2004年09月06日(月) |
『最後に、たった一つ』(ヨコヒナ) |
ヒナが、記憶喪失になった。
ゴンって大きな音とともに、崩れ落ちるカラダ。 「村上くん!?」内の、悲痛に近い叫び声が響き渡る。
カメラのコードに足を引っ掛けて、転んで頭打ったなんて。 ベタすぎて笑えない。
しかもそのまま意識なくなり。 気付いたときには、記憶が吹っ飛んでるなんて。
「誰?」
目覚めて一番に見たはずの俺の顔を見て、呟くなんて。 ベタ過ぎて、三流作家以下やと、笑いたいけど笑えなかった。
「ほんなら、自分のこともわからへんのか?」 コクンと、頼りなげに頷く村上に、途方に暮れる感じがした。
とりあえず、このままじゃ仕事も出来ないからと、その日の撮りは中止になり。 「村上くんのそばにおる!」と駄々をこねる内を錦戸が無理やり引っ張っていき。 一番付き合いの長く、村上が思い出すには一番最適であろう、横山が、村上を引き取ることになった。
車の中。 隣に座る村上が、自分を見ようとしないことに。横山は少しの苛立ちを感じていた。 自分のことも、横山のことすら覚えていないのだ。 知らない相手がそばにいるのと同じことで。誰なのだろうと、疑心暗鬼になるのも無理はない。 けれど。
「お邪魔します」
家の前。 ドアをくぐることを躊躇う村上が。 他人行儀なその仕草が。 横山の心を、締め付けた。
とにかく、村上のこと、自分のことを思い出してもらう。それが最優先だろうと。 昔の雑誌や番組を見せ、思い出話から、最近の出来事まで。 ありとあらゆる、村上の思い出を見せたけれど。 時折考えこむようにぼおっとする村上が心配になり、「おい」と呼びかけながら、肩を軽く揺すると。ビクっと、肩を竦ませ、手を避けるような仕草をした。
「あ・・・ごめん・・・」
そんな、困ったような、悲しいような顔をさせたいわけではない。 けれど、自分を信用し切れてないのがわかって。 横山はただ、落胆した。
「まだ、信用できひんか?」 「う〜ん・・・・・・・」
苦笑いを浮かべるのは、その質問を肯定しているも同然で。
「俺のこと、まだアカン?」 「うん・・・・・」
どこまでいっても平行線。 8年かけて作り上げた、自分と村上との距離を、関係を。説明したところで、今の村上に理解してもらえるなんて思えない。 突然現れた男を、信用しろってことのほうが、間違ってるんだろうけど。 けど、ここまで拒絶されたら。もしかして、記憶を失うから。実は嫌っていたんじゃないかて、思えてくる。 調子よく合わせるヤツのことだから。今まで見た、横顔も。ニセモノかもしれないと思いはじめてきた。
「俺のこと、嫌いか?」 「ううん。好き」 「え・・・?」 「好きやって思う」 「・・・・なんで?」 「なんでかわからへんけど、好きって、思うねん」 「でも信用できひんのやろ?」 「・・・うん。でも好きなんや」
その目は、嘘は言ってるようには見えない。 真っ直ぐに見据える目は、記憶を失った今も前も、変わらない。
記憶を失った村上の。 たった一つだけ、記憶にある。覚えていることが。 自分を好きだという、心。
それがどれだけ嬉しいと思ったか。
「・・・なんか、眠くなってきたわ・・・・」 記憶をなくしたことで、思い出そうとしたり、しらない人達に囲まれたりして、いろんな神経を使ったからだろう。疲れたと、眠たげな目を擦っている。
「眠りや。寝たらなんや思い出すかもしれんし」 「・・うん・・・」 あやす様に頭を撫でると、安心したかのように、目を瞑りながら、ゆっくりと倒れて行く。 「なあ・・」 「ん?」 「そばに、おってくれる?」 「・・・当たり前やん」 だからゆっくり眠りな。笑って呟くと、安心したように笑って。 おやすみと、呟いて。目を閉じた。
次の日、目覚めた横山を。 いつもの笑顔浮かべた村上が、照れくさそうに、迎えたのは。 あと数時間後の話。
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