サイトが心を映す鏡だとするならば。 - 2004年02月24日(火) 「愛とはつまり幻想なんだよ」と、言い切っちまったほうがラクになれるかも、なんてね。 僕は自分という人間にずっと欠けたものを抱えていた。そして、そんな自分がイヤでイヤで仕方がなかった。 まあ、どこにでもある話だ。 現にこうやって文章を書いていても、語彙の無さとか、表現の平板さとかなんて自分でも読み返したくないくらいだし。 ただ、WEB上では、人はあまり凝った表現を好まない、という認識も持っている。パソコンの画面の向こうにいる人は大概忙しくて仕事の合間に画面を見ていたり、右(もしくは左)手は、マウスを握っていたりするわけだ。 みんなそんなに、WEBの文章に気を留めない。 そして今日も、1日が終わる。 たぶん、それでいい。 最近どうもサイトをやっていて、キツイことが多かった。 それは、ちょっと困ったメールだったり、BBSでの批判だったり。 今年になってから、サイトに来てくれる人の数は明らかに増えていて、それにつれて困った事の数も増えていった。 メールボックスをチェックするのも、自分のサイトの掲示板を覗くのも、なんとなく気が重くなってしまった。他のサイトの掲示板にも、なんとなく書き込みしにくいような気になっていたし。 こんなサイト運営は疲れてしまうだけだから、しばらく休止しようかとも考えていたのだ。 でも、あるサイトの人からのメールで、ふと気がついた(本当は、そのときには気がつかずに、今まさに急にそんな気がしてきたのだ)。 「どうしてケンカ腰で書き込みをしてきたり、失礼なメールを送ってくる人がいるのだろう?」 サイトというのは、自分を映す鏡のようなものだ。 ケンカ腰の書き込みが増えたのは、僕自身が外に向かってファイティング・ポーズをとってみせているからではないのか? 「噛み付かれたら噛み付き返してやろう、負けるもんか!」というトゲトゲしい気持ちが、どこかに滲み出てしまっているのではないのか? そりゃ、こっちがケンカ腰なら、そこに来る人だってファイティング・ポーズをとった人が多くなるのは当然のことだよね。ガンつけながら歩けば、殴りかかってくるやつもいるさ。そんなことはわかっていたはずなのに、自分を強く、偉く見せようという悪循環にハマってしまっていた。 もちろん、こんなこと書いたからって、状況は劇的には改善しないと思う。でも、少しだけ、自分の中に溜まってしまった「肩の力」みたいなものが抜ければいいな、と思っているのです。 流し読みされるWEBの文章の中で、僕が書いたものを読んでくれる人が、ちょっとだけリラックスできたり、「ふうん」と立ち止まってくれたら、それでいいのだ。 ひとつ深呼吸をして、椅子の背にもたれてのんびりと書くから、ちょっとの間だけ、つきあってくれると嬉しい。 ...
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