ネコヤシキ日笑
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2004年07月28日(水) |
スケジュールの先には「人」がいる |
キャリアカウンセラーの方による「ライフ・デザイン」の公開講座。4回目。
ライフダイヤグラムというのを書く(描く)。 そのあいなかで、時間管理について。
「スケジュールは『モノ』ではなく『人』」 というサジェスチョンが私にはよかった。
「〜ねばならない」「〜すべきである」という「責任」の観点から考えがち。
そうではなくて、じぶんの「ミッション 使命」の観点から考える。
何かをするその先には誰かがいる。相手がいる。 その人との関係のなかに役割がある。 じぶんの「役割」を大切にする。
「(だれか)のために(どういう存在)でありたい。あったらいいか」 「(だれか)のために(どういう存在)であるために何ができるか」。
・多く、速く、懸命にではなく、何をどうやるか「方向性」を大切に
・限界を知り、自分にできることに焦点を合わせる (やらなくていいことを知る) (無理してやらなくていいことは何かを知る)
・感情的に反応しないで解決する力を持つ
・自立ではなく相互依存 win-win を考える
備忘録みたいだけれど、じぶんが読み直しやすいようにここに書いておこう。
たしかに私の場合、とくにこのごろ、やらなくちゃならない、やるべき、が多くて、やたらと疲れていることが多いみたいだ。方向性をしぼること、今の優先することをしぼること、無理をすればできる…ということでも今の方向性の軸で考えて、(できるだけ…)すっきりと断ったり、他の人に頼んだりしていくこと。今の課題。
(だれか)は、(顔のある)個人ではなくて、集団であるとか、不特定の人たちであることもありそうだ。
それぞれのことは、あたらしいアイデアではなくて、どこかですでに知っていることなんだけれど、これも今だから、この文脈できくから、ヒットするんだろう。
このひと月のあいだに、
・7年周期説のワーク ・仕事・交友・愛のタスクからこれまでのジンセイをいくつかの時期に区切るワーク ・きょうの、ライフダイヤグラム
と、来し方行く末を、ばくぜんとではなくて、手で書き、目で見えるようにして、人にも説明する、という機会が続いた。
これも必然、大きな流れというものなんだろう。
これまでやってきたこと、やってきていないこと、あと生きていられるかもしれない30年余りの余生、方向性。明確にしないできたことを掘り起こされるような。
今はそういうことに迫られている/機会がやってきている時期らしい。
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