「修飾するもの」がない世界。 - 2003年07月18日(金) オグリキャップの有馬記念のDVDを観て、僕が涙していると、横で彼女が「そんなの、馬が走ってるだけじゃない」と言うのだ。 確かに、競馬というのは、緑の芝の上を(「砂の上」ももちろんあるが)馬が走って、ゴールに一番早く着いた馬が勝ち、というものだ。 オグリが、とか馬券が、とか、騎手が、といった思い入れの要素が無ければ、「単なる馬のかけっこ」に過ぎない。 野球だって、球を投げて、棒切れで打つだけだ。 僕らは、そういったものに、ドラマを見出して、自分の人生に起伏を与えている。「オグリの精神力」とか「イチローの集中力」とか。 いろんな「修飾するもの」を自分で作り出して、その対象に一喜一憂し続けている。 実際は、野球がなくても、競馬がなくても、テレビがなくても、愛が無くても、そんなに人生困りはしないような気がするのだ。 「修飾するもの」に惑わされなければ、世の中なんて、もっとシンプルなんじゃないかなあ、と思う。 シンプルな世界なんて面白くないとわかっていても、僕はときどき、そういう世界に逃げたくなる。 ...
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