「お水の鉄人」を観て考えたこと。 - 2002年09月04日(水) 昨日、「ガチンコ」を観てたら「お水の鉄人」という企画をやっていた。 銀座と歌舞伎町を代表する二人の水商売の女性(月収250万と350万らしい)が、お互いのプライドをかけて接客勝負をするという企画なのだが、たぶん、多くの女性にとっては「そんなお水なんかに、3時間で5万円も使うオトコなんて、信じられな〜い」であろう。 いやいや、勘違いされては困るのだけれど、世の過半数の男性にとっても、「あの子のために、3時間で5万は…ちょっと」というのが、率直な感想だと思うのだ。誕生日のプレゼントが総額1000万とか、1日10人の同伴伝説!とか言われると、そんなワン・オブ・ゼムになってもねえ、と。 まあ、水商売の女性というのは、「普通の印象」では、次も指名してくれないわけだから、ものすごく嫌われるリスクを負っても、ものすごく好かれるかもしれない可能性に賭けたほうがいいわけだ。 でも、「どうして、あんなのに遊ばれてるとわかってるのに、外車とか買ってやるのかねえ、そんなの奥さんとかに買ってあげればいいのに」と周囲の女性の発言について考えていたが、なんとなく、その理由がわかったような気がする。ひとつは、もちろん「みんながいい女だと思っている女性」をモノにするという自己顕示欲。 でも、いちばん重要なことは「遊びだから、プレゼントなんかガンガンできちゃうんじゃないか?」ということだ。 たとえば、僕のような30歳男性が、一般女性(彼女ではない、職場のちょっといい感じの人、くらい)28歳に、車をあげようとしたとする。そこには、なんらかの「意味」が出現してくるわけだ。 結果として「そこまでしてくれて、ありがとう!」といって、ふたりは結ばれるか、「あなたにそんなことしてもらう筋合いはありません!」と危険なストーカー予備軍として取り扱われるかのいずれかだ。 しかし、家庭があったり、恋人がいたりしたら、その2つのどちらかにしか進まない関係というのは、不毛の至りなわけで。 そう考えると、限局的な擬似恋愛ができる対象というのは、金があるやつにとっては、非常に重宝な存在。そういう、家庭破壊か破局かどちらかというような素人との恋愛よりも、はるかにリスクは少ない(と、一般的には思われている)。 「そんなにお金をかけても、真の愛情は生まれないのに」「どうせ、お金だけ貢がされて、捨てられちゃうのに」その通り!でも、愛がないからこそ安心、という関係が、世の中には厳然として存在するのだと思う。 僕は、彼女たちと話してる暇があったら、ネットやってたほうが楽しいですが、そういうのはたぶん、品位や人格というより、性向の問題。 ...
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