不思議っ茶の日記
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| 2006年10月21日(土) |
まだでてくるいじめ事件 |
またまた、今度は兵庫県の公立高校のソフトテニス部の男子部員が、いじめにあっていた。部員を相手の集団いじめである。
暴行事件というが、もっと詳しく報道すべきである。 加害者も被害者も少年ということで、いままでマスコミはちょっと遠慮しすぎであったのではないか、と思ったりする。
そうこうしている間に、どんどんいじめは潜在化、習慣化していき、 実態をつかめば、なんとびっくり!!鬼が出るか蛇がでるか!! そんな禍々しいものになってしまった。
この男子部員、精神的ショックで、車椅子の生活をやっているとか。 それでもいい!!よくぞ死ななかった!えらい! その姿を持って、いじめ撲滅を訴えることができるし 刑事事件になれば、もっと社会的に注目度が上がる。
わたしは、面白がっているわけではない。まじめである。
いままでいじめにあった子供達は、つらい現実から逃げたくて、自殺を選んでいたが、今度は家族一丸となって、戦うべきだ。相手は、いじめをやった部員であればその証言を得ればいい。いじめた人間をとことん、追い詰めていくべきである。
かの昔、「人間失格」という太宰治作ではなく、野島伸司作の「たとえば僕が死んだら」という副題の付いた、小説のドラマ化が注目を浴びた。
なんのへんてつもない、学校生活の中に、いじめが潜んでいて、悪意の目撃者が隠ぺいをするという、決して表面に出ないいじめのドラマであった。
それが、いじめによる殺人という疑惑が生まれたのは、ほんの些細な証言からであった。
その証言を頼りに、父親が真実を極めようとするけど、結局は裁判にすら 持ち込めない。そのうらみを、自分はどうなってもいいと言う捨て身で いじめをやった子供達に返していくのであった。
いじめをやった子供たちの身の上に、事件が起こっていく。 これは、あの日、いじめた少年の呪いなのか、と恐怖が広がっていく。と同時に、生徒が事故(あくまで)でなくなっていくのであった。
結局、いじめで少年を殺した首謀者は、一人は、精神的にショックをうけて気がおかしくなり、もうひとりは、突然発狂して窓から飛び出してなくなるわけだった。
小説だしね・・・・現実のいじめの決着は、いじめられたほうが、悲劇だったってわけだしね。
福岡県の三輪中のいじめで、関係した生徒が、「すみませんでした」と遺族に謝ってきたとしても、許せないものは許せない物だし・・・・。 誤られても、死んだ息子さんは帰ってこないし。 どうにもならないわけだし・・・・
いじめで、逮捕者が出て、前科ものになったってことになれば、 いじめは、犯罪だと認識できるんだけど・・・・・・ 「自殺」したら、絶対損だと思う。
生きているいじめた人たちが「知らない」とか「証拠が無いだろう」とか、いったら、どうしようもないから。
自殺しないで、家族で力をあわせて、戦ったらよかったと思うよ。
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