ネコヤシキ日笑
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暑い。暑い。
明後日から改修工事が入り、そのために明日から母が来る。 今日はおかたづけ日。一日家にいて、ぐずぐずとおかたづけ。
書類の山から、「エンジョイ・イット」と題した、ふるいログが出てきた。
1)問題が自分の努力で解決できるものかどうか考える。 1−1)もし自分の努力で解決できないなら、楽しむか苦しむかを選ぶ。 1−2)もし自分の努力で解決できそうなら、努力するかどうか考える。 1−2−1)もし努力してまで解決する気がないなら、楽しむか苦しむか選ぶ。 1−2−2)もし努力して解決する気があるなら、楽しんで努力するか苦しんで努力するか選ぶ。
結局、どんな場合にも、人は「楽しむか、あるいは苦しむか」を選ぶことができるのです。これは、まったく主体的に選ぶことができる。このことは大発見です。「問題があるから苦しむ」というのは原因論で、アドラー心理学的ではありません。目的論的には、苦しみを「使っている」のです。おそらく、非建設的にね。
さて、趙洲は、「楽しむ方を選ぶ」と言います。しかし、私は、ときには苦しむ方を選んでもいいと思う。「私が選んでいるのだ」と知ってさえおればね。
うん。そうなんだ。 私が選んでいるのだ。
あたらしいアイデアではない。 何度も、何度も、聴いていて、知っていることだ。 でも、やっていないならば、識ってはいなかったってことだ。
このごろ、ずうっと気になっている課題があって、他者は変わらないし、自分は腑甲斐無いし、それはわかっているのだけれど、落胆して、苦しく思っていた。
そのような人たちが居るということは、私の努力では解決できないのだから、楽しむか苦しむかを選ぶことができる。私は今のところ、苦しむほうを選んできた。これから、楽しむほうを選ぶこともできるが、今は、しばらくこのまま居ることにしよう。
気になっている別の課題のことでは、私は努力して解決しようと思う。 ひとつは、苦しんで努力する。 もうひとつは、楽しんで努力することにする。
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