「誰かのおかげで生きている」という幸福と不幸 - 2004年09月21日(火) 「中島らも公式ホームページ」に載っていた、中島美代子さん(らもさんの奥さん)のコメントの一部。 全文はコチラに載っています。 【らもは「おれはみんなの笑顔で生きているのだ」と白状したことがあります。 幸せだったんです。 今までどうもありがとうございました。 皆さまもどうぞ、笑顔の絶えない毎日をお過ごし下さいませ。】 〜〜〜〜〜〜〜 この文章を読んで、「ああ、らもさんは「幸せ」だったのだな」と僕は素直には受け取れなくて(美代子夫人には、全然他意はないと思うのですが、それだけになおさら)。 「みんなの笑顔で生きている」というのは、要するに「自分で自分に満足することができなくて、他人からの反応だけが、自分を満たす「エネルギー」だったということだったのではないかなあ、とか考えてものすごく悲しくなってしまいました。 オリンピックでも、「自分のためにがんばります」とか言うのが最近は流行っていて、「国民のために」とか「誰かのために」なんていうのは、なんとなく時代錯誤的な印象を僕は持っていたのだけれど、それは「優等生的な発言」だけではなくて、中には「誰かに満足してもらえないと、自分ひとりの内部だけでは満足できない」とう人が必ずいるのだろうと思えてきました。 いや、「自分で自分を褒めてあげる」というのは、本当に難しいことで、たぶん、自分で求めるものが高くなればなるほど、「他人の反応がないと、満足していいのかどうか、自分でもよくわからない」ようになってしまうのではないかな。 「みんなの笑顔でしか生きられない」というのは、なんて優しく、そして哀しい人生なのだろう。 ...
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