読み終わりました。
頷いちゃった。 そして、都会は嫌だと思った。 それでも染まってゆく自分にどうしようもなさと悲しさを感じる。
ちゃんと身体を感じていたい。 もっと身体を感じていたい。
置き去りにされた子供の感覚はきっと、体の感覚にとても近くて だから、私はそれが大切なのだと思った。
私は私だよ。
そんな風に私が言うのは、面白半分。 私と会話する為の言葉。 だから、誰かにわざわざ「私は私だよ」なんて言わない。 言う必要はない。 日記には書くけど。でも、日記に書く度ちょっと違和感。 やっぱり他人の眼があるからかな。
「私は私です。だから、変わらないんです」なんて言ってきた子がいたけど、変わらないならそれでいいんじゃないの? それを、私に言ってどうするの? わざわざそれを言うって事は「変わること」が怖いからではないの? と思っていたら、そのものずばりが書いてあったり。 うゎ。同じ事を思う人がいるんだって思ったv
夜の海に浮かぶ人工の光を見て「以前は人工の光なんて綺麗じゃないと思ってたけど、今は綺麗だと思う」と言った人もいた。 私は首をかしげてしまった。 それを、相手は判らないととらえた。 私が判らなかったのは「人工の光は綺麗でない」と思っていたからだと思った。 けど、何か違う。確かにそう思ってもいた。 だから「人工の光も自然の光も同じ光に違いがない」と思った時にうなづいた。 もう一つあった。 人工の光とか自然の光とか関係なく、「今この瞬間のこの風景が綺麗」
一瞬の時間はいつだって再び元には戻らない時間。 それはとても儚くて綺麗だと思う。
色々と……感想。
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