マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「炎のストッパー」津田恒美投手の記憶。 - 2003年07月20日(日)

 今日は、「炎のストッパー」こと、津田恒美投手の命日。
 子供の頃からの生粋のカープファンだった僕にとっては、津田投手は忘れられないピッチャーだ。
 それは、必ずしもいい思い出ばかりじゃない。
試合の終盤になって、カープがピンチに陥り、監督が審判に「ピッチャー津田」と告げると、ファンは「また津田か…」とやや不安な気持ちになったものだった。
カープのストッパーとして、彼の前任者であった江夏に比べれば、経験も浅いし、マウンド上でのふてぶてしさでも到底足元にも及ばなかった津田。
ストッパー・津田はけっして磐石の存在ではなかったし、けっこう打たれもしたし、フォアボール連発で自滅、なんて試合もあった。
津田は球種も少なくて、変化球ではストレートが取れず、ストレートを投げればヒットを打たれていたような気がする。
気合が最大の武器で、いつも全力投球。いいときはいいが。一度打たれ始めると、歯止めが利かない。
もちろん、ストッパーとしてチームを優勝にまで導いたのだから、実際には抑えた試合のほうが多かったのだろうけど、彼の名前が呼ばれるのは、カープファンであった僕にとっては、不安な時間のはじまりだった。
あるシーズンのはじまりから、津田は絶不調だった。
以前以上に、出ては打たれ…が続き、2軍に落ちて、それ以降、彼の名前を新聞などで見ることはなかった。
何か病気で休養している、という話は伝わってきたが、「はやく良くなるといいね」と軽く思ったくらいだった。
そのうち帰ってくるだろう、くらいの印象だった。

もう、彼の存在すら忘れてしまったある日、僕は新聞のスポーツ欄の片隅で、こんな記事を見つけた。
【おくやみ 津田恒美投手 元広島東洋カープ投手 死因は水頭症】

のちに僕は、彼の妻が書いた「もう一度 投げたかった」という本で、津田の闘病生活を知った。脳腫瘍による、若すぎる死。最期の瞬間まで持ち続けた、マウンドへの執念。
津田は、僕たちに見えないところで、生きるための全力投球を続けていたのだ。

津田恒美、1993年7月20日に逝去。享年32歳。
あれから、ちょうど10年が経ち、僕も今年、32歳になる。
津田さん、ついに追いついちまったよ。

不思議なものだ、現役時代は登板するたびに不安になっていた炎のストッパーの記憶が、今では、僕に勇気を与えてくれる。

ありがとう、炎のストッパー。永遠に全力投球の人。



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