思うこと
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近頃、バブル崩壊以降の日本の無為無策が批判されているが、 国家存亡の危機が迫ってきているときの日本の決断の遅さは実は前科あり。ただ、極めて遅い代わりに、決まった後の思い切りの良さは評価すべきだけどね。
モンゴル襲来の時と、黒船の時。 モンゴル襲来(第一次襲来=「文永の役」)の前は、無血降伏を勧めるモンゴルの使者を切り捨てたりと、強硬な態度をとったにもかかわらず、戦争の準備はロクにしていない。モンゴル占領下の高麗の「三別抄」というゲリラ要するに「抗蒙古パルチザン隊」が、「共同戦線で抵抗しましょう」と日本に使者を送ってきたにもかかわらず相手にしてないし、そもそも敵の情報を仕入れようともしていないし、シーレーン防衛(船舶上陸妨害用の、博多湾沿岸部の石塁)は第一次襲来の後になって構築が開始されるし・・・。
黒船の時は、出島のオランダ商館から世界情勢に関する最新情報を購入していた(=和蘭風説書)のはまあ進歩しているけど、でも、最初にロシア船が来てから開国までには50年以上、「このままズルズルと鎖国を続けていたらマズイ」と気づいた(=アヘン戦争での清の屈辱的敗戦)のが1840年のはずなのに、それから実際の国策転換(開国)まで、14年あまりもある。
どうも、日本が大きな決断をするためには、「これ以上モラトリアムで逃げ切ることはできない」と気づくまで、「失われた10年」のような犠牲が必要なような気がする・・・。
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