沢の螢

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「純情きらり」
2006年09月30日(土)

ひと頃まで、習慣のように見ていたNHKの朝ドラ。
子どもや夫を送り出してからこれを見、終わってから家事に取りかかるという、いわば時計代わりの役目をしてくれていた。
亭主がリタイアすると、朝早く起きることもなく、「時計代わり」が必要なくなり、見なくなってしまったが、今回の「純情きらり」は面白く、毎日愉しみに見てきた。
それも、今朝、ヒロインが亡くなるという、今までにあまり無い終わり方で幕を下ろした。

朝ドラというのは、大体が女の一生もの、あるいは、仕事や生き方を描いた一代記。
前者には、「おはなはん」や「おしん」、「澪つくし」があり、最近のものには、後者のタイプが多いようだ。
女性の社会進出が当たり前になると、家庭や男たちの影で尽くす、女の一生ものは、受けないのかも知れない。
いずれにしても、山あり谷ありの起伏の中で、さんざん苦労を重ねたヒロインが、最後はめでたしめでたしでエンディングを迎えるのが定番だが、今回のドラマは異色だった。

大正生まれの女性が主人公。
第二次世界大戦が忍び寄る時代を背景に、スタートした。
当時の庶民の、平均的生活レベルとしては、比較的、豊かな家に生まれ、女学校に行き、ピアノも習う。
母は幼い頃亡くなり、父も、仕事の事故で失う。
そのなかで、きょうだいが力を合わせて、生きていく。
やがて戦争が激しくなり、相愛の婚約者が出征。
婚約者の居ない旧家の味噌屋を手伝ったり、空襲に遭ったり、様々な苦労を重ねる。
戦地で死んだと思っていた婚約者が、思いがけず生きて帰り、結ばれ、味噌屋の女将さんとしての新しい生活が始まる。
子どもも授かり、さあ、めでたしめでたしと言うところで、結核にかかっていることが分かる。
当時は結核は不治の病に近い。
病状の進む中で、子供を産み、やがて命を終える。
最初から見ていた友人が、途中から「次ぎ次ぎ人が死んで、悲惨な話が続くので、もう見たくなくなった」と言っていたが、私は、最後まで、ドラマに付き合い、今日などは、ぼろぼろ泣いてしまった。
朝ドラとしては、暗い結末だなあ、やはり、ヒロインを生かして欲しかったなあと思うが、考えてみると、昭和20年代位までは、こういう形で死ぬ女性は、少なくなかった。
ましてや、男尊女卑の時代、機械化されていなかった女性の家事労働は、今とは比べものにならないくらい、厳しいものだったであろうし、産褥や、過労のために、新しい命と引き替えに、生を終える女性たちも、多かったのだろう。

五月に亡くなった、私の父の生母は、4人の子供を産んだ後、産後の無理と、やはり結核のために、父が2才にならないうちに亡くなっている。
だから父は、生母の顔を知らない。
現在93才になる私の母の生母も、6人の子供を産んだ後、産後の過労で、母が10歳の時に、命を落としている。
「まだ33才だったのに、覚えている母は、まるで老婆みたいよ」と母は言う。
それほどに、家事労働がきつかったと言うことであろう。
ストレプトマイシンが出来てからは、結核は死の病ではなくなったが、栄養状態の悪かった戦後のある時期までは、若い男の人でも、それで命を落とす例が、少なくなかったのではあるまいか。
お産で死ぬと言うことも、今ではほとんど聞かなくなったが、このドラマは、半世紀前までの日本で、ごく普通の女性たちの生き方に見られた、一つの例だとも言える。

ドラマの終焉を見ながら、両親の育った時代、そして、その親たちのことに、ちょっと思いを馳せてみた。



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