a Day in Our Life


2006年08月29日(火) 暁月。(コウムラ×トクマ)

 風呂から上がった頃には、二人共すっかり疲れ果ててしまっていた。

 多少の無理をしてしまった気もするから、特にトクマはぐったりとしていて、やり残した片付けや、その他もろもろをする気にもなれず、リビングのソファに横になってしまう。革張りの大きなソファは夏でもベタつかず、肌に触れる部分が気持ちがよくて、じっと目を瞑ると、そのまま眠りに落ちてしまいそうだった。
 喉に渇きを覚えて、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出したコウムラは、そんなトクマの様子を何となく、遠目から眺めてしまう。
 航海から帰ったばかりで疲れているのは同じだろうトクマが、それでもこの家の主であるコウムラを気遣うばかりだったから、何となく収まりが悪くて一緒に入ろう、と言ってはみたものの、広い湯船に二人並んで浸かるだけでは終わる事がなく、結局、何となくそんな感じになって、何となく長風呂になってしまった。
 それ自体は初めての行為でもなかったのに、コウムラの腕の中で身じろぎをしたトクマは、「だって、あの時は俺、本当に意識が混乱していたから」と照れくさそうに笑って、だからこれが初めてのようなものなのだと、処女のように頬を染めた。トクマのそんな初心な反応が愛おしく思えたから、コウムラ自身も逸る気持ちでトクマを抱きながら、妙に冷静な頭の片隅で、あの時は草むらで、今度は風呂って、まともにしてへんなぁ、と苦笑した。
 薄々コウムラにも分かっている、たぶんコウムラにもそれほど、余裕がないという事なのだろう。
 そんな気持ちは初めてかも知れなかった。目の前にいるトクマを大切に思う、大切にしてやりたいと思う、それを端的に愛情と呼んでいいのかどうかは、まだ迷う事もあるけれど。それでも航海に出る前より帰って来た今、コウムラの中で確実に何かが変わっていた。
 だから今、ソファに横たわって、そのまま眠りに落ちてしまいそうなトクマにゆっくりと近付いて。うとうとしながらも、遠い意識で現実を忘れていないらしい、「片付けは明日やりますから…」と、寝言混じりに呟いて、一度は畳んだタオルケットを引き寄せて、寝る体勢に入ろうとしたトクマの肩を揺する。
 「トクマ。そこで寝んな」
 やや力強く揺さぶられて、のろのろとトクマが目を開く。心地よい疲れに導かれて、眠たげなトクマの目がとろんとコウムラを捉えた。
 「…?」
 まだ何かあるのかと半分眠った脳で考えようとするトクマが、正解に辿り着くだろうとも思えない。たぶんコウムラは自分でも思う以上に優しい顔をして、トクマに微笑みかける。
 「今日からリビングで寝るんは禁止や」
 じゃぁ、どこで寝ればいいのかとトクマが考える前に、強い力でコウムラに引っ張られた。ソファから引き摺られて、ぐらりとコウムラに体ごと倒れこんだトクマを荷物のように抱えあげたコウムラは、思いのほか重い事に顔を顰めてみたものの、何とか落とさずに歩き出す。その、コウムラの歩く速度や僅かな揺れが気持ちよくて、もうトクマは、考える事を放棄した。
 リビングから廊下に出て、そう遠くはない二つ目の扉を開ける。そこはコウムラの私室で、この家の掃除を一手に引き受けるトクマも、その部屋にだけは入った事がなかった。だから、部屋に足を踏み入れた途端にそこに充満する「コウムラ」の匂いを嗅いで、その鼻腔をくすぐる初めての匂いに、頭ではなく体で、トクマは気がついた。
 「…コウムラさん…」
 けれど、反応するだけの気力が残っていないトクマがぼんやりと呟くのに、また薄っすら笑ったコウムラはもう、何も言わずにベッドサイドまでやって来ると、静かにトクマを横たえた。そこにあるキングサイズのダブルベッドはコウムラ一人が眠るには広々としていたから、トクマが増えても全く問題はなかったのだけれど、その場所まで深く入り込んだという変化を、トクマが改めて認識するのは明日以降になりそうだった。
 今はただ、柔らかいマットレスや滑らかなシーツが心地よくて、幸せに眠りに着く。
 一度リビングに戻ったコウムラが全ての電気を消した後、部屋に戻って同じベッドに潜り込み、くるくると跳ねるウェーブに指を滑らす頃には、トクマは深い眠りに落ちてしまっていた。



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ぎょう‐げつ【暁月】明け方の月。

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