透明思想。 |
2004年10月25日(月) こころ。 |
今とんでもなく眠いです。 学校やら何やらでいろいろ課題が並行していて、しかもこれまでそれらを甘く見ていたものだから、今頃になって極限状態まで追い込まれる羽目になりました。 うう…眠い。 夏目漱石の『こころ』を猛烈な勢いで読破しようと試みてます。 …今やっと、『下』まで入ったところ…です……。 何だかこんな状況で書くのも言い訳じみてますが(苦笑)、動機である課題を抜きにしても、すごく興味を惹かれつつ読んでます。 芥川にしても太宰にしても、或いは近代文学と呼ばれるこの時代の文章は、どれも共通して「正しい言葉」が物事に適当に充てられている感覚があって、読んでいてすごく気持が良いです。 今、こんな風に言葉を使いこなす作家は見たことがない。 当然所詮は「私」の言うことなので、これは単なる一意見(というよりただの印象)で、勿論今の作家が真実を伝えられていないなんて大それたことを言おうとしている訳でもなくて。 ただこんなにも真面目に言葉に向き合って、それをもってして本旨を伝えようとする人はいないだろうし、やろうとしても出来ないんだろうなぁ、と。 それは時代の流れ諸々による最早失われた感覚と、廃れてしまった手段の展開(顛末と言うには憚れる)でもあり、簡単に言えば、その実言葉は死語となってしまったのだろう。 …なんて寝不足の頭で書いても自分自身筋が通せたか通せていないかが判別できないというありえない状況。(それが結論か) |
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