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あるいたりなやんだりしゃべったりわらったり
2005年09月16日(金)

久々に大学時代の友人(厳密には先輩か?
先輩と友人の間みたいな感じ。敬語まじりだけど気軽。)2人と再会。

「こういう評価されるかも知れないからこの言い方は避けよう」とか、
「こう言っておかないと後でこんなことになる恐れがあるな」とか、
そういうことを考えないで、
自分の正直な状態をただしゃべれる相手というのは、
やっぱりいいものだなと思う。

私は家族とよく話をする方ではあるが(家族全員がお喋りで声が大きい
という近所迷惑な家に生まれついたため)、
親とか兄弟は、私とは違う立場を生きている。
だからこそ良いアドバイザーだともいえるけど、そうでない部分もある。
同じ、または近い立場の人と、ざっくばらんにしゃべれて良かった。
さらに働く上でのスタンス・モチベーションの上げ方などが
「クリエイター」寄りな自分にとって、
歳をとるごとに、クリエイターの友人の存在は
独特な意味を帯びてくるんだろうな。社内でも、社外でも。
たまにはこういう時間、必要だなあ。
ありがとうお二人。

人とコミュニケーションすることが、たまに、
すごく怖くなることがある。
引きこもりの人の気持ちにこっそり共感したことがある人、
意外と多いんじゃないかな。
人間とまじめに向き合う人ほど、そういう感覚を持つのかもしれない。
誰だって、些細なことで急に他人が怖くなることがある。
そんな中で「でも、やっぱり」って何度も思い直しながら、
人と関わろうとする気持ちを、
炎を絶やさないように雨から守るように、両手で包んでいる感じだ。

中学生ぐらいの頃は、
大人になればこういう危うさは落ち着くと思っていたけど、
今のところまだまだだな。
むしろ、病気になると落ち着いたりする。
体調が悪かった時期は、心は不思議に凪いでた。
「死」とか「痛み」とかが身近に顕れたように思った時、
もう大名行列でみんながひれ伏すみたいに、
ははあー!と、頭を下げて静まってしまった。
そこには小さな悟りの境地すら感じるほど。
悩んで迷ってうつろえるということは、
それだけの余裕はどうにか、まだ、なんとか残ってるということ。
「悩むなぁ、でもそんなアタシってちょっと幸せ」って
思っちゃってるくらいお気楽でもいいのかもしれない。