沢の螢

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正月三日
2007年01月03日(水)

毎年、大晦日から来ることになっていた息子夫婦が、年末から外国に行ってしまったので、夫と私だけの静かな正月となった。
1日は墓参り。
昨日は、12時間ドラマ「忠臣蔵」を斜め見しながら、ネットの連句や、サイトの更新などで、過ぎてしまった。
年内の掃除も中途半端のままになっているし、おせち料理も、いつも嫁さんに頼っていたので、今更、作る気力も起こらず、亭主どのも、「酒だけあればいいよ」というので、お言葉に甘えて怠けてしまった。

昔はおせちが最大のご馳走だったのだが、お餅も、年中スーパで買える時代になって、有り難みもなくなってしまった。
ひと頃までは、私もせっせとおせち料理を作っていた。
実家では、母が正月に来る客迎えに、いつも忙しくしていたので、そんなものだと思っていた。
一日は、父の職場の客が、まず年始参りに来る。
母は客の接待に追われ、私達子どもは、火鉢を囲んで、お酒の燗番をしたり、長女の私は、弟、妹の食事の面倒を見たりした。
二日、三日は、親戚が次々来る。
家族水入らずの正月というのは、まず無かった。
正月というものが、生活の中での大きな行事だった時代である。
子どもが成長し、私を筆頭に、次々親元から巣立っていくと、今度は、親の家に、みんなが集まるようになった。
父がリタイアし、お客の数も少なくなり、母も自分の家での集まりに、疲れを覚えるようになると、今度は、私の家に、集まるようになった。
暮れに、沢山の材料を買い込み、一通りの料理は作り、家の中もきれいにし、正月の準備をした。

私と夫は、長男長女なので、両方の親、きょうだい、その子どもたちまでが我が家に集まり、一時は30人くらい集まったことがあったと思う。
私の作る物だけでなく、みんなの持ち寄った料理がテーブルに並び、賑やかな笑い声が、途絶えることがなかった。
6,7年前から、正月に大勢が集まることが、だんだんむずかしくなった。
それぞれの家族があり、親族よりも、外との付き合いが増え、生活上の変化がそれぞれにあり、親の老化も進んだからである。
最近は、義弟の家族の方が人数が多くなったので、息子夫婦と共に、そちらに寄せて貰うようになった。
今年は、義弟に初孫が生まれて忙しく、息子夫婦も居ないので、正月の集まりは見送ることになった。
立春を過ぎたら、私の喪も明けるので、赤ちゃんの披露かたがた、集まることになるだろう。 11:27



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