不思議っ茶の日記
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日本国憲法第26条に「義務教育はこれを無償とする」とある。 教科書が無償配布されてもう何十年になるのだろ?
今日、30代のわかいお母様と話をしていて、世代のギャップを はっきり感じた。
子供の児童手当の支給やら、医療費の援助やら、福祉は格段の進歩を遂げている。
学校にあっても、教科書は当然の如くただで受け取った世代である。 わたしは、教科書代は義務教育9年間、払った。 教科書は買ったわけだ。
一年後輩から、無償になっていった。
だから、これほどまでに福祉が進んでいることを実感する。 が、いまの30代になると、求めずして得た行政の福祉サービスであった。
だから、友人達は政治に関心がないと、彼女は言うが、なるほどと思った。 だったら、これからのことを思えば、憲法第9条の改正をどうするかとか 消費税の値上げをどう思うかとか、 それこそ、年金問題やら、雇用問題、教育問題などが、彼らには身近に思える問題では無いだろうか。
その教科書のことだけど、小学校の頃、お下がりの教科書を使っている子供達はたくさんいた。
毎年、そんなに変わらないので、年長の兄弟が使っていた教科書をつかっているのだ。
だから、多少の記述の違いなどがあった。
教科書を、読んでいると、「え??」という声が上がる事がある。 例えば、「ソ連は、以前はロシアという国名であった」を「ソ連がロシアであった時代」など少し違ってたりするわけだ。 教科書が古い子と新しい子の間に、少しの違いがあるのを、授業中お互い確かめ合ったりした。大丈夫、その頃は、一週間は6日の登校だったから。授業時間はたっぷりあった。
そんなことを彼女等と話していて思いだした。 彼女達は、教科書は使い捨てだったかもしれない。
兄や姉が大事に使って、譲ってくれた教科書をまたまた多少の記述の違いにも負けずに使っていた。それが2代目どころか3代目にもなると、多少の記述の差が、多くなったりしたものだ。 先生は、「○○君は、どうかいてる?」「△さんは、そこをどう書いている?」「今は、こんなに書いてるよ」と、楽しく授業をしてくれた。
兄弟のいないわたしは、新しい教科書を使っていた。
たまに、今6年生になっている、お兄さんが1年生だったころ使っていた リコーダーの本とか持ってる子がいて、私達のに載っている曲以外の曲がそのこの本に載っているのをみつけて、羨ましく思ったりした。
教科書を大事にしない子が増えているというが、それは無償のせいではない。心のせいである。
弟妹がそのうち使うから、大事にしなさいね、と父母にいわれて、大事に使った兄姉の心を、彼らは感じていたのだろうか。よごれた染みや落書きもあったかもしれない。
裏表紙の名前の欄に、名字しか書いてない教科書を持っている子もいた。 また、弟が使うから、名字だけにしているといっていた。
確か先生は、「エンピツであなたの名前を書きなさい、弟さんが使う時、消したらいいから」とアドバイスしていた。
なんだか、暖かくなるような思い出であった。
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