NYA [HOMEPAGE]
NYAの思うところ

2003年10月16日(木) 吹き出物

お天気。いつものごとく、朝「特ダネ」を見ながら朝ご飯を食べ、その後茶わんを洗ってからは、ネットを見て、後は猫と戯れるぐらいしかない。手持ちの本も何冊か読み終わってしまった。実家で親と一緒に暮らしていると、自分の生活という風に自覚できない。部屋もかなり適当だし荷物もまだ大半は箱の中。すぐに自分の思い通りにならないということで、かなり不自由を「感じる」わけです。でも、人によってはそんなのは不自由でもないだろうと思うことでしょうが…。

自分の「感じ方」を変えてみればいいのでは?と思い、周囲の人に神経過敏にならないようにと接してみたが、そもそも神経過敏にならないように努力してももたない。友達や同僚など他人だとそこら辺普通にできているのだろうが、親だと、こう考えるだろうなどということがすぐわかり、または、わかっているつもりになっているため、自分が心苦しく感じるんだろう。とりあえず、自分の感じ方を変える努力続行か。

病気じゃないのに、この生活態度は、鬱や引きこもりと見かけ、変わらないじゃないかと思い、憤慨。何に憤慨かというと、この状況にだが、この状況を作ったのはもともと自分の行動なわけで、頭が痛い。済んだことは仕方ないが、反省点は、不安や恐れに自分を乗っ取られないようにするということか。

こんな最近の生活では、コーヒーやお茶を飲むことで、自分の時間という感覚を持つようにしている。自分で自分のコーヒー(もっぱらインスタント)をつくることをしたいということは、親元にいても心理的に甘えられないということなのか、でも、状況はしっかり甘えている状況にみえるし、どうにもこうにも動けないハリネズミのような気もしてきた。

最近、ストレスか不衛生からか、吹き出物が顔の中心(鼻から眉間、額にかけて)にできてしまい、ずっと治らない。いつもの吹き出物じゃないような気もする。なんだか、いろんな「不満」が顔に出ているのではないのかな。この吹き出物が治る日が、早くきてほしい。

ところで、エンピツ日記を今日始めてランダムにいろいろ覗いてみたが、いろんな系統があるな〜と改めて思った。その中で、私の忘れていたことを思い出させてくれた日記があった。

パンドラの箱というお話『パンドラの箱を開けたばっかりに世の中にいろんな災いが出ていってしまったのだが、その箱の底に一つだけ「希望」が残っていた』というもの

今の私は、社会的にはゼロの位置。今までの生活がなんと危ういものにのっかていたことか思い知らされた。この年でゼロからのスタートって、長い人生を考えるとしんどいのも本心。学生のように無責任に夢みてるわけにもいかず、難しいところなのだが、少しの希望だけは持ち続けようと思う。

日曜日の祖母の米寿祝いで、弟らが帰ってくるので、心理的に楽に感じ始め、日記も書いてみた。


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