蜜白玉のひとりごと
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夜、帰京。
帰りの新幹線で富士日記の続きを読む。昭和四十一年八月二十二日のところ、娘の花さんの記述で、甲子園の決勝に松山と中京が残ったとある。そういえば今夏、中京は43年ぶりに優勝と言っていたな。この決勝は中京が勝つんじゃないか。
花さんの記述の二日後、八月二十四日、百合子さんと花さんと出版社(どこだか忘れた)の編集者の三人は富士登山をする(夫・泰淳は下痢のため留守番)。その登山で、ラジオを抱えて甲子園の決勝戦を聴きながら登頂するおじさんに出会う。この日の日記には肝心のどちらが勝ったかについては書かれていない。百合子さんは甲子園にはあまり興味がなかったのかもしれない。
昭和四十一年が今から何年前になるのか計算するのに少し時間がかかる。私が生まれる12年前、いま私が31歳だから、足して43年。昭和四十一年はちょうど43年前だ。このときラジオで優勝と流れたのは中京で間違いないだろう。
いま私がいるこの夏と、43年前の富士山の夏が、つながった気がした。
今日の富士日記 昭和四十一年八月二日〜
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