マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「呼び捨て」にできなかった人生 - 2003年12月18日(木)

参考リンク:「幹事クリタのコーカイ日誌2003」の12月18日分「呼び捨て。」

 他人との距離のとりかたが苦手な僕には、医者になってよかったなあ、と思うことがひとつあるのです。それは、「同僚の呼び方に困らない」ということ。
 だって、みんな「○○先生」って呼べばいいですから。先輩でも後輩でも、教授でも(まあ、公式の場では「○○教授」という呼び方をすることもあります)、一年目の研修医でも。医者の世界というのは、それで失礼にならないのです。
 看護師さんは「○○さん」、男の学生は「○○君」で、女の学生は「○○さん」、シンプルな方程式です。ときどき、エレベーターに乗り合わせた学生に敬語を使ってしまったりすることもありますが。

 昔から、他人を呼び捨てにするというのが苦手でした。
 男同士なら、場合によっては呼び捨てにしたりするのですが、「僕はこの人を呼び捨てにしてもいいくらいの関係なのだろうか?」なんて考え始めると、なかなか勇気が出ないものです。「もし、失礼なヤツだ」なんて思われたらどうしよう、って。逆に、「○○君」なんて呼んだら、ヨソヨソしいやつだなんて、思われるかもしれず、名前を呼ぶときって、けっこう気を遣っていたような記憶があるのです。
 当時流行っていた「おたく」なんていうのは、きっと僕みたいに踏み込めないけどヨソヨソしいヤツだと思われたくない人たちが使っていたんでしょうね。
 僕自身は、「おたく」という2人称は、カッコ悪いと思っていたので使いませんでしたが。

 同級生で女子を呼び捨てにするなんて、アンビリーバブルな世界。僕にとっては、女子は「○○さん」というのがスタンダードでした。
 もっとも、女の子に呼びかけるなんて機会そのものがあまりありませんでしたし、逆に女子に対しては、方程式があったので、「親友とは言えないほどの男友達」に対して呼びかけるときのような「迷い」は、ありませんでしたが。

 そういう「傾向」みたいなものは、高校時代に全寮制男子校に入っていたので、とりあえず「男は呼び捨てでいいのかな」という結論に達したのですが、女性の呼び方には縁遠くなるばかり。
 大学の部活では、「男女とも先輩は『○○先輩』、男の後輩は苗字を呼び捨て、女の後輩は『苗字+さん』と決めていました。今から考えたら、よそよそしい人だな、なんて思われていたかもしれません。
 少なくとも、「馴れ馴れしい人だ」と思われるより、「ヨソヨソしい人だ」と思われる方がマシだという意識があったような気がします。
 部活の後輩には公平に接しなくては、という名目もありましたし。
 内心では、女の子を「呼び捨て」にできるような関係に、憧れていたんですけどね。

 今は、そういう「呼び方」に、あまりこだわらなくても生きていけるようになりましたが、自分の身内に対して、けっこう困ったりもします。昔のように呼び捨てにしようにも相手は立派な大人になってしまいましたし、昔ほどの接点もありません。「お前」呼ばわりするのは失礼かもしれないし、「○○君」ではさすがに他人行儀でしょうし…

 とにかく、「先生」という言葉は非常に便利です。
 オールマイティな響きがあります。
 もっとも、自分が「先生」と呼ばれるときは、きっと相手もどう呼んでいいのか困っているんだろうな、なんて思ったりもしますけど。



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