サッカー奥のほそ道
じぇんとるNこと、ころらどによるサッカー観戦(旅行)記

代表からJ1・J2はもちろん、JFL、地域リーグ、
さらには大学、ユース、ジュニアユース、そして女子サッカーまで
(一応、川崎フロンターレと清水エスパルスを応援しています)

1985年11月10日(日) 全国高校選手権 静岡県大会準決勝 清水市商高−静岡高 (草薙球)+自己紹介

管理人の生まれて初めての生観戦試合。場所は静岡県立草薙球技場。

3年前全国制覇を遂げた観山中の主力メンバーのうち、エース賤機、キャプテン海野は静岡高に進学。
この年、静岡高サッカー部は夏の総体県予選で決勝に進出するが、静岡北高に惜敗し、全国への切符を逃す。
その後、県大会決勝と同じ顔合わせとなった東海総体決勝では静岡北を破り見事優勝を果たしたが、当時は全日本ユース選手権(高円宮杯)はまだ無く、全国にアピールする機会は得られなかった。

そして、秋。進学校である静岡高としては異例だったが、賤機、海野の両選手は引退せずに全国大会への最後のチャンスに掛けることとなり、準決勝まで進出した。

準決勝の相手は、強豪清水市商高。
キャプテンは江尻(明治大→古河/市原→市原フロント)。
GKには真田(順大→全日空→清水)、
さらには一時期石田ひかりとの交際で有名になった青嶋( →清水→本田→浜松開誠館中学監督)もいた。
まだ一年生の岩科(国士大→清水→本田→矢崎バレンテ)が丸刈頭で出場していたのが印象深い。

普通の学校ならば準決勝あたりまで進出すれば、全校応援となるのだろうが、ウチはそんな事は無く任意応援だった。
当時の静岡高の応援団長はアルフィーの高見沢に似ていると評判の、校内では有名な方で、その後現役で東大に進学された程の方なのだが、
「今日は模試をサボって応援に来ました。」と熱く叫んで応援の先頭に立っていたのを覚えている。

決勝に進出した清水市商高は  を下して四度目の全国切符を手にした。
そして、全国大会でも初優勝を遂げることとなる。

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自己紹介:
HN:川崎系では「じぇんとるN」。ユース系では「ころらど」。自称、サッカー観戦ジャンキー

出身:静岡県静岡市(旧静岡市の方)

住所:川崎市中原区(等々力競技場へは徒歩圏内)
職業:会社員。転職してしまったが、以前の勤務先は破綻前の清水エスパルスの実質的親会社だった。Jリーグブームの最中、チケット欲しさに入社したと言うのは本当だ。(笑)

モットー:・代表よりも愛する我らがクラブ
     ・厳しいヤジも愛があればこそ

夢: 「日々旅にして旅を栖とす」こと

憧れる人物:松尾芭蕉

弱点: 酒を飲むとすぐ顔に出ること

ライフワーク:・残りの人生、全てのワールドカップを生観戦すること
       ・奥の細道の行程と東海道を徒歩で踏破すること
       ・Denver BroncosがSuper Bowlに再び出場したら観戦すること。


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