも。

 ただ、僕はこんなふうにも思うのです。
 「あまりにも多様で寛容な価値観」というのは、こういうところにも影を落としているのではないかなあ、って。
 今は「勤労は美徳だ」とか「人のために尽くすのは正しいことだ」とかいうような「道徳的な思想」というのは人々に刷り込まれることはなく、「働かないという選択肢もある」とか「フリーターとしての自由な生活」なんていう「多様な価値観」というのが常識化しています。
 「ちゃんと定職を持って働け!」なんて説教されたら「オヤジ、頭が古いよ、今はこれが当然なの!」とか言い返されたりしそう。
 しかしながら、前にも書きましたが、フリーターというのは、企業にとっては「人材としての責任を持たなくてもいい、使い捨ての存在」なんですよ。もちろん、企業側はそんなこと口には出しませんが。
 やっぱり何かをやろうと思うのなら若ければ若いほとスタートは有利ですし、手に職があるに越したことはないのです。本当は企業のほうだって、長い目でみれば、ちゃんと次の世代の人材を育てていったほうがプラスになるに決まっているのです。
 「100円(今は105円、ですね)ショップは安い!」からといって、消費者がみんな、倒産した会社の商品を集めた100円ショップでばかり買い物をしていたら、いつかは100円ショップに商品を供給する会社が無くなってしまいます。不況のせいで、「とりあえず生き延びる」というための選択をしてきた会社も多いのでしょうけど。

 そして「ニート」のなかには、「就職に失敗して、自分に自信が持てなくなった」という人がかなりいるらしいのです。そういう人たちを「どうして働かないんだ!」と責めるは、ちょっと酷な気もするのです。
 だけど、社会人というのは、みんなある種の「無力感」を背負って働いている人がほとんどなのです。実際にこの世の中に「この人がいないと地球が滅亡する!」なんて人間はひとりもいませんし、医者としての僕にだって、急にいなくなれば一時的にはみんな困るかもしれませんが、代わりはいくらでもいます。天皇陛下にだって松浦亜弥だって、けっして「必要不可欠」ではないのです。
 「社会に必要とされる人間」だというのは、結局のところ「自分の思い込み」でしかないですし、そういうふうに実感するには、自分で自分の存在を証明していくしかないのだと思うのです。残念ながら、僕にはまだそれだけの自信はありませんが。
 
 「ニート」なんて特別な呼び方をしなくても、ほんのちょっとしたなりゆきで、そういう状態になっている普通の人がほとんどだと思うし、僕だってそうならなかったとは限らない、そう感じます。
 まあ、だからこそ「やればできるはず!」とか考えてしまうんですけどね。



2004年05月17日(月)
「人形の秀月」のふしぎ

共同通信の記事より。

【「人形の秀月」としてテレビCMで有名な秀月人形チェーン(東京都台東区、資本金5000万円)と関連会社1社は17日、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。民間調査会社の帝国データバンクによると、負債総額は2社合計で37億円。少子化の影響で、主力商品の節句人形の販売が低迷したのが原因。
 同地裁は加茂善仁弁護士を監督委員に選任した。秀月人形チェーンは1994年、バブル期の不動産投資で過剰債務に陥った旧秀月人形チェーン(1930年創業、現三京総本社)の販売部門が分離され、設立された。
 97年6月期には、売上高が145億円に上っていたが、少子化に加え、デフレ下で高額の人形の販売が振るわず、2003年6月期の売上高は、70億円にまで半減していた。】

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 僕は子供の頃から、ものすごく疑問だったのです。
 たまに旧い商店街などを歩いていると、全然お客さんの気配がないような店って、けっこうありますよね。それも、昔からあるような。
 ああいう店って、どうやって生計を立てているんだろう、って思ったことはありませんか?
 いろいろな話を聞くにつれ、そんなに贅沢をしなければ、ご近所への配達とか常連さんとかで、なんとかやっていけないこともないようではあるのです。ある程度歴史がある店で、固定客がいたり借金が無かったりする場合、もしくはお年を召された店主の半分道楽のような店なら、ということなのですが。
 実際、通学路のお客さんの姿を見たことがない店とかでも、結局、中学入学から卒業までずっと営業してはいたりもするのですから、小さな商店なんていうのは、そんなにお客さんが多くなくてもやっていけるか、もしくは、僕がその店に関心を示した時間は、その店に営業時間にとってのごくごく一部だった、ということなのでしょう。

 ところで、当時のいちばんの疑問は「仏具店」と「人形店」というのは、本当にやっていけるのだろうか?ということでした。
 この両者は、けっこう立派な店構えをしている割には駐車場が満車なのを見たこともないですし、店内にお客さんがいれば「あっ、人がいる!」とちょっと注目してしまうくらいです。
 デパートの「ひな祭りフェア」とか「五月人形フェア」の際には比較的大きなスペースが割かれていますが、それにしても季節モノの商品ではあるし、なんといっても最近は「節句のお人形」というのがそんなに売れるとも思えませんし。
 考えてみたら、今年の端午の節句(子供の日)だって、鯉のぼりをほとんど見なかったような気がするのです。高速道路から見た一匹、とか。
 僕が住んでいる田舎でさえそうなのですから、都会ではもう、惨憺たるものではないかなあ、と。

 このニュースで、「やっぱり苦しかったんだなあ」ということをあらためて実感しました。大事な日本の文化でもありますし、残ってもらいたいけれど、やっぱり時代に合わないのでしょう。親は人形をあげたくても、子供は「プレステ2のほうがいい!」というのが本音かもしれないし。
 むしろ、今までよく頑張ってきたなあ、と考えるべきなのかも。

 それでも、まだ70億円も売れてるのか!とちょっとビックリしたのですが、プレステ2の「ドラゴンクエスト5」は、定価7800円で100万本出荷されてますからねえ…



2004年05月16日(日)
味よりもイメージを食べていることだってある。

共同通信の記事より。

【軟らかく低カロリーで、欧米では高級食材のシカ肉。北海道阿寒町議の曽我部元親さん(37)らが、北海道のエゾシカ肉を普及させようと釧路全日空ホテルとエゾシカバーガーを開発、販路拡大を目指している。
 エスニック風など3種類のバーガーは「癖がなく食べやすい」と好評で、同ホテルはレストランメニューに検討中。8月には、阿寒湖畔のホテルなどで試験販売する。
 北海道東部だけで推定16万頭いるエゾシカは、愛くるしい姿で観光客に人気。しかし木の皮を食べたり、農作物を荒らしたりする被害は年間約30億円に上り、北海道は年に約3万頭を駆除している。その肉を有効利用しようと曽我部さんらが企画した。
 解体処理施設や衛生基準の不備などで、シカ肉の安定流通への道のりは遠い。曽我部さんは「あと10年かかっても、家庭の食卓にシカ肉が並ぶようにしたい。子どもたちが喜ぶバーガーがその第一歩になれば」と話す。】

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 僕はシカ肉を食べたことはない(と思う)のですが、確かにヨーロッパのほうでは高級食材みたいです。そして、「軟らかく低カロリー」なら言うことなし、という感じなのですが。
 でも、その一方で、「シカの肉」というのは、果たして僕にとっては「食べたくなる食材」かと問われたら、正直なところ「うーん」と考え込んでしまうものでもあるんですよね。シカといえば、中学校の修学旅行で行った奈良のシカの姿を思い浮かべてしまいますし、だいいち食べ慣れていませんから。
 もともと、食べものに関しては、保守的なんですよね。

 「バーガーの肉」といえば、僕が中学校の頃ですから、もう20年近く前になりますが「マクドナルドのハンバーガーは、ミミズの肉でできている」という都市伝説が蔓延した時代がありました。「店の厨房でミミズを見た!」という事情通の証言や「生のミミズが残っていた!」なんていう目撃証言まで流通していたのですが、考えてみれば「ミミズ」なんて特殊な素材を使うとなると、牛肉よりむしろコストがかかるでしょうし、非現実的な話ではあるんですけど。
 ただ、考えてみると、マクドナルドのハンバーガーが「ミミズの味がする」というのが問題ではなくて、「味は同じでも、材料が牛肉ではなくて、ミミズ肉だと気持ち悪い」というのは、不思議な感情なのかもしれません。毒でもないかぎり、同じ味のものであれば材料がなんであれ、美味しいものは美味しいし、美味しくないものは美味しくないはずなのに。
 それでもやっぱり、たとえ同じ味だったとしても「材料がミミズ」だと思ってしまうと食べられなくなるものなんですよね、きっと。なにしろ、ミミズの味なんてわからないし。
 逆に「日頃口にしている肉だ」と思い込んでいれば、人間の肉だって「美味しい!」とか言いながら食べてしまう可能性だってあるのです。いや、そういう想像をするだけで気持ち悪くなりますが。
 
 シカ肉、という食材は、今のところ「ボーダーライン」くらいなんですよね、正直なところ。僕はわざわざ「シカバーガー」を選ばないだろうなあ、と思います。「癖が無くて食べやすい」というのは「美味しい」というのとは、ややニュアンスが異なるような気がするし。
 とはいえ、年間3万頭も「駆除」されているという現状だと、確かに「食べたほうが後生だ」と言えなくもないよなあ。子供に「シカバーガー」というのが受け入れ易い食べ物かどうかはともかくとして。



2004年05月15日(土)
タランティーノが北京を知るためにやったこと。

映画「KILL BILL vol.2」のパンフレットより。

(ビル役を演じた俳優・デヴィッド・キャラダインが、「キル・ビル」の監督であるクエンティン・タランティーノについてコメントしたものの一部です)

【「彼(タランティーノ)は、自分の中に満足感を求めていて、周りが満足するかしないかは二の次だ。彼が持っている、映画に関する膨大な知識はすべて自分のための自分のもので、誰かを満足させようと思って培って来たものじゃない。その知識をいろいろな形で使うわけだが、それをいかに使うかは彼自身のオリジナルだ。彼にとっては自分自身が満足できるというのが、一番の、唯一の目的なんだ。そして撮影現場を一歩離れると……パーティ男になってるよ(笑)。週末にはパーティして朝方までディスコして、その後ホテルの部屋にみんなを連れてきて、今度は映画を観せようって言う始末さ(笑)。それに彼の北京を知る方法っていうのがユニークでね。ホテルで自転車を借りて出かけて、わざと道に迷ってしまう。そうやって何とかホテルに帰ってくることで北京を知ろうってことなんだ。まさに奇人変人だよね(笑)」】

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 世の中には「オレって(あるいはワタシって)変わってるからさあ…」なんて、自分の奇人変人ぶりをアピールしたがる人って、けっこういるような気がします。しかしまあ、自分でそう言う人たちの「変わっている」っていうのって、所詮「マイナーメジャー」と言われるような通が好む(とされている)アーティストが好きとか、ちょっと変わった小説や芸術作品が好き(女性の場合は、セクシャルなものへの抵抗がない、というのをアピールする人が多いみたい)なんていうレベルで、要するに「典型的な『変わっている人』であったり、あるいは「自分のワガママを主張するための予防線」であったりもするわけです。
「他人と違う、特別な自分」を本人はアピールしているつもりでも、周りからみれば「ああ、こういう人いるいる」とちょっと眉間に皺が寄る程度のもの。
このタランティーノ監督についてのインタビューを読んで、僕は、あらためて思いました。この人はやっぱり「本物の奇人変人」だと。
「ヘンなことを他人にアピールするためにやる人」というのは、全然「変わった人」ではなくて、「ヘンなことを大真面目にやってしまう人」こそが「奇人変人」なのだ、と。
要するに、自分で「オレって変わってるんだよね」なんて言っている時点で、すでに「普通の人の守備範囲」なのではないでしょうか。

それにしても、この「タランティーノ監督が北京を知るための方法」というのは、常識はずれというか意味不明というか…確かに異国で道に迷えば真剣に街並みを覚えようとはするでしょうけどねえ。これってかなり危ないし、怖いんじゃないかなあ。自己スパルタ教育、とでも言えばいいのか…

まあ、「本物の奇人変人の行動」というのは、カニバリズムとか幼児嗜好とか、そういう反社会的なものでなければ、観ている側には興味深いものではあるんですけどね。
むしろ「自分が特別な人間であることをアピールしたい、ニセ奇人変人の行動」のほうが、かえって鼻についたり、迷惑だったりすることもあるわけで。




2004年05月14日(金)
サケの死因と「人類」としての矛盾

「感染症病理アトラス」(堤寛著・文光堂)より。

【サケは、急流をさかのぼり、排卵および射精をするとまもなく死亡する。下垂体前葉壊死による急性下垂体機能不全症が死因である。セミも交尾・排卵を終えると、その短い生涯を閉じる。がんを含めた成人病が50歳以上のヒトに急激に増加するのは、いってみれば、きわめて自然な現象なのである。医療を始めとするさまざまな人間科学の進歩・普及は、間違いなく私たち「人間」(個人)の生活に快適さをもたらしてくれているが、いったい、「人類」という哺乳動物の種の保存に本当に前向きに貢献しているといえるのだろうか。】

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 僕はサケが生まれた川をさかのぼって死んでしまうのは、「体力の消耗」が原因だとずっと思っていました。サケの死因が「急性下垂体機能不全」だったというのは驚きです。
 考えてみれば、本当に疲労が原因であれば、どんなにサケが力を振り絞って排卵・射精をしたとしても、体力のある個体は生き延びそうですものね。

 確かに、「種として長続きすること」というのを考えると、現在の人類が行っている「医療」という行為は、過剰なものなのかもしれません。「種を存続する」という観点からは、生殖が不可能な年齢になってから何十年も生きるよりは、生殖不能になるのと同じくらいに死を迎えて世代交代していくほうが、食料や環境のためにはプラスなのかもしれませんし。
 少なくとも、「生殖不能になってから長生きする」というのは、「人類」という動物の「種の保存」にとっては、そんなに大きなメリットではないんですよね。逆に、医学や衛生観念が発達する前の時代は、人間は「種として死ぬべきときに死んでいた」と言えなくもないのです。
 人間は一度にたくさんの子供を生めませんし、サケのように誰かに守られたり、教えられたりしなくても大人になれる(そのかわり、生存率はものすごく低い)生き物ではありませんから、「排卵および射精」をすると死亡、というわけにはいきませんけど。

 しかしながら、人間が「文化」というのを持っているのは、ひょっとしたら、この「動物としてはオマケの時間」の賜物なのかもしれないですね。
 そういう、本来はないはずの時間を少しでも充実したものにするための、一種の代償行為という面もあるのでしょう。「灰になるまでオンナ」とか言うけれど、そこまでいくと「本能」というより「観念」のような気がするし。

 ただ、「種としての人類」はさておき、自分自身のこととなると、やっぱりみんな「なるべく元気で長生きしたい」「死にたくない」というのが本心なのではないでしょうか。
 そう考えると、これ以上の医学の進歩は、「人間」には貢献できるのでしょうけど、「人類」にとってプラスになることなのかどうかは、なんともいえないところです。

 戦争で何人もの子供が爆弾1個で命を落としている一方で、1人の年老いた命を助けるために何人ものスタッフが不眠不休で努力しているというのは「種としての矛盾」ではあるのでしょうね。
 とりあえず目の前のことをなんとかするしかない、というのも、ひとつの現実ではあるのですが。




2004年05月13日(木)
雅子さまをバッシングした人々

共同通信の記事より。

【13日付の英紙デーリー・テレグラフは、皇太子さまが雅子さまについて「外国訪問がなかなか許されず、キャリアや人格を否定する動きがあった」などと語ったことを取り上げ「宮内庁は世継ぎの男児出産までは外遊に反対だとみられている」と報じた。
 記事は「皇太子、息の詰まる皇室に疲れた病妻に心痛」との見出しを掲げ、皇太子さまの記者会見の内容を紹介。外交官から皇太子妃となった雅子さまの経歴や、現在の皇室典範が皇位継承を男性皇族に限定していることなどを伝えた。】

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 皇太子さまの「雅子さまのキャリアや人格を否定する動きがあった」という発言は、当事者からのあのような発言が前代未聞であったということもあり、大きな波紋を呼んでいます。
 これらの「雅子さまバッシング」に関して、現在宮内庁やマスコミが責任を問われているのですが(まあ、残念ながら、マスコミは自分たちの報道姿勢に対してはあまり反省してはいないようですけど)、僕は正直なところ、宮内庁とマスコミばかりの責任ではないだろうな、と思うのです。
 僕にだって、その責任のわずかな一端はあるのではないかなあ、とも。
 雅子さまの前に秋篠宮さまと結婚された紀子さまは、僕が羨ましくなるほど清楚で慎ましい感じの女性でした。そのイメージは今でも変わらないし、当時高校生だった僕たちは、「紀子さんいいよなあ…」と語りあったものです。日本の男の大部分にとって、紀子さんはストライクゾーンのど真ん中だったような気がします。
 しかし、雅子さまが皇太子妃に決まったときの僕らの反応は、やや微妙でした。東大卒の才媛で海外生活が長く、有能な外交官。容姿も失礼ながら紀子さんよりも華やかで端麗。それでも、そういう「完璧さ」というのは逆に、僕の周りには雅子さんに「あんなキャリアウーマンみたいな人に、『皇太子妃』が務まるのだろうか?」という否定的な声が多かったのです。男にとっては、「高嶺の花」であり、完璧ならざる人々にとっては「コンプレックスを刺激させられる対象」だったのかもしれません。
 まあ、秋篠宮妃と皇太子妃というのは違いますし、美智子皇后の際もひょっとしたら世間の反応というのは、そんなものだったのかもしれませんけど。

 「男の子が産まれない」ことについて非難をしていたのは、実際のところ宮内庁の旧態依然とした人々だけではなくて、市井の普通のおばちゃんたちからも「雅子さまはダメねえ〜」という声をときおり耳にしました。女性週刊誌の影響なのかもしれませんが、少なくとも「子供を産むことについては、自分のほうが上」というような優越感もあったのかもしれません。雅子さまが皇太子さまの発言に「付け加えますと」と言ったことに対しても、皇室とは縁もゆかりもない一般庶民たちが「慎みがない」と批判をしていたり。

 「あんなに綺麗で、東大卒で頭が良くても、皇太子妃としてはダメじゃない!」というような、人々の内心の声こそが「雅子さまバッシング」の源泉なのではないかな、と僕は感じているのです。「マスコミは皇室と長嶋茂雄さんの悪口は書かない」と言われていますが、雅子さまバッシングの記事があれほど紙面を賑わしているのは、マスコミにとっても「アンタッチャブルな存在」ではない、ということを意味しているのかもしれませんし。
 「外交官としてのキャリアを生かした、新しいお妃像」を志向していたはずの雅子さまに宮内庁の人々や多くの国民が求めたのは、結局「伝統的な日本の家族の光景」である「一歩下がって夫や家族を支える」という「受け継がれてきたお妃像」だった、というのが、ひとつの結論なのだと思います。
 いまや「日本の幸福な家族のサンプルケース」というのが存在意義となった皇室に求められる「仕事」は、そんな「失われた理想の家族像」を現世に受け継いでいくことなのでしょうし。
 
 「人間的な皇室像」というのを求める一方で、真夏日にあの笑顔で人々に手を振る姿を求めるのは、やっぱり矛盾というものです。「開かれた王室」とか言いながら、某国王室のように暴露合戦、スキャンダル三昧な皇室像を日本人の多くは望まないでしょうし。
 「皇太子妃」というのは、「雅子さまには最も向かない仕事」だったのかもしれない、なんて考えてもみるのです。
 皇太子さまとのあいだに、どんなに深い愛情があったとしても…
 
 僕も自分の中に「そんなかわいそうな状況に追い詰められている雅子さま」に対する「せっかくのキャリアを生かせずに大変ですね」というような、「同情という名の優越感」の存在を感じて、イヤになってしまいます。
 本当は、皇室の内部事情というのは、自分の人生には関係ないはずなのに、そこに何かを投影してしまっている人々が、なんと多いことか!

 まあ、「皇室の旧弊」なんて言うけれど、皇室なんていうものは「伝統を守る」というのが重要な役割でもあるわけですから、改革というのは難しいところなのでしょうけど。
 
 「転職」できるならしたいんじゃないかなあ、「お妃」以外だったら、どんな仕事でもできそうだもの、雅子さま。



2004年05月12日(水)
「無言の約束」

「キャッチボール〜ICHIRO meets you」(「キャッチボール〜ICHIRO meets you」製作委員会著・糸井重里監修)

(糸井重里さんが書かれている、この本の前書きより)

【野球部のない学校にいながら野球をやりたかった少年イチローの練習相手を、おとうさんがした。
 ふたりは、休まず練習しようという約束を守って、小学校二年生の終わりの頃から、六年生の終わりの時期まで、ほんとうに四年間、一日も休まずに練習を続けたという。
 どちらかが約束を守ろうとしなかったら、簡単にその約束は守られて締まったのだろうと思う。
 ぼくのような人間でさえ、毎日、誰かに何かを書く仕事を続けていられるのは、読んでくれる人が、毎日グラウンドに来て、相手をしようと待ちかまえてくれているからだ。
 どんなノックでも、どんなボールでも、受けてくれる相手が必ずいるとわかっていたら投げますよ、打ちますよ。だって、それが、ちっともイヤじゃないんだし、無言の約束になっているんだから。】

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 ほんとうに当たり前のことなのですが、あの「天才」と呼ばれるイチローでさえ、たぶん自分ひとりだけの力では、野球の才能を開花させることはできなかったのでしょう。
 イチローと彼の父親との猛練習は、今となっては伝説化しているのですが、「まだ本当に野球の才能があるのかどうかわからない」自分の子供と四年間、一日も休まずに一緒に練習したお父さんは、本当に(いろんな意味で)凄いなあ、と思います。「偉い」というのとは、ちょっと違うような気もするけど。
 「毎日練習すれば、この子はすごい野球選手になる!」という決まった未来があるなら、どんな親にだってできることなのかもしれないけれど、子供の頃のイチローにあったのは、単なる「可能性」でしかなかったのですから。

 糸井さんは、日本でいちばん有名なコピーライターのひとりであり、「ほぼ日刊イトイ新聞」というWEBサイトを主宰されているのですが、糸井さんはこの文章の中で、「自分の投げた球を受けてくれる人」=「無言の読者」に対する感謝を捧げておられます。
 相手がいないとキャッチボールができないように、どんなすばらしい文章でも、「読んでくれる人」がいなければ存在意義というのは薄れてしまいます。
 「自分は書くことが好きだから書いている」というスタンスは、確かにあるとは思うのです。しかし、どんなに野球が好きでもずっと毎日ひとりで練習するのが困難なように、やっぱり「読んでくれる人」の存在というのは、継続する気持ちを支えてくれるものではないでしょうか。
 もちろん「書き手」が「受け手」に対して求めるものというのは人それぞれで、文章の「書き手」であれば「読んでくれればいい」「感想が欲しい」「お金にならなければ無意味」など、求めるレベルも違ってくるようです。
 イチローの活躍は一緒に練習してくれたお父さんのおかげだし、糸井さんの仕事は、多くの読者の応援の賜物なのですよね。いくらお金がもらえても、お金だけのために文章を書いていくのは、ちょっと虚しい。

 人がひとりで何かを続けていくことは、本当に難しい。
 そしてときには、「すばらしいキャッチャー」が、普通のピッチャーを好投手に育ててくれることもあるのです。

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 手前味噌で申し訳ないのですが、「活字中毒R。」は、20万カウントを超えました。もちろん数字がすべてではありませんが、こんな拙い文章をずっと「受け続けて」くださった皆様に、篤く御礼申し上げます。
 



2004年05月11日(火)
植草さんの解任と早稲田大学という職場

読売新聞の記事より。

【早稲田大学は、経済評論家で早大大学院教授の植草一秀被告(43)を解任した。理事会が今月7日に決議した。

 植草被告は女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして、先月28日に東京都迷惑防止条例違反(迷惑行為)の罪で起訴されており、早大は「教育上の影響や社会的責任を考慮した」と説明している。】

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 「あんな変態行為をはたらいたのだから、解任は当然」というのが、世間の大部分の見方なのでしょうね。僕も正直なところ、本人がいくら「天地神明に誓って無実だ」と主張していたところで、状況証拠が揃ってもいるし、既往歴もあるんだから、往生際が悪いなあ…とか思うんですけどね。
 ただ、その一方で、この早稲田大学の対応については、「ちょっと冷たいのでは?」とも感じるのです。
 植草さんは早稲田大学の教授として勤務されていたわけで、世間から「早稲田はそんな犯罪者が教授なのか?」と後ろ指をさされるのは、天下の名門大学にとって、不愉快極まりないことだということは想像できます。
 しかしながら、彼自身は今のところ容疑を否認しているわけですし、今の時点で解任しなくても、裁判の結果が出るまで待ってあげてもいいんじゃないかなあ、と思いませんか?オウム裁判みたいに長引く裁判ではないでしょうし。
 世間の人々が、植草さんに対して「変態!」という罵声を浴びせるのには、仕方がない面もあると思うのです。でも、せめて一緒に仕事をしてきた「身内」くらいはねえ。僕が彼の立場だった。ら、すごく切ないと思うんだけどなあ。万が一、「痴漢冤罪」だったらどうするんだろう?とか。
 (残念ながら、尾行していた捜査員に現行犯逮捕されたらしいので、その可能性は低そうですが、それでも可能性はゼロではない。)
 三菱自動車のように「閉鎖的な会社が庇い合って顧客を欺く」というのは、日本社会の大きな問題ではあるのですが、この植草さんの場合は、少し待ってあげても危険があるわけではないですし。

 いくら「世間の非難から逃れるため」とはいえ、早稲田大学は、もうちょっと寛容な態度をとってもいいのではないかと思うのです。判決が出るまでは、罪が確定したわけではないのだから。罪が確定する、もしくは本人が罪を認めるまでは、処分を待ってもいいのではないでしょうか。
 「身内を庇いすぎる」のはみっともないけれども、ちょっと見捨てるのが早すぎるのではないかなあ、なんて。
 僕も大学勤めをしたことがあるので、そういう世間の非難に対して、身内をアッサリ切り捨ててしまうような体質には、それはそれで不安も感じてしまうんですよね…
 そういうのが僕の「甘さ」なんだろうな、とはわかってはいるんだけど。



2004年05月10日(月)
「Winny」は包丁か、それとも拳銃なのか?

毎日新聞の記事より。

【パソコンのファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を開発し著作権のある映画やゲームソフトなどの違法コピーを手助けしたとして、京都府警ハイテク犯罪対策室と五条署は10日、著作権法違反ほう助容疑で東京都文京区根津、東京大助手、金子勇容疑者(33)を逮捕した。金子容疑者の自宅など数カ所の捜索にも着手した。東京大大学院情報理工学系研究科も近く、捜索する。ファイル交換ソフトの開発者が逮捕されるのは国内初で、世界的にも異例という。
 調べでは、金子容疑者はそれまでインターネット上で流通していたファイル交換ソフト「WinMX」よりさらに匿名性が高いソフトを開発しようと計画。02年4月にインターネットの掲示板「2ちゃんねる」にソフト開発を発表し、同5月に自身のホームページに「ウィニー」ソフトを無料で公開。03年11月、著作権のある映画やゲームソフトをインターネット上に無断で公開したとして府警が摘発した群馬県高崎市の自営業者(当時41歳)と松山市の無職少年(同19歳)=同法違反罪で今年3月、有罪判決=の違法行為の手助けをした疑い。
 金子容疑者は同掲示板などで「ネット上でデジタルコンテンツが取引されるのはやむを得ない」と発言。「自らが著作権侵害をまん延させることで新たなビジネスモデルを模索できる」などと主張し、236回にわたって「ウィニー」のバージョンアップを繰り返していたことから、府警は違法性を十分認識していたと判断した。】

記事全文はこちらです。

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 僕は「Winny」というソフトのことは知ってはいるのですが使ったことはありません。
 使わなかった理由は「とくに必要性を感じなかった」というだけのことなのですが。
 実際に使っている人に聞くと「面白くてやみつきになる」そうですけどね。
 ちょうど「アナログからデジタルへ」の過渡期に生きてきた僕にとっては、「違法コピー」というのは、常に身近なところにあったような気がします。
 最初は、パソコン(当時は「マイコン」とみんな読んでいましたが)のゲームソフト。当時から5千年〜1万円くらいしていたマイコンのゲームは、当時のマイコン少年たちにとっては高嶺の花で、多くのユーザーは「レンタルショップ」でゲーム(+コピープロテクトを外すソフト)を借りて、ゲームをコピーして手に入れていたものです。中には、ゲームで遊ぶことより、「プロテクトを外すこと」のほうに面白味を感じるようになってしまった人もいたみたいですが。
 「貸しレコード」の場合は、デジタルデータのような「完璧なコピー」ではないにしても、やはりみんなそのレコードをカセットテープに録音して聴いていたものですし。
 でも、パソコンのゲーム業界は、コピーによって衰退の一途を辿りました。
 どんな良質のソフトもあっという間にコピーが出回ってしまって、開発者には利益をもたらしません。そして、真面目にオリジナルを買おうという人は、そのオリジナル版の値段の高さに二の足を踏んでしまいます。
 「真面目に商品を買ってくれるユーザーが、違法コピーしているユーザーの分まで払わなければならないような価格設定」では、真面目に買おうとする人はバカバカしいと思うでしょうし、「儲からない」「食えない」のなら、開発者だって「やってられない」のです。
 それで結局、パソコンゲームの世界は衰退の一途を辿ったのです。
 もちろん、ファミコンをはじめとする家庭用ゲームの繁栄で、その居場所を失ったという背景もあるにせよ。

 現在は「CDが売れない時代」だと言われています。コピーコントロールCDでもなければ、普通の家庭用パソコンで簡単にCDが複製できるようにもなりましたから、売り上げが落ちるのも当然といえば当然でしょう。ただ、あのコピーコントロールCDというのは、CDを買う側からすれば、「どうして自分で金を出して買ったCDなのに、自分のパソコンで仕事中に聴けないんだ!」というような苛立ちもあるのです。

 「匿名性が高いファイル交換ソフトを開発・公開することは犯罪なのか?」というのは、非常に議論が分かれるところです。今回の件でも「開発者が著作権法に対する挑戦的な言動を繰り返していなければ、逮捕という結果にはならなかったかもしれませんし。

 「よく切れる包丁で人を刺したからといって、包丁の作者は罪に問われるのだろうか?」とパソコン好きの友人に僕は尋ねたのですが、彼は「Winnyは、包丁というよりむしろ拳銃みたいなもので、『使用目的が限定される』から、仕方ないかもね」と答えてくれました。
 しかし、「Winny」でやりとりされるものが、著作権フリーのオリジナルのファイルであれば、それは拳銃ではないはずですし、問題は作者だけではなく、利用者にもありそうな気はするのですけどね。それでもやっぱり、「拳銃」をタダで配ったりするべきではないのでしょうか?

 コピーをめぐるいたちごっこは、それこそ20年くらい(まあ、贋作とかパクリとかそういうレベルまでいくと、有史以来とかになりそうですが)も続いているものだし、そう簡単に無くなるものではないでしょう。
 ただ、「パソコンゲーム」というひとつの文化の盛衰を見てきた人間としては、やっぱり良いものを創った人間にはそれなりの対価が与えられるべきだと思うし、「コピーしたほうが得!」みたいなのはやっぱり危険だと思うのです。
 違法コピーのせいで、良質の音楽や映画ソフトが失われたら寂しいことこの上ないですし。
 そして、今までのメーカー側の「買ってくれる客」にばかり負担をかけるような方法も間違ってはいるんですよね。正直者がバカを見る、というのは、腑に落ちない。

 メーカーも買い手も、「良識」が必要な時代になってくるのは間違いありません。今後は「技術的にコピー不可能」というのは、ほとんど実現できないレベルの話だと思うし。
 
 でもねえ、「1998年に比べて、去年のCDの売り上げは3分の2になった」と言われていますが、実際に3分の2の人々は、こんな「タダ同然でコピーできる時代」でも、オリジナルを「買って」いるんですよね。
 たぶん、多くの人は、まだ「好きな歌手だからオリジナルのCDを買いたい」というような情緒的な「良識」を持っているのだと思います。
 それでも、その「良識」にばかり頼ってもいられないし、この堂々巡りは続いていくのでしょう。
 「Winny」が無くなっても、同じようなソフトは必ず出てきますし、どう考えても「悪用」以外に使い道ないんじゃない?ってソフトは、けっして「Winny」だけではないんですけどね。



2004年05月08日(土)
「ガッツポーズ」に隠された秘密!

「フラッシュ・エキサイティング6月号」(光文社)の記事「はなわも知らない!ホントの『ガッツ伝説』81連発!!!」より。

【伝説1:ガッツポーズの考案者はなんとガッツ石松!
 ’74年、ボクシングの世界ライト級タイトルマッチで挑戦者のガッツ石松が8回KO勝ち。両手を上げて勝利の喜びを全身で表したその姿を、新聞記者が喜びのポーズとして「ガッツポーズ」と表現。「俺が作ったんだとパパから聞いていたけどずっと嘘だと思っていました」】

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 ちなみに、最後に「ずっと嘘だと思っていました」と言っているのは、ガッツ石松の娘さんです。
 この記事には、こういう「ガッツ伝説」が列挙されていて、その多くは【亀を英語でという質問に「スッポン!」と絶叫】というような、いわゆる定番の「ガッツ石松ネタ」なのですが。
 僕はこの話、聞いてみるとどこかで耳にした記憶があるような気がしますし、リアルタイムで観ていた方にとっては常識なのかもしれませんが、あの「ガッツポーズ」の創始者がガッツ石松さんだとは意外でした。
 「ガッツ」という表現は以前からあったのでしょうが、「ガッツポーズ」が先にあって、「ガッツ石松」というリングネームを付けたものだと勝手に思い込んでいたのです。
 それにしても、この「ガッツポーズ」というのは、本当に世間に広まったものですね。今では多くの人が喜びの表現として、この格好をするのですから。
 まあ、考えようによっては、同じような喜びの表現をしていた人はガッツさんだけではないでしょうから、ガッツさんが作ったというより、そのガッツさんの姿を取り上げた新聞記者が作ったものなのかもしれません。

 そういえば、今思いついたのですが、このエピソードによると、「両手を上げて勝利の喜びを全身で表したその姿」=「ガッツポーズ」となっています。
 ということは、「片手のガッツポーズ」というのは、本来の姿からすると「ガッツポーズ」ではないような気もするなあ。
 そのあたり、ガッツさんはどう思っているんだろう?
 おそらく「そのくらいOK牧場」なんでしょうけどね。



2004年05月07日(金)
「生活というのは、そういうものだ」

鷺沢萠さんの作品集「失恋」のなかのひとつ「安い涙」(新潮文庫)より。

【以前、誰かの書いた文章で「暴走族百人とサラリーマン百人が武器を持たずに殺しあいをしたとしたら、まず間違いなくサラリーマンのほうが勝つであろう。生活というのはそういうものだ」といったような意味のものを読んだことがある。およそ観念的な文章というのは大の苦手である幸代だが、そこのところだけ不思議に納得したのでよく覚えている。
 いってみれば幸代が銀座で成功できた理由は彼女自身が天涯孤独であったことである。彼女自身の中に内包された「切羽詰まった何ものか」である。】

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 普通に考えると、ケンカ慣れ、暴力慣れしている暴走族のほうが、殺し合いをするというような事態になったら、勝つのではないかと思いませんか?
 まあ、それ以前にサラリーマンはそういう状況を回避するために「逃げる」という選択肢を選ぶ人も多いだろういう気もするのですが。
 でも、この文章を読んだとき、僕も「きっと、闘うしかないという状況になれば、サラリーマンが勝つだろう」そう感じました。
 最近僕の周りは出産ラッシュなのですが、最近女の子が生まれたばかりのひとりの先生が先日転勤になって、ハードな病棟勤務に戻っていったのです。「もう3キロも痩せた…」と、すっかり顎のラインが細くなってしまった彼に「そういえば、娘さんは?」と尋ねると、彼は嬉しそうに一枚の写真を見せてくれました。そこには、まだ生まれたばかりの赤ん坊と、人間というのはこんなに顔中の筋肉を弛緩できるのか…とつい考えてしまうような彼の満面の笑顔があったのです。
 「まあ、キツイけどがんばるよ。娘の顔を見るのを愉しみに」
 そう言って、彼はまた仕事に戻っていきました。
 僕はなんだか、置いてけぼりにされたような気になったものです。

 「生きる」というのは、人間にとって根源的な欲求なわけですが「誰かのために生きる」とか「家族のために死ぬわけにはいかない」というのは、ただ「生きるという本能」よりも一層強固な感情なのかもしれません。
 暴走族は「社会や自分に不満があって、生活に困ってもいないのに暴れている人間」だとしたら、多くのサラリーマンというのは「社会や自分に不満があっても、自分が生きるため、守るべきもののために、それを抑え込んでいる人間」なのですから、どちらが強い人間かなんて、言うまでもないことです。
 不満を表面に出す人間だけが不満を持っているわけではない、そんなことは、当たり前のことなのに、世間では「普通に生きている人たち」よりも「更生した暴走族」のほうが感動的だと思われているというのは、本当に大きな矛盾なのですが。

 でも、そういう「普通の生き方」って、実はものすごく疲れることもあるんですよね。「どうしてあんな平凡な人が…」と何かが起こったときに周りは言うけれど、平凡に生きるためには、いろんなものを抑えていかなければならないわけですから。いつか爆発するかもしれない恐怖をみんな抱えているのではないかなあ。だからこそ「強い」のです。

 「生活というのは、そういうものだ」
 「そういうもの」に支えられて、みんな、なんとか生きている。



2004年05月06日(木)
「カエル機内食」の悲しき運命

毎日新聞の記事より。

【オーストラリア・メルボルン発ニュージーランド・ウェリントン行きの豪カンタス航空便で今年2月、生きたカエルの入った機内食が配ぜんされていたことが分かった。

 5日付の豪オーストラリアン紙などによると、女性乗客が機内食のふたを開けたところ、サラダに入っていたキュウリの上に体長4センチの茶色のカエルが乗っていた。女性は驚きながらもカエルが逃げないよう冷静にふたを閉め、客室乗務員に返却した。カエルはウェリントン空港到着後、検疫職員が冷凍庫に入れて「安楽死」させた。

 カエルは豪州特有のアマガエルの一種。レタス生産地などに生息しており、検査をすり抜けて混入したらしい。カンタス航空は事件後、レタス供給業者を変更、チェック強化など対策を取った。】

〜〜〜〜〜〜〜

 機内食にカエルなんて、ふたを開けた乗客は、さぞかしびっくりしたことでしょう。
 同じ目にあったら、僕も飛び上がるほど驚くと思います。
 しかしながら、この女性の対応は見事なもので、そんな状況で、カエルを逃がさないように蓋をして返却したのだから、たいしたものですね。

 ところで、こういう状況に遭遇したとしたら、いったいどういう対応をとる人が多いでしょうか?
 中には「カエルくらい気にせずに、知らんぷりしてよけて食べる」という人もいるでしょうし、「航空会社にクレームの嵐」という人もいるでしょう。大部分の人は、この乗客の女性のような静かな対応か、スタッフに苦情を言うくらいのものなんでしょうけどね。
 僕がその立場であれば、「カエル混入」という事態には驚くと思うのですが、それに腹を立てるかどうかは別問題のような気がします。自分が口をつけていたらいい気持ちはしないでしょうが、正直なところ「小さなカエルくらい入っていても仕方がないかな」とも思いますし。
 「清潔」に対する最近の人々の概念というのは、実際のところいささか行き過ぎているようなところもあって、易感染状態でもない人が、あんなに「抗菌グッズ」を常用する必要があるのかは、非常に疑問な気もするのです。
 一方で、「虫の食べた穴がある有機野菜」を珍重しながら、その一方でカエルの混入に対して激怒する。それって、矛盾しているような気がしませんか?
 どのあたりが「不潔」のボーダーラインなのか、というのは、それぞれの文化の違いなどもあって、難しいところだと思うんですけどね。
 僕は「カエル機内食」を口にするのは勘弁してほしいですが、中に入っているくらいなら、なんとなく「そういうことがあっても、仕方ないだろうなあ」と思ってしまう範疇なんですが。
 ゴキブリとかだったら、さすがにクレームつけまくる気もするけど。

 しかし、この記事で僕が最も疑問に思ったのは、「カエルを安楽死させた」というところなのです。おそらくこの乗客もカエルを殺すに忍びなくてわざわざ生きたまま蓋をしたのでしょうに、殺さなくてもいいんじゃないかなあ、と読んだときには感じました。
 「混入」されたのは、少なくともそのカエルの罪ではないのだから、そんなの、空港の近くの茂みにでも逃がしてやればいいのに、とか。
 実際は、検疫の関係で、生きたままのカエルの「持ち込み」は赦されないためこういう結末になったのでしょうが、それにしても、人間にとってもカエルにとっても後味の悪い話ではありますね。
 こういうのって、ゴキブリなら安楽死(?)が当然、犬や猫なら大問題(まあ、弁当に混入はされないでしょうが)になりそうだけど、この話でのカエルというのは、なんとなく僕にとっては「センチメンタリズムを刺激するボーダーラインな生き物」なんですよね。



2004年05月05日(水)
本屋さんが与えてくれる「感謝と喜び」

「本の雑誌増刊・本屋大賞2004〜全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本」(本の雑誌社)より。

(大賞受賞作「博士の愛した数式」の著者・小川洋子さんの「感謝の言葉」の一部です。はじめて本になった作品「完璧な病室」のことを回想して。)

【自分の書いた本が、本屋さんに並ぶ。子供の頃から、それだけが私の望みだった。誰に感謝していいのか分からなかったが、とにかく書棚のその場所を見つめながら、あらゆる人々と、あらゆる物事に感謝した。
 背表紙にそっと触れ、それからバスターミナルまで急いで走った。早く帰らないと、授乳の時間が迫っていた。私は初めての赤ん坊を産んだばかりだった。
 今でも、元気が出ないときには本屋さんへ行って、自分の本を眺める。平積みになっていなくても、ベストセラーリストに載っていなくても構わない。長い時間、誰の手にも触れられず、半ば忘れられたようにひっそりたたずんでいたとしても、決して落胆などしない。
 背表紙を見つめているだけで、いつかは私の小説を必要としてくれる人がここに立ち、この本に手をのばしてくれるはずだという、理由のない確信を持つことができる。手を伸ばすその人の指の形までが、いつかパリの書店で店主が見せた手の様子と重なりながら、浮かんでくる。
 本屋さんはいつでも私に、感謝と喜びの気持ちを与えてくれる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この小川さんの「感謝の言葉」を読んで、僕は「この人は、ほんとうに本が好きなんだなあ」と感じました。もちろん作家である小川さんにとって、「本を売る」ということは商売でもあるんでしょうけど、ここには、通りいっぺんの「お愛想」ではない、自分の作品への愛情、そして、人と本とが触れあう場所である「本屋さん」への愛着が綴られているのです。
 人気作家や人気歌手でも、デビューのときは「自分の作品がちゃんと売られているか見にいった」とか、「しばらく本屋で手に取る人がいないかどうか見張っていた」なんて話をよく耳にします。そういう「いても立ってもいられないような気持ち」になれるって、創作とは無縁の世界で口に糊している僕にとっては、ちょっと羨ましくも感じるのです。

 「本」というのは、本当に不思議な力があって、「本屋さん」というのは不思議な場所だと思います。
 いくらネットが発達しても、ディスプレイに映し出される文字に、人間が【いつかは私の小説を必要としてくれる人がここに立ち、この本に手をのばしてくれるはずだという、理由のない確信】というような感情を持つことができるようになるには、まだまだ時間が必要なはずですし。

 やっぱり、本好きにとって、「自分の書いたものが本になる」っていうのは、無上の喜びなんだよなあ、きっと。売れるとか売れないとかは、たぶん、別の話なんでしょう。
 まあ、売れるにこしたことはないにしても、ね。



2004年05月04日(火)
「優秀な営業マン」になるためには?

「中島らもの特選明るい悩み相談室・その2〜ニッポンの常識篇」(中島らも著・集英社)より。

(「上司に『君の顔は営業向きでないから、なんとかしなさい』と言われて困っている」という女性の悩みに対する答えの一部です。中島さんの「自分は相手の言いなりにすぐなってしまって、営業マンとしてはダメだった」という述懐のあとに)

【ただ、自分以外の優秀な営業マンは、たくさん見て知っています。
 たとえば「関所破りのK」と異名を取った営業マン。普通、得意先の担当者と会うためにはアポイントメントが必要ですが、このKさんはアポもとらずにどんな会社でもずいずい入っていって担当者をつかまえてしまうのです。受付嬢を笑わせるのがコツだそうです。
「やってあげましょうのT」さん。普通の営業マンは「仕事をくださいよ」と頼み込む人が多いのですが、このTさんは逆です。どんと胸をたたいて、やってあげましょう、やってあげようじゃないですか、と相手に迫り、いつの間にか仕事を取ってしまいます。
「脂汗のS」さん。この人は少しでも緊張すると顔中から脂汗が噴き出します。汗はあごを伝って、得意先の机の上にぽたぽたとしたたり落ちます。口だけ達者な営業マンの中で、この脂汗の効果は大きいのです。Sさんにはいかにも「実」があるように見えてしまうのです。
 要するに、優秀な営業マンとは、自分のスタイルを確立した人のことをさすのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「優秀な営業マンになるためには」「他人とうまくコミュニケーションを取るためには」なんてハウツー本は巷にあふれているのですが、この中島さんの回答というのは、「どうすればうまく人と接することができるのだろう?」という悩みに対しての、ある意味、普遍的な答えになっているような気がします。
 僕なども「患者さんにうまく接するには、どうしたらいいのだろう?」なんて、しょっちゅう悩んでいるものですから。
 結局、「優秀な営業マン」というのは、ひとつの典型例にあてはまるものではなくて、その人それぞれの魅力をうまくアピールすることが大事、ということなんですよね。
 「脂汗のS」さんなどは、はたしてどこまで意図的にやっているのかよくわからないのですが(本人はすごいストレスを感じながら仕事しているのかもしれないし)、「人前で緊張すること」だって、相手にとっては「誠実さ」を感じさせる態度であったりもするわけですし。
 たぶん、Kさんが人前で緊張してみせても相手はなんだかウソくささを感じてしまうでしょうし、Sさんが「やってあげましょう!」とアピールしてみても、相手からは「ムリしてるな、この人」という印象しか与えないような気がします。大事なのは、自分の本質を見極めて、それにあったやり方をやることなのです。
 そういえば、医者の世界にも「自信満々であることがイヤミにならないタイプ」の人もいれば「謙虚であることが自信がないように見えてしまうタイプ」なんて人もいて(もちろん、その逆に「背伸びしているようにしか見えない人」もいます)、けっこう口が悪くても言われたほうが笑ってしまうような先生もいるんですよね。
 もちろん、肝心の技術がないと、「患者さんへの接し方」もなにもないわけですが。

 しかし、この「自分のスタイルを確立する」というのは、実際は難しいことなのだと思います。こういうのは、相手との「相性」という要素もあるわけですから。
 医者にだって「頼れる、自信満々の人がいい」という患者さんもいれば、「話しかけやすい、優しい感じの人がいい」という患者さんもいるわけで、それぞれのストライクゾーンというのは、当然違っています。
 そういえば、ある有名な野球選手は「どんな選手でも、すべてのコースを完璧に打つことはできないから、大事なのは、自分の得意なコースは確実に打てるようにすることだ」と言っていました。
 たぶん、全部のコース対応しようとしてすべて中途半端なバッティングになるよりは、そのほうが結果を出せるのだと思います。
 打てない球が来てしまった場合には、なんとかしてファールにして逃れる、と。

 本当は、場合によって自分のスタイルを使い分けられればいいんでしょうけどねえ…
 でも、その「使い分け」をやろうとして自分のスタイルを見失ってしまうというのが、きっと多くの人にとっての現実なのでしょう。
 もちろん僕も、そういう人間のひとりなんですけどね。

 
 



2004年05月03日(月)
「正しい接客」についての店員と客との深い溝

「にほん語観察ノート」(井上ひさし著・中公文庫)より。

【ファストフード店に一人で行き、十人前の注文をしても、店員が「こちらでお召しあがりですか」と聞く。こんな画一化された対応にも違和感を持たない人が、若い世代を中心にふえている。
                    文化庁「国語に関する世論調査」

(以下、井上さんがこの世論調査に対して書かれた文章です)

マニュアル敬語が全盛のようです。
 敬語をどう使うのか、まったく無案内な世代がふえてきた。しかし、そういう世代を雇わなければやって行けない。そこで経営者たちは、敬語マニュアル(手引き書)や行儀作法の教師を用意して、店員たちに敬語や行儀作法を教え込む……ここまではいいのですが、教わった方は、これを杓子定規に、機械的に運用するだけなので、世論調査に表れたような小喜劇がおこる。柔軟な心のはたらきに欠ける機械的態度からは、カならず笑いが生まれます。だから小喜劇といっているのですが、いっそうおもしろいことに、若い人たちは、自分たちが喜劇を演じていることに気がつかない。あるいは、気にしていない。
 また、三十代、四十代の客の中には、
「何度も通って顔なじみになっているのに、店員が初めての客に接するときと同じ言葉遣いをするのが気になる」
 と答えている人もいるが、しかし半数以上が、「気にならない」と回答、十代の女の子たちになると、その八割までが、「気にならない」のだそうです。】

参考リンク:「王様の耳はロバの耳(4/28)〜マニュアル応対批判に対する反批判」

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今日の昼下がり、カーステレオから流れてくるラジオを聴いていたら、こんな話が流れてきました。
「私は一人暮らしで彼氏イナイ歴が長くなってしまったのですが、毎日仕事帰りにコンビニに寄って雑誌とヨーグルトと肉まんを買って帰るのが楽しみでした。でも、最近そこの若い長髪の店員さんに顔を覚えられてしまって、買い物をするときに『毎日来ますねえ〜』とか『あと肉まんですね』とか声をかけられるんです。寂しい女だと言われているようで、それがすごくイヤなんです」

 文化庁の世論調査にもありますし、ちょっと前にみのもんたがやっていた「愛の貧乏脱出作戦」などでもそうなのですが、どうも「理想的な接客」というのは、「お客にあれこれ声をかける」ということだと思う人が多いみたいなんですよね。それが多数派の認識だ、ということなんでしょうけど…

 僕は、こういう「馴れ馴れしい接客」って、あんまり好きじゃないというか、むしろものすごく苦手です。例えば、いつも行っている定食屋で「いつもありがとうございます!」とか、ちょっと一品サービスしてもらったりしたら、もうその店に行くのはやめようかな、と考えてしまうくらいに。
 逆に、高級レストランや料亭などでは、そもそも頻繁に行くわけではありませんし、それなりのサービスをしてもらいたい、とは思うんですけどね。
 「常連扱いしてもらう」というのは、裏を返せば「店にとっての特別なお客として扱われる」とういうことです。つまり、「たくさんのお客のうちのひとり」ではなくて「あのお客さん」として見られているということで。
 そういう状況というのは、お客としても、かえって気を遣ってしまうのです。何か話しかけられたらちゃんと返事をしたり、世間話につきあったりしないといけないし、不機嫌な顔もしていられない。サービスとかしてもらったら、愛想良く「ありがとう」とか言わないといけないし。
 そういうのって、正直「面倒くさい」のですよ。

 僕が吉野家とかCoco一番屋のような店を愛用しているのは、味とか値段というよりも、そういう「煩わしい目にあわなくてすむ」という理由が大きいのです。
 少なくとも日常生活のひとりでの食事の時間は、マニュアル対応のほうがありがたいと思います。あれはあれで、客も店員もお互いに気楽なところもあるんですよね。
 今、セブンイレブンのCMで、店員さんとお客さんとのやりとりを見せるのがありますが、僕は店員にあんなふうに気の利いたことを言って欲しいなんて、全然思いません。コンビニにはモノを買いに行くのであって、コミュニケーションを求めに行くわけではないですし、「日常の買い物」っていうのは、ものすごくプライバシーと重なる部分がありますから。
 「ヘルシア緑茶」と買ったときに「お客さんも気になりますよね」とか言われたら、やっぱり嫌な感じじゃないでしょうか(僕が言われたわけではないですよ)。
 でも、こういう不躾なコミュニケーションを「サービス」だと勘違いしている店員さんって、けっこういるのではないかと思うのです。

 僕は、「ディスコミュニケーションもサービスのうちである」と考えています。それがイヤなら、そうでない店に行けばいいわけですし。少なくとも、余計な詮索をされて不快な思いをするよりは、マニュアル通りのほうがはるかに良い場合も多いんじゃないかなあ。



2004年05月02日(日)
温泉で「のんびり」なんてできるものではない。

「まだふみもみず」(檀ふみ著・幻冬舎文庫)より。

【「温泉」と「のんびり」は、どうやら一対の言葉となっているらしい。
 「年寄りは、のんびりと温泉につかって、昼寝でもするのが一番さ」
 映画『東京物語』(小津安二郎監督)の老夫婦も、子供たちにそう言われて、熱海へと送り出される。しかし、二人はなかなかのんびりできない。宿に溢れる酔客のさんざめき、夜通し聞こえる麻雀の音……。
 私も温泉に行くたびに、老夫婦と同じ居心地の悪さを味わう。忙しく廊下を駆け回る仲居さんたちのスリッパの音、かん高い声。どこやらから聞こえてくる、カラオケの音。
 せめて朝ぐらいゆっくりさせてほしいと思うのだが、小心者の悲しさ、寝起きを襲われたくない一心で、起こされる前に起き出し、ついぞ食べたこともないような早い時間に、朝ご飯などを食べている。
 はっきり言おう。温泉で「のんびり」なんてできるものではない。「のんびり」できるとしたら、その人はよっぽど豪胆か、よっぽど横着なのである。広い湯船で思い切り手足を伸ばす。小心者の「のんびり」は、そのほんの一瞬で消えていってしまうのだ。
 それでもなお、「ああ、のんびりしたい」と温泉を求めてやまないのはなぜだろう。】

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 たぶん、こういうのって個人差がけっこう大きくて、「温泉でのんびりできないなんて、とんでもない!」という人もけっこういるのではないかと思うのです。でも、僕は環境が変わると落ち着かないほうですし、檀さんが書かれていることって、よくわかるような気がします。
 だいたい、不眠症の人が「眠らなきゃ!」と思うとかえって眼がさえてしまうように「せっかく温泉に来たんだから、のんびりしなくちゃ!」とか考えてしまう時点で、すでに「のんびりの負け組」であるわけで。
 もっとも、日頃家事に追われている女性などは、それから解放されるだけでもかなり物理的にだけでも「のんびり」できるものなんでしょうけど。

 僕も「のんびりしたい」というような欲求はあるのですが、どうも「温泉でのんびり」というのは難しいんですよね。その理由としては、一緒に来ている誰かに対して気を遣ったり、遣われたりということもあるし、「どうしたら、のんびりしていることになるんだろう?」とか考えてしまう、ということもあるのだと思います。
 温泉があれば「せっかく来たんだから、2回くらいは入らないと勿体ない」とか、もうちょっと長湯しないと損だよなあ、とかついつい貧乏性にもなってしまいますしね。
 普段はコーヒー1杯で済ます朝ごはんをおかわりして、胃が激烈にもたれてしまうようなこともあるしなあ。
 湯船につかりながら、「帰ったら仕事だなあ…」とか憂鬱になったりもするし。

 たぶん、「温泉でのんびりできる人」というのは、「温泉じゃなくても、のんびりできる人」なのだと思うのです。そういうのはもう、すでに「性分」なのかもしれないけど。

 とはいえ、環境を変えるというのは良い刺激にもなりますし、僕も田舎の温泉で川のせせらぎとかを聞くのはキライじゃないんですけどね。
 とりあえず、仕事場を離れてしまえば、「どうせここにいる限り、仕事はできないし」なんて開き直れる面もあります。

 ところで今、ふと思いついたのですが、こういう「のんびりできない症候群」って、ひょっとしたら、子供の頃の親の影響が大きいのかもしれませんね。
 僕の父親は、旅館に着くなり「ほら、風呂入りにいくぞ!」出たら「散歩に行くぞ!」という感じで、まったく落ち着かない人間だったものなあ…



2004年05月01日(土)
『世界の中心で…』と『ノルウェイの森』の「死生観」

「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一著・小学館)より。

【「でも、どうかな。もしそんなふうに、死んだ人間と簡単に話のできるような機械が発明されれば、人間はもっと悪いものになるんじゃないかな」
「悪いものって?」
「朔太郎は、死んだ人のことを考えると、なんとなく神妙な気持ちにならないかい」
 ぼくは肯定も否定もせずに黙っていた。祖父はつづけた。
「死んだ人にたいして、わしらは悪い感情を抱くことができない。死んだ人にたいしては、利己的になることも、打算的になることもできない。人間の成り立ちからして、どうもそういうことになっているらしい。試しに、朔太郎が亡くなった彼女にたいして抱く感情を調べてみてごらん。悲しみ、後悔、同情……いまのおまえにとっては辛いものだろうが、けっして悪い感情ではない。悪い感情はひとつも含まれていない。みんなおまえが成長していく上で、肥やしになっていくものばかりだ。なぜ大切な人の死はそんなふうに、わしらを善良な人間にしてくれるのだろう。それは死が生から厳しく切り離されていて、生の側からの働きかけを一切受けないからではないだろうかね。だから人の死は、わしらの人生の肥やしになることができるんじゃなかろうか」
「なんだか慰められているみたいな気がする」
「いや、そういうわけじゃないんだ」祖父は苦笑しながら、「慰めてやりたいとこだが、それは無理だ。誰も朔太郎を慰めるなんてできんよ。自分で乗り越えるしかないことだからね」】

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「ノルウェイの森」(村上春樹著・講談社)より。

【死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

 言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなく
、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ。文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸い込みながら生きているのだ。

(中略)

 死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的に既に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。あの十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死は、そのとき同時に僕を捉えてもいたからだ。】

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 大ベストセラー小説2作品での「生」と「死」についての記述です。もちろんこの二つの作品中での「死」に対する概念は、これ以外の観点からも記されてはいるのですが。
 「世界の中心で…」のほうが、主人公の男の子が恋人を病で失ってしまったあとの祖父との会話の一部、「ノルウェイの森」のほうは、親友が自殺してしまったあと、主人公が持つようになった「死生観」です。

 このそれぞれ引用した部分では、まったく正反対ののことが語られているような印象があります。前者は「死というのは、生と隔絶したところにあるからこそ、人間はそれに畏敬を覚え、善良なるものとして浄化していく」というものであり、後者は「死というのは、人間の中に本来含まれているものだ」というものです。
 もっとも、この2つの考え方というのは、前者を発したのが「恋人を病で失った男の子の祖父」であり、後者が「親友を自殺で失った男の子」であるという、それぞれの年齢や人生経験、大切なものを失ったプロセスの違いの影響も多きいのでしょうけど。
 同じ「死」というものであっても、「高齢者の病による死」というのは僕たちにとって「天命」として比較的受け入れ易いものですが、「若者の不慮の事故や病での死」というのは、「人生の肥やし」として受け入れにくいものでしょう。
 前者を読んで、僕は自分の親の葬式のときに親戚のひとりに言われた「この経験も、医者としてのお前にとってはプラスになることもあるよ」という言葉を思い出しました。
 でもね、僕はその言葉は当たっているのかもしれない、と今では感じることもあるのですが、そのことを言った当人に感謝する気にはいまだにならないのです。年上の人なのですが「知ったようなこと言うなよ!」と当時は「そうですねえ」なんて愛想笑いしながらも、内心ムカついていましたし。
少なくとも僕の親は「僕の人生経験になるため」に死んだわけではありませんから。ましてやそれを誰かに訳知り顔で教えてもらいたくないなあ、と。
 そういう場面で、人生の先輩として気の利いたことを言ってあげたいという気持ちは、いまの僕に理解はできるのですが、感情として受け入れられないのです。
 それは、絶対に生きている誰かが、生きている誰かに言うことではない、と思います。生きている人間は、所詮「生きている人間」としてしか死者を語ることはできないのだけれど。

 もちろん「美しい死」「良い死に方」というのはあるでしょう。でも、自然死ではない事故や事件、戦死などでも、人はその死に対して「復讐したい」とかいう負の感情を抱かずに、善良であることができるのだろうか?

 僕は、いろいろな「死」に立ち会ってきました。でも、いまだに「死」というのは、僕と隔絶したところにあったり、僕の中にあったり、ゆらゆらと揺れていて、つかみどころがないものなのです。

 ただ、16歳で「ノルウェイの森」をリアルタイムで読んだときよりは、32歳の今のほうが「死」というものを遠く感じているのも事実なんですよね。ひょっとしたら、こうしてどんどん「死」と隔絶して、死ぬことが怖くなくなっていくのかな、なんて思うこともあります。そのほうが、生きていくのはラクなんだろうけど。

 ひとつだけわかるのは、たぶん、僕はずっと「死」について考え続けなければならない、ということなんですよね。

 いつか、自分の番が来る日まで。