沢の螢

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水色の人生
2002年01月22日(火)

ガラスの靴女はいつも探してるきっとあるわとおとなになっても (初出「桃李歌壇」)

高校の時、つき合っていた男の子は、大学の付属の男子校に通う、理科系の子だった。当時は、つき合うと言っても、博物館だの、美術館へ行き、街の本屋を覗いたりがせいぜい、喫茶店にも入ったことはなく、何ともかわいらしい、純朴な付き合い方だった。彼は私を喜ばせようとして、自分の興味のある「小西六ギャラリー」とか、「アイソトープ展示会」みたいなものに連れて行くのだが、私はちっとも面白くなかった。
私は、当時の文学少女で、アンドレ・ジイドや、ヘミングウエイなどの外国文学、フランスやイギリスの映画が好きで、そういう話をしたいのに、あちらはまったく興味を示さない。だんだんつまらなくなり、大学に入る頃から疎遠になって、自然に付き合わなくなってしまった。
一度だけ、本屋でばったり出会ったことがあり、「相変わらず、本が好きだね」と、向こうは懐かしそうに話しかけたのに、私は、その頃別の世界が愉しくなっていたので、ろくに返事もせずに、その場を離れてしまった。
それから十数年たって、荷物を整理していたら、高校時代にその人と交わした手紙の束が、そっくり出てきた。人から貰った手紙は、大事にとって置くほうだったから、生活の変化で何度か住まいが変わっても、もって歩いていたのだろう。こういう時代もあったと懐かしく読み返していたら、私は大事なことを見落としていたことに気づいた。
高校生の時、つまらない人だと思っていた人が、文面から、生き生きと立ちのぼって来るではないか。礼儀正しく、人生を真摯に考え、私の心に近づこうと努力し、誠実に言葉を受け止めている、彼の人となりが、良く解るのだ。どうして気づかなかったのだろう。
私は、彼の良さを少しも分かろうとせず、大事なことに気づかずにいたのだ。私はなんと、軽薄な人間だったのだろうと、胸が痛んだ。
この年頃の女の子は、男の子というものを、本当には理解できないのかもしれない。男の子のほうも、多分そうだ。でも、理解しているかのように思い、人生を共にするうちに、お互いの落差に気づいたりするのかも知れない。
街中で、若いカップルに出会うと、ふとよぎる想い出である。

バラ色とはとてもゆかぬがそこそこの水色くらい私の人生 (初出「生方卓の社会思想史」)
2002年01月22日 17時25分12秒



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