沢の螢

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廻り来るもの
2003年10月26日(日)

誰の言だったか、人間には、若さと時間とお金が、三拍子揃っているときと言うのは、あまりないそうである。
若くて元気で、時間はあるのに、お金がないのは、私の学生時代はそうだった。
中年になり、生活は少し豊かになったのに、仕事や、家庭の変化への対応が忙しく、時間がない。
それらを卒業し、お金も時間もあるのに、もはや、体力がない。
三つを比較的、備えているいい時代が、60代ということになるだろうか。
リタイヤし、子どもも独立し、お金も、そこそこあり、まだ海外旅行に行ける元気もある。
ところが、長寿の時代となって、親の介護の問題が、60代の人たちのところに、大きな問題として、のしかかってきた。
昔なら、自分自身が高齢者と扱われる年になって、長生きしている親が、80代後半から90前後になり、要介護状態になっているのである。
私にも、90前後の親がいるが、私の友人達も、二親揃ってとまで言わずとも、まだ親が存命中である場合が案外とあり、皆、それなりに苦労している。
昨日、しばらく会わずにいる友人から、母親が、要介護状態になり、外出もままならなくなり、忙しい思いをしているとの、メールが入った。
介護保険を申請したが、何事もはじめての経験で、わからないことばかりで、大変らしい。
この夏、夫婦で、ドイツ旅行してからあとに起こったことで、もう旅行にもしばらく行けそうにないと言っている。
もうひとりの友人は、自分の母親、連れあいの母親が共に90前後、その介護を巡って、兄弟の間の軋轢やら、交代で泊まりがけの介護をするなど、心労が絶えないと言う。
「私のほうが先に逝きそうだわ」と嘆いている。
私の世代というのは、まだまだ古いモラルが生きている世代、親子の関係も、ウエットなところが残っている。
年を取ったら、子どもの世話になるのが当たり前として育ってきた親の世代と、親子関係を行政や第三者に委ねることを、自然に受け入れられる子ども世代とのはざまにあって、皆、つらい思いをしている。
親の面倒は見るが、自分たちは、子どもの世話になりたくないし、なれないだろうと思っているのが、私の世代の共通する感覚である。
今日、学生時代の合唱団の集まりがあり、半日愉しく過ごしたが、病気でもないのに、来られない人たちがいた。
親の介護で出られない人、子どもから孫の世話を頼まれて、足止めを喰った人、その二つの理由であった。
やっと、子どもから解放されると、今度は孫の世話かと、孫のいない私は、同情するが、孫はいずれ成長するからまだいい。
親の介護は、いつまでと、期間が決められない点、深刻である。
その上、状況が今よりよくなることは、ないのだから。
「60になって、まだご両親がいるなんて、いいですね」と、人からは言われる。
私もそう思う。
でも、顔を見に行くたびに、どんどん弱っていく親を見るのも、つらいものである。
昨日、私の留守中に、母から電話があったらしい。
「君の足のことを心配していたよ。でも、本当は、自分のことを気に掛けて欲しくて、電話してきたんだろうね」と夫が言った。
明日から2,3日、庭師が来る。それが終わったら、親の様子を見に行かねば・・・。



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