思うこと
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2003年11月01日(土) |
尊皇攘夷とイラクの未来 |
イラクで米軍だけでなく国連、果ては国際赤十字・赤新月社の事務所が、一部の過激派の攻撃の対象となったという記事を読んだ。外国人とみると、誰彼構わず攻撃の対象とするその風潮・・・何かに似ている・・・。そう、幕末期の日本で吹き荒れた「尊王攘夷」の風。 当時の日本と現在のイラクの間に二つの共通点が浮かび上がってくる。 第一に、誇り高い民族であるということ。第二に、外国の軍隊により、圧倒的なテクノロジーの差を見せつけられ、その自尊心が揺らいでいること。 その結果として、一部の過激な保守派が、「諸悪の根源は外国人だ。外国人さえいなくなれば、もとの、(少々窮屈だが、安定していた)世界に戻るだろう。」と考えて実力でテロに出ている。ここまでが「攘夷」。 しかし、一度威信を失った徳川幕府が、結局政権を手放さざるを得なかったように、易々と米軍に首都を占領されてしまったフセインが、仮に生きていたとしても、もはや2度と政権に返り咲くことは不可能だろう。たとえ米軍の気が変わって、米軍自ら、フセインを大統領府に呼び戻したとしてもである。 さて、外国人に口を挟まれるのは死んでも嫌!という自尊心と、現に求心力を失って崩壊しつつある(または崩壊してしまった)旧来の政権。日本では、このとき「尊皇」が興った。千数百年の伝統を持ちつつも、永らく政治の世界から遠ざかって、宗教的権威で命脈を永らえてきた皇室。これと同様の役割を果たすものは現在のイラクには存在するのだろうか? 存在はする。それはイスラムである。皇帝や王様が存在しない(過去にはいたこともある)イラクでは、ほかに考えられない。恐らく米国が最も望んでいない結末であろうが、最終的に、少し前の「ホメイニ師」のような、イスラムの指導者が、新しい支配者となる可能性が最も高いだろう。しかし、イラクでは、多数派宗派の違いがあるため、全ての国民を統合するのは難しいかもしれない・・・。
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