梅雨明け宣言は出ていないようだが、今日は久しぶりに晴れた1日だった。 気温も30度を超えるほど。 合唱の練習で、オリンピック青少年センターへ。 連れ合いと私は、大学時代、同じ混声合唱団にいた。 今年は、その合唱団の定期演奏会が50回目にあたるというので、ここ数年、OB、OGの集まりも活発になっている。 毎年秋に、現役団員との交歓会に、何曲かを歌うことになっていて、今年は、清水修作曲の「農民の歌」。 方言がそのまま歌になっていて、それを音楽的に美しく歌うのは、かなり難しい。 アカペラで、リズムがよく変わる。 現役時代も難しかったが、それから40年も経って、声も、リズム感も悪くなっているので、なかなかうまく合わず、指揮者が苦労していた。 午前中2時間の練習が終わり、みんなで食堂の昼食を摂って、散会した。 来年の定期演奏会には、OBにもワンステージどうかという声があって、モーツァルトのミサをやることになっている。 還暦を過ぎる年になり、仕事や子どものことから解放され、また、こういう遊びを愉しめるようになって、嬉しい。 2年前、プロのオーケストラ付属の合唱団に入っていたことがある。 オーディションを受けて、入団したが、あまりに練習がきつく、とても楽しんで歌うところではないと悟り、3ヶ月で辞めた。 毎週一度、夜2時間半の練習の他に、演奏会が近づくと、土日を含め、週3回の練習、しかも、演奏会の度に、出演オーディションというのがあり、それに合格しなければならない。 もちろん原語で暗譜、指揮者や、パートリーダーなどの前で、一人ずつテストを受けるのである。 入団した時、ベートーヴェンの「ミサソレムニス」の練習に入ったところだった。 9月の演奏会に向かって、6月からハードな練習が始まった。 12月の「マタイ受難曲」の練習も併行して始まっていた。 「ミサソレ」のオーディションは、8月の終わり頃。 だんだんみんなの目が血走ってくるのがわかる。 周囲は、みな競争相手なのである。 6月から入団した私たち新人は、最初のステージには、ほとんど出られないといわれたが、何でも経験と、受けてみることにした。 「ミサソレムニス」はラテン語、フーガの難しい箇所がある。 当日は、私は連句の合宿の帰り、リュックを背負ったままの姿で、試験場に行った。 行ってみてビックリした。 皆、数日前から、有料の練習場を借りたり、アルバイトのピアニストを頼んだりして、練習を重ね、試験に臨んでいるのである。 服装からして、違う。 旅行先から、そのままなどという不心得者はいないのである。 さんざん連句で愉しんで、私のアタマは、空っぽに近い状況だったので、試験など受かるわけはないのである。 指揮者が指定したページを、はじめはパート一人ずつの4人で歌い、次に、女性2人、男性2人に分かれて歌った。 中断せずに終わりまで歌ったものの、結果は聞かなくてもわかった。 36人の新人のうち、合格したのは、8人。 私のパートのアルトは2人だけ、いずれも若い人だった。 それから演奏会までの練習は、合格者のみが参加出来る。 「マタイ受難曲」の練習が、そのあとに始まることになっていたが、私は、そこですっぱり辞めた。 3ヶ月の練習で、時間的、肉体的に、厳しさは充分身に沁みたし、連句や他の楽しみとは、とても両立しないこともわかった。 もう少し若ければ、意欲もわいたかも知れない。 他のことを全部捨てるには、私は、欲がありすぎる。 中途半端にやっていても仕方ない、3ヶ月一流の指揮者などから、充分音楽的なものはもらった、これでいいと思った。 すぐに退団届けを出した。 「折角入団テストに受かって入ったのにもったいない。2回3回と挑戦していれば、出演の機会も来るのに・・・」と言われたが、迷わず退団した。 9月、「ミサソレムニス」の演奏会を聴きに、サントリーホールに行った。 大変素晴らしい演奏だった。 合唱の声はひとつにまとまって、完璧に近い出来だった。 私は、観客席から、惜しみない拍手を送った。 それ以後、合唱からは遠ざかっていた。 少人数で、ハーモニーを愉しめるようなところなら、行ってみたい気はある。 時々、調べてみるが、なかなか見つからない。 「モーツアルトのレクイエムをやるからいらっしゃい」と誘われたが、今ひとつ、考えあぐねているところである。
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