透明思想。
2004年11月24日(水)  ただ一人になるのが恐いとか、そういうのもあるのかも。
内省的な話題を人に持ちかけるのは難しい。
そういうものを言葉にして伝えること自体そうかもしれないけれど、今日痛感していたのは、それを自分以外である相手に伝えても良いのか悪いのか、という判断をすることの難しさ。
そもそもそんな話題自体、こんな面倒なことを考えるのならいっそのこと誰にも話さなければ良いじゃないか、と割り切ってやっていけるのならそれほど楽なことはないんですけどね…私の性格上それが無理だから、こんなことをあれこれと考えてしまいます。
本よりそんな話を持ちかける相手である私の友人というのが、あらかたの場合友人として結びついたきっかけはきっと『楽しいから』の一言で済んでしまうような人を指すのであって、初めから「私はこんな悩みを抱えていてこんなことを考え煩っています。一緒に考えてくれますか」なんていう契約の下に生まれた関係ではない。
だから厄介だと言えるのだけれど――皆とはいえなくとも、中にはそんな(内省的な)話をされても単に負担に感じる人がいたっておかしくない事実がありえてしまう。そして、こちらとしてもそんな相手に対して悪循環を生むのは本意である筈も無く、むしろそんな事になるのならば話さないで終わりたいと切に思う。
でもそれを向き合った相手の中で探り判断するのはとても難しい…んですよね。私は。
感傷的になっている時に、“相手がそうでない”ことを見つけてしまったら、きっと最悪だ。それは悲しい事ではないはずだと信じていながら、そう思うことを自分の傲慢だと知った気になっていながら、救われようの無い場でただ独りになって、悲しくなってしまいそうだから。

人を好きになればなるほど、多くのものをその人に要求してしまうようになる。様々なものを求めてしまう。それが相手にとって気持の良いものも悪いものもあるだろうに。
本当に自分よがりに、他に何の見境も設けずに。

心から、相手の負担になりたいわけではないのに。
寧ろお互い気持ち良くありたいのに。
却って単なる見知り合いよりも、色んなものを突き崩しそうになってしまう。


どんなに寄り添い合う双子だって、同じになれないのに。
そして自分の似姿などにも、救いは無いのだろうに。

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私信
涼川さん>
上では結構だらだらと書いてますが、最後にあなたと話せて、随分深刻さ…というより、重きはなくなってます。おかげさまです。(笑)

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