沢の螢

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ネットあれこれ
2004年04月12日(月)

インターネットの特徴のひとつは、匿名性と言うことであろう。
お互い、顔も実名も、氏素性も知らずに、付き合うことが出来る。
もちろん付き合うと言っても、ネット上で交わされるメッセージから、相手をイメージし、どこか共通点があったり、感覚の似ていると思われる点があれば、メールや掲示板の書き込みで遣り取りするくらいのことである。
サイトの運営がうまくいっているひとつの要素は、掲示板が生き生きと機能しているかどうかということも、大きいようだ。
私は、自分の冴えないサイトにも、参加型の連句掲示板をいくつか置き、こちらはうまく機能している。
連句という文芸スタイルがネットという媒体とうまく合っているからであり、顔見知りであるとないとを問わず、同じ土俵で愉しむことが出来る。
ゲストブック的な掲示板も置いてあるが、こちらは、書き込んでくれる人は多くない。
覗いてあまり愉しいサイトではないので、気軽に書き込む気にならないのかも知れない。
廃止してしまおうかと思ったこともあるが、サイトの宿帳のようなものだからと思い、そのまま置いてある。
だから、書き込みが無くても、削除されないサーバーのものを使っている。
メッセージに対しては、必ず速やかに返事を書くことにしているが、投稿数が多くないので、それも楽である。
たまに、遣り取りが連続すると、嬉しい。
削除しなければならないような書き込みが、今までほとんど無かったのも、有り難いことである。
あちこち人の掲示板を見て歩くと、サイトそのものより、掲示板だけが妙にニギヤカというのがある。
いったい何のサイトだか、本体はあまり見ないが、掲示板に来る人同士の付き合いが、主なのであろう。
流行っている掲示板は、管理者が概ねおおらかで、類は友を呼ぶというのか、常連のメンバーがいる場合が多い。
中には、実生活でも、付き合いがあるのではと思われるような、仲間言葉で、遣り取りしている場合がある。
見ていて、愉しそうだし、ちょっとその中には入れないなと思う雰囲気がある。
仲間内でだけ通じる言葉を使っていると、覗くのも悪いような気がして、閉じてしまう。
それはまだいい。
其処に新たにメッセージを寄せたとき、常連の人たちから、邪魔者が来たと言わんばかりのリアクションを受けることがある。
「はじめまして」と挨拶しているのに、無視する。
折角仲間内で愉しんでいるのに、余計な人が来てと思うのだろうか。
新参者を飛び越して、前からの仲間との会話を続ける。
せっかくの書き込みは、いつの間にかどこかに行ってしまう。
でも、管理者が気が付いて、挨拶を返してくれれば、こちらもホッとして、また来ようかという気になる。
管理者共々、仲間でがっちり組んで、メンバー以外の人をシャットアウトする空気があると、もうそんなところは2度と行かない。
掲示板に書くというのは、案外と勇気の要るものだから、それがわからないような管理者では、仕方ない。
時々覗いている文芸サイトの掲示板、パスワードを設定しているわけではないが、非常に閉鎖的である。
まず、タイトルの下に「会員制」と表示してある。
一時は、「新加入は、会員紹介により厳選」などと書き加えてあった。
さすがに、最近は、それはカットしたが、感じの悪いこと、類を見ない。
「偉そうに」と、サイト管理者の顔を見てやりたくなる。
また、別の例だが、掲示板に入った新人を、常連が、いびりまくって、とうとう追い出した情景をつぶさに見たことがある。
新人は、別に有害な記事を書いたわけではない。
ただ、前からの空気が飲み込めず、少し、不器用な乗り方をしたのであった。
疑問に思うことがあって、率直に質問した。
それが、前からの常連に気に入らなかったのである。
集中的に、言葉尻を咎めるごとき反応をし、いたたまれなくなった新人が、とうとう引っ込んでしまったのであった。
そんな情景は、当事者でなくても、不快なことである。
広く公開し、アクセスの多いことを誇っていながら、新しい人に対するやさしさのかけらもないのである。
今につぶれるだろうと思っていたら、其処はインターネット、どんどんメンバーが替わるので、ほどほどにメンバー数が保たれていて、まだ健在らしい。
ただ、たまに覗いてみると、その分野のパイオニアとして始めた頃の、キラキラしたものが無くなり、メンバーはほとんど入れ替わってしまった。
みんなが同様のものを、ネットをやるようになり、いつまでも王国で居られなくなったからであろう。
今のサイトの運営をいつまで続けるか、私にとっても、考え直すときが来ている。



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