Sotto voce
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2002年08月29日(木) 嵐。

外は大荒れ。

私の心も大荒れ。

人間模様にまた新たな嵐の予感。

荒れっぱなしで夏が去っていこうとしている。



今年も、海、いけなかったなあ。

旅行とかしたかったなあ。

28の夏は、もう帰らないのにね。

嵐の中、窓も開けられず汗だらだら。

発熱の汗なんだか室温のせいなんだかわかったもんじゃないわ。


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とうとうこの日記も5000番超えました。

このような直球ストレート、毒舌満載日記を読んでくださる方々に

心から感謝いたします。


2002年08月27日(火) 爆弾。

不完全燃焼のまま身体の中にたまっていく

どす黒い感情で構成された爆弾。

だれにでも心からの笑顔で接しられるほど

あたしは出来た人間じゃない。

偽物の笑顔でごまかしながら、

相手に言葉の刃を振りかざさないようにするのが精一杯で。

掃除中にうっかり切った指先

小さいのにこんなに痛いしこんなに血がでる。

自分の身体を切り刻みたい衝動にかられても、

かみそり握る勇気もない。

結局どっちつかずの小心者なんだ。


2002年08月25日(日) たぶんここで今の恋を語るのは最後になるでしょう。

気まぐれでちょっとHで誰にでも優しさふりまいて。

そのくせ自分にそむく人には残酷で冷淡で。




それでも、私はあなたが好きでした。





もし次に会う機会があるならば 

今度は友達の顔で、あなたに笑いかけることができるでしょう。

ちょっとまだ強がりっぽいけど。


2002年08月24日(土) サイト消滅!

昨日の昼からメール受信の時にエラーが出る。

プロバイダのHPでサーバー障害の状態だと知ったのは昨日の夕方。

(しかもプロバイダのいくつものサーバーのうち、私のアカウント「olive」サーバーだけが障害になってしまったという)

そして今朝。

メールは読めるようになったが、裏サイト消滅。

何でも、そのサーバー障害の時データバックアップ機能までいかれて

その障害以前に届いた未受信メールやHPデータが

綺麗さっぱり吹っ飛んでしまったのだとか。(プロバイダのお詫びメールより)




パソコンにのこってるHPデータをアップロードすればまたHPは復活する。

でも今の私にはあえてそれをする気が起こらなかった。

この際だから、サイトの存続も含めていろいろ考えたくなったのだ。

もともと、限られた人とこの日記を読んでくださる人しか知らない裏サイト。

ひょっとしたらこのままサイト閉鎖もありうるかもしれない。

でも結果を出すのはもう少し考えてからにしようと思う。

衝動的に閉鎖して、後で後悔することのないように。


2002年08月23日(金) 君がいない。

我が家の愛猫・「はな」。

鼻炎もちで病弱で臆病者の箱入り娘。

でも、だめだめな私を癒してくれる貴重な存在。

今年も夏ばてで水分しかとらなくなり、みるみるやせてきた。

そんな「はな」が昨夜から姿を消している。

はなが元気な時なら何も心配しない。

しかも私は精神状態が鬱も鬱、落ちる限り落ちているので

どうしても悪い方にしか考えられない。

猫は自分の死期を悟った時、姿を消すというのをなぜか思い出して。

こういうときに「はな」にいなくなられるのはかなりのダメージだ。






・・・そして数時間後。

午前様で帰宅した父によって、はな、無事生還。

昨日の朝、母が出勤する時に車庫の中に閉じ込められ。

父に発見されたとき車庫の隅っこに縮こまっていたという。

皿になみなみと注がれた牛乳を飲み干し、

安心したようにテーブルの下で眠りこける姿を見たときには

涙が止まらなかった。

なんか小学生の子供みたいだけど、はなが帰ってきて、本当によかった。





2002年08月21日(水) タイムリミット。

もう、限界なのかもしれない。

どうしても好きになれない今の自分。

決してよいとはいえない職場と家庭での人間関係。

サイトの運営を続けていく事(表も裏も)。

20年間ずっと好きで続けてこられた言葉を綴る事。

そういう悩みを全部ひっくるめて笑顔でそれを隠し通す事も。

もう可哀想がられたがり呼ばわりされようと

悲劇のヒロイン気取りだと陰口叩かれてもいい。

毎日毎日情緒不安定の波にのまれて

それでも何とかふんばってこられたけど

私が私で在り続けるには もう限界なのかもしれない。


2002年08月19日(月) ネットの世界。

知らなくたって別に生きていける。

だけど一度足を踏み込んだらなかなか抜けられない。

その魅力はなんだか麻薬のよう。






でも、最近思うんだ。

いいかげん足を洗わないと、私にとっては精神衛生上よくない、って。

でも今の私には本音中の本音を吐き出せる場所はここしかないんだ。


2002年08月18日(日) 日記を通して自分を見て。(毒舌モード)

最近のあたしは、

これじゃただの「可哀想がられたがり」。

こんなに泣き言さらしてさ。

こんなに自分はつらいんだ、って主張してさ。

けっきょく誰かにかまってもらいたいだけなんじゃない。


2002年08月17日(土) cry。

心がパンクしそうだよ。



わけのわからない不安でつぶされそうだよ




大丈夫って言うのにも疲れたよ




どろどろの感情を笑顔の下に塗りこめるのもできなくなってきたよ。




誰にも見られない場所で ひとり声を押し殺してなく日々は




いったいいつまで続くのだろう。



人にはなんとでも言えるのに



自分自身には励ましの一つもかけられないんだ。




2002年08月16日(金) リズム。

3日間の夏休みも

けっきょく休みらしい休みも過ごせないまま終了。

またいつもの生活が戻ってきた。

家にいる時の胃痛頭痛が嘘のように消え

上司の罵詈雑言にも耐えられる心が戻ってきた。

冷静に考えれば、皮肉なもんである。

「安らぎの場所」が逆転しているのだから。


2002年08月15日(木) 私なりの8.15。

正午。

静かな町に恐ろしく不似合いな大音響

けたたましく響くサイレンの音。

テレビの中では甲子園球場にいるすべての人々が

黙祷をささげる姿が映し出される。

だけどこの瞬間、鎮魂の祈りをささげる人は

この町に、そして全国にいったいどれくらいいるのだろう。



父は終戦のちょうど7ヶ月前に生まれた。

祖父は地元の有力者として人々を取りまとめ

混乱の世の中を「お国の為に」と軍事訓練を率いた

父の従兄は教師だった

教え子達を「お国の為に」の名の元に次々と戦場へ送り出した

先祖代々の墓に刻まれた墓碑銘

たったひとりだけ「戦死」の冠が刻まれたその弟は

昭和20年8月9日 22歳でこの世を去った

終戦当時20歳だった叔父は

体が弱く、体格も小さかったので徴兵検査不合格

周りの白い目を浴びながら生きた彼は終戦の日をどんな思いで迎えたのか。

混乱の世の中を生きた男たち

57年目の夏、あの頃はどんな気持ちでいたのか

聞きたくてもすでに彼らはこの世にいない



二度と過ちは繰り返さないと

この国は57年間平和の誓いを貫き通してきた

ただ、混沌とするこの世界

いつかはその誓いが崩れ去るときがくるかもしれない

今この国が戦乱に巻き込まれたら

兵力となるのは私たちの世代の男たち

どうか愛する人たちが

戦地へ赴くことのないそんな国でありますように、と

8・15のサイレンを聞くたびに願わずにいられない。


2002年08月12日(月) もういいかげん。

自分の心に嘘をつきつづけるのはやめたい。

日に日に増えていく心の傷。

自分自身でつけた傷が増えすぎて癒す方法を見失う前に。

泣きたい時になく

怒りたい時に怒る

笑いたい時に笑い

眠りたい時には眠る

素直でさえいれば、人間として生きていく中で何の苦もなくできる行為。

私は、何に遠慮しているのか

どうしてそこまで自分の心を自分自身で抑え付けているのか

ゆっくり考える時間が欲しい、

私の心が破滅して、すべてを失う前に。


2002年08月11日(日) 表の私、裏の私。

何度もここで書いているが、このHN「Azumi」は

いわゆる裏HN。裏サイト用の名前。

この日記が縁で、Azumiのサイトにきてくださる方がいる。

私がネット上にいるに当たっての人間関係

裏サイトの存在しか知らないひと

私の中の暗の部分を見てる人たち

表サイトでの私しか知らない人(これは大多数)

私のいわゆる世間一般に対する面を知ってる人たち

表も裏も両方知っている人(これは女性の知人数人のみ)

ともすれば両極端になりがちな、私の中の陰と陽、両方知る人たち。

どの人も私という一人の人間にとっては大切な存在。


2002年08月10日(土) 続・それでも私は生きていて、笑っていて。

昨夜の最悪な体調はまだまだ続いていたが、

朝が来てとりあえず私は生きていた。

ふらふらする身体を引きずって、会社へ。

なぜなら私以外の家族は全員休み。

このまま家で寝てたら、昨夜の状況から判断するに、彼らは心配するどころか

だらだら寝くさる怠け者といわんばかりの雰囲気で、

おちおち寝てもいられない。

それならまだ会社に行った方がまし。

鬼上司・K部長がいなくてまさに天国。

こんな生活、いつまで続くのかな・・・・。

その前に私の心か身体がぶっ壊れてたりして(自虐)。


2002年08月09日(金) Nervous Breakdown。

今まで心の悲鳴を無視しつづけてきた。

ついに身体にまで影響が出てきた。



私の身体も心もこんなに弱かったの!?

高熱と胃痛にうなされながら、今朝の朝礼で社長に言われた

「自分に優しく出来ない人が他人に優しくできるわけないでしょ?」という言葉が

なぜか頭の中をぐるぐると駆け回っていた。


2002年08月08日(木) 恋がしたい恋がしたい恋がしたい。

・・・って言うドラマがあったっけね。

とりあえず、今の片想いが吹っ切れつつある今、

それを乗り越えられるような相手と出会いたい。



別に恋じゃなくたっていいのよ。

趣味でも遊びでもなんででも。

世間に迷惑かけない程度に没頭できるものが欲しいのよ。

何もしてないと考えがどこまでも鬱に下に果てしなーく落ちていくのだから。


2002年08月07日(水) 貝になってる私。

愛すべき同僚・Tねーさまが去って約1週間。

はたと思いついたことがある。

私ってば・・・でんわと同僚への返事意外、口を利いてない。

というか、仕事の会話しかしていない。

ねーさんと語るときのような大きな声が出せてない。

いかん!いかんぞ!

いくら女子ひとりの職場だからって。

家じゃなおのことしゃべれないんだから。

これじゃストレス溜め込む土壌を自ら作ってるぞ・・・。


2002年08月06日(火) もしこの世の中で誰かひとり殺せるとしたら。

表のHPで使ってる日記サイト。

ユーザーから提供された御題にそって日記を書く、というのが売りなのだが。

そこの中にあった御代のひとつが上記タイトル。

殺したいほど憎い人、殺すまではなくてもいなくなってくれればいいのに、

と思える存在は何人かいる。

でも、私はそいつらの為に犯罪者になって、一生罪の意識と

世間の白い目に耐えていくのは真っ平だ。

もしも、その相手を殺したいほど憎んで自分さえコントロールできなくなったら。








私は自分で自分を殺す。
自分自身の手で、どうしようもない自分の命を絶つことを選ぶ。







2002年08月05日(月) 環境は人を変えるのか。

めったに着信の入らない携帯に、珍しく着信あり。

しかもど平日・週の始まりの月曜午前10時過ぎに。

電話の相手である高校時代の部活仲間に、昼休みに電話する。


しばらく世間話をしてる私の耳に、聴きなれない関西弁。

いったい誰だよ!と思ったら、同じく部活仲間のM嬢。

しかも出産間近の為、現在住の奈良から実家のある鹿児島に帰ってきて、

久々に部活仲間で集まっているらしい。

しかし、このM嬢の関西弁ってば・・・。

関西弁にはかなり染まりやすいと聞いたことはあるが、まさかここまでとは。

関西在住10年の月日はここまで人を変えるとは。

集まってる面子は、子持ちの主婦であるW嬢と臨月主婦M嬢、

子持ちバツイチ・実家にパラサイト状態のT嬢、

私に電話をかけてきた、看護学校夏休み中のS嬢。

つまりみんな平日に時間作れる人たちばかり。

会いたいのにそれも出来ずあくせく働く自分・・・ため息でたさ。

彼女たちに高校時代に出会えたことで変われた自分。

これもひとつの「環境が人を変える」例だよなー。

あーそれにしても!

ここまで面子がそろうのもめったにないんだから、会いたかった〜〜〜!!!


2002年08月04日(日) 農家の娘の主張。

うちは兼業農家である。米を作っている。

4人家族全員が、平日の昼間は働いている。

よって早期水稲の稲刈りシーズンの今、いつその稲刈りをするのか?

答え=平日の早朝及び午後6時以降と日曜。

先週の日曜の午後から始まった稲刈り。

翌日から朝5時起きの生活。5時半前から7時まで田んぼで働き、

急いで家に帰って風呂に入り出勤。もちろん朝飯抜き。

さすがに夕方は帰る時間が保証できないので免除してもらってるが、

夕飯の片付けと選択は私の仕事。

日に日に焼けていく私をからかうように同僚が言う。

「米つくりなんて面倒なことしてるからよ!」

そりゃそうだろう。

日々食べる米、ひょっとしたら買ったほうが安いのはよくわかる。

田植え以外は人の手も借りず、家族だけで作る米。

自家用だけなら、もうすぐ60に片足突っ込もうかといううちの両親、

そんなに丹精こめて作ったりしないはず。

でもこれだけ手を広げるのは、我が家の米を待っている人がいるから。

この季節ろくに遊びにもいけず、友人が旅行だデートだとはしゃいでいる中

上下ジャージの農家スタイルで炎天下の中働く自分はいったいなんなんだ。

正直そう思うことがしょっちゅうだ。

同年代以下のお嬢さん方から笑われたこともある。

農家に嫁に来たくせにそういうこととは一切無縁で、

日傘さして茶園の中を優雅にお散歩するいとこの嫁に

思わず石投げたくなったこともある。



好き好んで農業なんかやってるわけじゃないんだよ。

でも農業に明け暮れる姿をあざ笑うやつは許せないんだ。


2002年08月03日(土) プチ家出。・・・挫折。

あまりの家に居たくなさ、家族の雰囲気の気まずさに

一晩でいいから何の雑音にもストレスにも悩まされず眠りたいと

なぜか家出の計画を立てる。

だが・・・どこへ行く?

給料日前で金はないのでどこかに泊まれない。

友達に頼るのも気が引ける。

こんな夜に車中に泊まるのもさすがに・・・。

エンジンかけっぱなしでクーラーってのもなんだか怖い。

結局計画、30分ほどで挫折。

自分の情けなさが肌にも心にも染みるわ。


2002年08月02日(金) それでも私は生きていて、笑っていて。

朝、あー会社に行きたくねえとぼやく自分がいる

鎮痛剤と胃薬を切らすことが怖くなって。

まるで女子高生のように携帯が手放せなくなって。

勤務時間中から頭痛と胃痛に悩まされ。

夜は夜で高温と湿気で眠れず。

意味もなく強迫観念ばりばりの夢を見て飛び起きて

ばくばくいう心臓の尋常でない鼓動を感じ。

それでもやっぱり朝はやってきて

それでも私は生きていて

それでもどうにか笑えることは出来て

心と身体が別物という人間の都合よさに感謝しつつもあきれるばかり。


2002年08月01日(木) ひとつの死に思う。

同県在住の方なら、ひょっとしたらご存知かもしれない。

新聞やTVニュースにも出たから。

7月30日、とある滝で遊泳中の青年が亡くなった。

この知らせを聞き、私は非常にショックだった。

なぜなら彼とは顔見知り、しかも死ぬ前日に会っているから。

彼は取引先の後継ぎ息子。

品物代を払いに行くといつも彼が応対していた。

人のよさそーな穏やかな笑顔の青年。

その日もいつものように領収書を切り、ちょこちょこっと世間話をして。

まさかその24時間後に死んでしまうなんて、誰が想像するよ!?


ちなみに彼、結婚まで考えていた彼女がいた。

その彼女は妹の友達。

妹は友達の彼である青年とよく遊んでいたから

私よりもショックを受けていたし、

何よりもその彼女が心配だ、と

通夜会場から離れようとしない彼女を連れ出し、

夜遅くまで付き合い、家まで送り届けた。

遺影は彼女と最後に遊びに行ったとき、彼女が撮影したもの。

やっぱり彼女が撮ったやつだからいい笑顔だね、と即決。

両家の親公認だったふたり。

皮肉にも亡くなった当日写真をとりに行き、

彼に渡す約束をしてたのが、まさか最後になるなんて。


親戚の多い家に育ったから、身内の死をいくつも見送ってきた。

でも今回のことはいろんな事情や背景が重なって

なぜかとても複雑な悲しみを覚えた。

人の一生、いつどうなるかわからない。

ひょっとしたら私だって明日はこの世にいないかもしれないのだ。


安積 紗月 |MAILHomePage

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