不思議っ茶の日記
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格差社会は、昔からあったはずである。 だた、「格差社会」という言葉が、なかっただけである。
言い換えれば、不平等社会、身分制社会(いいすぎ?)所得別社会であり ミドル階級とかアッパー階級とか、ハイソサエティとか、それらしき 言葉はあった。
この言葉の存在は「なぜ、必死で受験勉強をするのか」という命題に近い。
受験勉強の目的は、いい大学へはいって、いい会社へはいって、出世をするため、そして豊かな生活を送るため。
つまり格差社会で勝ち組になるためなのである。 負けたからといって、負けそうだからといって、自信がないからといって、 「格差社会はんた〜〜〜い」などと自分の弱さを隠して問題を摩り替えるような発言はやめたほうがいい。>永遠に野党をやっている政党さんへ
また、こんな言葉もあった、「3高」。 結婚する相手は、「3高」である。
給料と、学歴と、身長が高い事が、いいお婿さんの条件の基本であった時代である。
身長は努力しても無駄かもしれないが、給料と学歴はそれなりに 努力目標になりえた。
何処の大学を出たかが、執拗に問いただされた時代であった。 また、何処の会社で、働いているかも。つまり人間のブランド化である。
高級ブランドとは、東大出の官僚かもしれない。また、一流会社の重役かもしれない。
そんな高級ブランドをめざして、受験戦争を戦っていたのだった。
それが、悪いことだったのか、いいことだったのかわからない。 ただ、当時の子供達は努力をし続けたのは、確かだった。
努力は必ず実るという信念で勉強をしたり、仕事をしたりする人生を もっと肯定するべきである。
子供には子供の人生があるからと、知らん顔してはいけない。
積極的に大人が子供にかかわることをしないから、 子供がおかしくなるのである。大人もおかしいままである。育児は育自 といわれるゆえんである。
勝ち組でも負け組みで、人生の最後に勝てばいいのであって、生きている それ自体が、ことごとくエチュードなんだろうなと、思っている。
だから、人生最終ゴールにたどり着くまでだれも負け組ではないし、まだまだ勝ち組でもない、はずだ。
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