蜜白玉のひとりごと
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| 2007年05月26日(土) |
通勤経路変更と最近の読書/『人生のちょっとした煩い』『がらくた』 |
文鳥まるの換羽もそろそろ終わりに近づいている。抜けた羽根はグレイや白や黒など生えていた部分で少しずつ色が異なる。そのうち、真っ白なひとつを定期入れにとってある。わがままで甘ったれの内弁慶のまるは、眠たくなると目が三角になり不機嫌きわまりない。
転職して通勤経路が変わってから、電車の中で少し落ち着いて本を読む時間ができた。今まであまりにも読まずにいたのをちょっとずつ取り返している。
グレイス・ペイリー著・村上春樹訳『人生のちょっとした煩い』は文章が難解でよくわからないなりにも、ときおり彼女の描こうとする情景が目の前に立ち上るような感覚がある。晴れた日に大きな木を仰ぎ見れば、きらきらと輝く葉が美しい。そんな印象だ。そして翻訳ものを読むときはネタばれ必至で訳者あとがきから読む。何でもいいから取っ掛かりが必要なのだ。
勢いづいてフィッツジェラルド著・村上春樹訳『グレート・ギャツビー』へと突き進む。第3章で頓挫。翻訳ものは一筋縄ではいかない。しばらく放置して、また(いつか、そのうち)時機が来るのを待つ。
通勤で新宿乗換えがなくなったので、ときどき物足りない。今は週末にまとめて新宿での用事を済ませている。大きな本屋さんを特にあてもなくうろうろ見てまわるのもそうで、この前の日曜日はそれで江國香織著『がらくた』を買った。ほかにもめぼしい本がいくつか見つかり、これといって探し物をしていたわけでもないのに収穫があって、得した気分になる。
『がらくた』は言ってしまえばインモラルな夫婦の話で、こういうのはいつの頃から江國さんがずっと書き続けている人たちだ。本当はあまり好きではないし、もっと別な人たちを書いてほしいと思いつつも、ついつい文章が読みやすいのでさらさらと読んでしまう。さて今回は、インモラルな夫婦の話といっても、例えば『東京タワー』みたいにどろどろしてはいなくて、それと言うのも話の中心が「夫・妻」ではなくて、「母・娘」にあったせいなのかと後になって思う。あくまでも女たちの話、「夫」とか「元の夫」(場合によっては「父親」)はいずれもおまけというか、スパイスというか、便利な脇役たちだった。
はあ、それにしても。夫婦というのはそれぞれにいろんな了解事項があるものだ。あんな変てこりんなルールのもとで一緒に生きていくなんて、私には到底できない。だいたい、そんな夫婦がいつまでも夫婦でいられるはずがない、などとついむきになってしまう。でもナントカは小説より奇なり、とか言うくらいだから、もしかしたらどこかにいるのかもしれない。涼しい顔して、大人のふりして、それはひどく残酷なことだ。
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