今年になって最初の連句会に行く。 もちろんインターネットの連句をやっているので、連句には年末年始に関わりなく接しているが、座での付け合いは、今日が最初である。 ベテランの人たちでやっているこの会に、2年前から時々呼んで貰っている。 今日は6人と5人に分かれて2席。 歌仙である。幸い良い天気で、愉しい座だった。 今日は女性ばかり。 この会にははじめてという人が3人招ばれていて、うちひとりは無断欠席。 主催者側がお弁当も人数分用意して、ちゃんと2度も案内状を出しているというのに、断りの電話もなかった。 その人には、私も、一度、すっぽかされたことがあって、それ以来、絶対声を掛けないが、当人は「アラ、そうでしたっけ」とけろっとしていた。 団塊の世代。 この年代の人には、よくあることである。 礼儀知らず、無責任、無反省、プライバシーの感覚に乏しく、人のアイデアを平気で盗用したりするのも、この年代に多い。 こんなことを言うと、同年代で、きちんとしている人から反発を喰うだろうが、自分の妹を見てもそう思う。 ベビーブームの中で生まれ、常に競争の中で育っているので、自己主張も強い。 この人達と付き合うときは、かなりこちらがソンをすることを覚悟しなければならない。 何年か前の話だが、連句の付け合いについて質問のメールを寄越した人がいた。 私もそれ程連句に詳しいわけでなく、また特に親しい間柄ではなかったが、こちらは調べて、一応きちんと返事した。 それに対して、返礼のメールはなかったものの、大したことではないからと、そのままにしていた。 すると、その人はその連句作品をコンクールに出し、入選した。 知ったのは、入選作品集を偶然見たときである。 それまで、その人から何の知らせもなかった。 私だったら、「おかげさまで」ぐらいは言うだろうと思う。 実際にはお陰様でなくても、それが、普通の礼儀である。 第一、人に物を訊くのに、メール一本で済むと思っているところが、そもそもおかしいのである。 終わればケロッとして、報告もしない。 それこそメール一本で済む話なのに。 「やらずぶったくり」というのかも知れない。 やはりその世代。 何度か似たような経験をして、私はその人とは、こちらからは付き合わないことにした。 若い頃は、全共闘で暴れ回り、古い価値観を破壊していった人たちだから、どこかにその片鱗があるのかも知れない。 連句が終わってから時間があったので、何人かで駅近くの喫茶店に行き、お茶を飲んで帰ってきた。 明日は、また別の連句会がある。 連句の会には、率先して参加することにしているので、今月はあと5回予定している。 連句を追っているうちに、いつのまにか月日が経ってしまうが、行けるうちが花かも知れない。 この分野は平均年齢が高いので、今まで元気に来ていた人が、自分や家族の病疾で、来られなくなったりすることはよくある。 10年前、連句に足を踏み入れたときから、指導的存在の人が2人亡くなった。 その代わり、新しいメンバーも加わっているが、もともとマイナーな文芸なので、実際にやる人は、そう増えない。 連句を広めようと言う人はいて、熱心に新しい人を誘ったりしているが、私は、その点では消極的である。 自分が好きだからと言って、無理に人を誘うことはないと思っている。 ゴルフや麻雀を、いくら勧められてもやらないのと同じで、人が誘ってもダメなのである。 興味があれば、誰から言われなくても、探して入ってくる。 趣味というのは、そういうものである。 連句に多くの時間を割き、出かけていく私を、夫はどう思ってるのか、まともに訊いてみたこともないが、子どもが独立し、自分もリタイアしたからには、女房にも好きなことをさせてもいいと思ってくれているだろう。 そのように勝手に解釈して、せっせと、歳時記の入った鞄を提げて、出かけていく。 行けば、2次会まで付き合って、夕飯の支度は、期待できないことが解っているので、夫は、最初からアテにしないのである。 今日も、夕食に間に合う時間に帰ってきたら、夫の方はさっさと、自分の好きな物をあつらえて、食事を始めたところであった。 歳末から正月にかけて、ふたりでべったり過ごしていたので、夫の方も、うんざりしている。 「明日も連句なの」というと、「どうぞどうぞ」と、明るい返事が返ってきた。
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