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2003年05月31日(土) |
ミュージカル『ヘッダ・ガブラー』 |
<原作>ヘンリク・イプセン <脚色・台本>ながみねひとみ <幕>休憩15分込み150分(予定)、実際は15分ほど延びてました。 <会場>東京労音R's Art <出演> ヘッダ・テスマン:徳垣友子、ユルゲン・テスマン:さけもとあきら ユリアーナ・テスマン:松岡美希、エルヴステッド夫人:涼木さやか ブラック判事:大須賀ひでき、エイラート・レイヴボーグ:岩田元
良かった。ミュージカルとしては とっつきが悪い話だし、 ストレートでやった方が良かっただろうとは思うけれど、 緊迫感があったし、キャラが立っていて、面倒な話なのに すうっと理解できたことに、ちょっと感動しました。 人に引きずっていかれただけで、正直なところ、 あまり期待していなかっただけに、なかなか拾い物気分。
話の内容は、好きかと聞かれれば嫌い。 出てくる登場人物にもイライラさせられること多々。 好きな人物なんて、1人もいないんじゃないかな? 『人形の家』と同じ時代ぐらいの話だと思うんだけど、 女は、家の中で良き妻をやる以外の生き方が あり得ない世界。
ヘッダも、それ以外の場所で生きられないと自分を規定している。 でも、大人しい学者であるユルゲンの妻としてだけの生活は退屈すぎて、 ただそれだけで生きていくことも どうにもできないでいる。 「人のお世話をすることが好き」などと言う叔母は、 つまらない人間だと嫌悪し、夫の財政に合わせて節約するのも論外。 誘惑を仕掛けてくる俗物的な判事のことは、嫌いながらも 毎日の繰り返しから逃れられるという点だけでは救い。 自由に生きるレイヴボーグに憧れ、父の形見である拳銃を愛する。 妊娠や子供は嫌悪の対象でしかない。
家庭=檻の中以外での生活を追う思いを止められないながらも、 その中でしか生きられないという彼女にとっての確定的事実から来る、 自身の時間が無駄に過ぎていく焦燥感や絶望感が、どうにも辛い。 彼女の視点で描かれているから、周りは皆 退屈な人間だし、 彼女が退屈している間は、観ているこちらも退屈。 でも、彼女の理想を打ち砕いて、慎ましやかな生活などを 始めようとするレイヴボーグと その恋人に対して、 悪意の塊でもって企みをしている歪んだ姿は観ていて辛い。
結婚せずに、1人で生きることも自由な今にいれば、彼女も こんな偏った考え方にならずにいられたかもしれないけれど。 でも、彼女の頭の中に、働いて自立するという考えは存在しない。 自分の人生が無為に費やされていくという焦燥感はあっても、 どうすればいいのかの手段は考えられもしない、 変わり目の時代の悲劇みたいな感じなのかな・・・。
何とも観ていて苛立ちがいっぱい溜まった舞台でした。 でもその苛立ちは、ストーリーから来るものだけであって、 腹の立つキャラクターは腹の立つキャラクターとして、 きちんと存在して見せてくれたのが、すごかったと思う。 歌的には ほとんど文句のないメンバーでしたし、演技もまぁ。 何よりヘッダを演じた徳垣さんの美しさと苛立ちが際立ち、 皆から散々語られた後に現れるレイヴボーグが、 表現を裏切らない人物であったことに感動しました。 決して繰り返し観たい舞台じゃないことも確かだけれど、 たった3回しか公演しないのは勿体無いと、 すごく思ったのも確かな舞台でした。
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