祝日。晴天。朝はリサイクル品をもって西友へ。朝のスーパーは野菜がいっぱい並んでて元気がでる。鉢植えと乳製品などを買って、そして駅ビルのあたらしくできたキッコーマンの総菜屋さんで日替わり弁当を買った。駅ビルが綺麗になっててお店が次々とできてるのです。すごいです、阿佐ヶ谷。
西友のとなりの路地で、トマトを買った。よく買うのだが、おじさんは左手がひじから先がなくて、でも、そんなことを感じさせないほど普通に働いている。私の前に甘夏やトマトを買った小太りのおばさんが、自分のキャリアー(車つき)にかばんを置いていてその中に買ったばかりの野菜をいれてたのだけれども、ずり落ちそうになっていて、それをみたおじさんは、野菜が落ちないようにかばんの座りをよくしようと一生懸命なおしていた。私は、このおばさん、とろいな〜と思えてそれで終わってしまっていたのだが、野菜をきちんといれてあげようというおじさんのやさしさに心洗われました。おじさんは、たぶん、うまく出来ない人の気持ちがわかるんだろう、そして、手助けもさりげなく普通のこととしてやってた。自分がどう見えるかというかそんなことは考えている様子もなく。。。やさしさを表現することをこれからのテーマにしてみようかな。女性としてのやさしさも含めてね。。。
午後は、清里のMD聞き取りと昼寝。寝たり起きたりで、結局、夜中までテレビもつけずやりました。スーパーサッカーをみてから、NHKでETVスペシャルで美輪明広の世界の番組をみた。三島由紀夫脚本の黒蜥蜴の舞台裏と美輪さんの生きざまなど、おもしろかったです。その中で、三島由紀夫が体を鍛え出してから自決するまでのこともでてきてた。純度の高い魂の持ち主という風に三島を美輪は見ていたようだった。
その後、6チャンで映画タクシードライバーをみた。もう何度もみてるはずなんだけれども、新鮮な気持ちでみれた。覚えてないんだよね。いつも。 とにかく、全編孤独、孤独、孤独。寂しさが充満してて、自分にとってはかなり痛い映画だったな〜。デニーロが自分の体を鍛えて、ナルシストに鏡に向かって銃をかまえ、来るべき何かへの対決にむけて銃撃の練習や装備の準備などをやる。いやあ、三島由紀夫じゃないかと思いました。
大義名分をかかげ、死をもって自分の存在の証しを表現したいというようなところが似てるかもと。。でも、いつも、あのモヒカンには笑っちゃうんだけど。。そこだけだ、私にとっての救いは。結局、デニーロは一命をとりとめ、新聞ではヒーロー扱いされるが、昔ストーカーしてた女も軽く流せるような男になり、ドライバーの運転手として現実におりてきた感じ。社会と折り合いがつけられるというか、自分の立ち位置が見えたのかも。孤独と孤独の吸引力についても考えさせられました。
そして、美輪さんの番組で、昨日みたアインシュタインの番組とリンクするところが一つ。美輪さんの番組で司会者が、ジャンコクトーが「美よりも速く走る」ということをいっていてそれが美輪明広にもつながるのではとふっていた。美輪は、美や芸術にとっては、時間は関係ないもの。確かに、コクトーもギリシャ神話などに題材を求め、古いものからいいものを発掘してレイアウトしている感じもある。(一時期私の中でナンバーワンの人だったから、コクトーが。)
アインシュタインの特殊相対性理論で、絶対時間や絶対空間の否定があり、光は時間と空間を超えて存在するということを聞いた。美は光と一緒ということかも。人間にとって心地いいと感じるもの。美・芸術・思考など。。
相対性理論の番組を聞いているとき、いろいろ気付きがあったが、文章にしてみようとすりぬけていくから困ったものだ。 ところで、その番組の講議を担当してたのは、おばちゃんで、ピンクのスーツにピンクのコサージュつき、頭はおばさんパーマ。メイクも濃くて、なんだか昭和4050年代ちっく。父兄参観にきたお母さんな感じプンプンだったのです。その異様さに目をとめてこの番組をみたのですが、とってもやわらかく解説をしてくれれてて、身近に考えることができた。キャラクターの力なり。
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