透明思想。
2005年01月05日(水)  発見
只今朝の4時40分ですうわっほい( 帰 っ て 来 い )
…徹夜です。原因は予備校の課題のデッサン(今日と昨日で完成させるもの)が今日中に終わりそうになかったので家まで持って帰って不足部分を仕上げてたのですが…。

最近親に自分の絵を軽く(笑)否定される事が多くて凹んでます。
私の絵を見て焦燥するのは簡単に分かるし、それが彼女自身の手には負えない領域の事なものだから、余計にもどかしく思うのも理解できる。そういうものが基盤になって彼女に更に私の絵の欠点を際立たせるのだろう、けれども、常に描いている「手ごたえ」を感じているのはいつ何時も私自身なんだという事を忘れないで欲しい。
子供への欲目を悪い事だとも思わないし、期待をするのは美点だとさえ思う。私にしたって他人の目を通して絵を見直すことも勿論大事だし。

だから、「生んでる」私だけが実際にナマの「壁」を指の腹で撫ぜ続けているのだということ、それ「だけ」は無視しないで。これでいて「抵抗感」は、日々十分に享受してますから、それぐらいは平気です。

期待と焦りとで板ばさみにされて、ある種の強迫観念さえ感じ得るのであろう目を向けられる。
彼女が否定する絵を私は見捨てまいとする。
そういう風に、自分の絵を自分が嫌いになることを禁忌にしてしまうのが、一番救いようの無い馬鹿げた事態だと思ってます。


何か伝えたいことがあって、その手段としてものを描いているわけではなく、ただ動作そのものは衝動のようなものだから、どうせなら私のことを何も知らないような人が好きになってしまう絵が描きたい。
或いは自分の見たかったものを具現化するとか。
何か大層なことを伝達する存在意義やそういう大義名分は無いけれど、人の気に入りを一つ増やせるような、その為の絵が描きたいです。

どうにも聞こえるかもしれないけれど、本当に単純で、切実なこと。


……本当にそれだけなのかも。(おいおい)

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