Deckard's Movie Diary
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| 2004年09月07日(火) |
誰も知らない 丹下左膳餘話・百萬両の壷 |
<ネタバレしています> カンヌ映画祭で主演の柳楽優弥が史上最年少で主演男優賞を獲得して話題になった『誰も知らない』。監督は自分のスタイルを模索しながら映画作りをしてきたTVドキュメンタリー出身の是枝裕和。デビュー作『幻の光』を脚本通りに撮り上げた時に、予定調和として完成する映画文法に疑問を感じ、『ワンダフルライフ』では予測不可能な素人のインタビューを挿入し、『ディスタンス』では、役者には役柄と大雑把な流れだけを与え、細かい台詞はほとんど想定せず、その場の空気感から役者が自然と発した言葉・アドリブだけで映画を作った。おそらく、是枝監督の目指しているモノは“映画”というメディアで描かれるフィクションが何処までリアルなモノとしてスクリーンに映し出す事が出来るのか?観客がリアルに感じる事が出来れば出来るほど、観ている人間により多くの影響を与えるはず!という信念に基づいているのだと思います。そして『ディスタンス』では現実の事件であったオウム真理教を、今回は“巣鴨子供置き去り事件”をモチーフにリアルなドラマとして再構築したのでしょう。
カンヌで受賞する以前に何も知らずに予告編と遭遇した時に感じたのは、「是枝の新作は子供かぁ・・・でも、コレって、何年か前にあった置き去り事件?でもあの事件って、けっこう悲惨だったような気がしたけど・・・でも、そんな感じじゃないなぁ・・・母親がYOUだしなぁ(笑)・・・けっこう良い雰囲気じゃん!こりゃ、楽しみだ・・・子供だったら元々“素”だしなぁ・・・いよいよ今までの試行錯誤が実ったかなぁ・・・」というような期待に胸が膨らんだモノでした。
さて本編です。多くの皆さんが指摘しているように驚異的な演出力です。ここまで自然な子供の表情を引き出し、それをカメラに収めた手腕は驚くべきモノがあります。子供の演出って体力が要るんですよねぇ・・・(苦笑)。髪の毛の伸び具合や顔つき、体つきなど、現象としての変化でキッチリと時間の経過を表現し、また“スライス・オブ・置き去り!”とでも呼ぶのでしょうか(笑)、塵や埃、疵や滲みのどれひとつとして無駄にしない細かな描写も的確で、明らかに“傑作!”と呼ぶに相応しい作品でした・・・中盤までは。
胸をワクワクさせながら自分の心の内に芽生えた不安・・・それは、このような映画でありがちな結末、つまり「誰か死ぬんじゃないか?」という安易とも言える結末。『GO』でも『まぶだち』でも描かれてきた「誰かが死ねば、それなりに決着する・・・」というストーリー、嫌いです。そして、映画が終わって・・・悪い予感が当たってしまった結末にはガッカリ!即、友人に「ラストでどっちらけ!」という携帯メールを入れ、嫌な気分のまま皆さんの感想を読んで、同じように感じた方もいらっしゃったので、「そうだよなぁ!冗談じゃねーよ!」と怒りに任せて、友人のHPに書き込みしたりもしました(苦笑)。
ところが、『丹下左膳餘話・百萬両の壷』を観る為に渋谷のユーロ・スペースへ向かっている時に、ゆっくりとぼんやりと映画を反芻していたら、自分の“怒り”は本当に二女のゆきが死んだからなんだろうか?と疑問を感じ始めていたのです。あの状況でゆきが死ぬ可能性は十分考えられた・・・では、明(柳楽優弥)の行動なのかな?父親、母親、そして以前に接した福祉関係の人々、また“紗希”という女子中学生が大人の顔を見せた時の拒否反応等・・・明の大人に対する不信感はゆきを放置するには十分な背景だったのかもしれない・・・だから、誰にも届け出なかった・・・明にとって、あの部屋は彼が統治した世界であり、国であり、城でもあった。あの部屋に自分が許した人間以外のよそ者(大人)を招待する気はなかった。そしてそれはある意味、それまで自分が彼ら(長女・京子、二男・茂、二女・ゆき)を守ってきたという明のプライドだったのかもしれない。このコミューンのリーダーとしての判断が二女のゆきを放置させた・・・という解釈をして、ゆきが事故で亡くなったところまでは意外と簡単に納得出来たのです。
では、何故に自分はアレだけ不愉快な気分になったのだろう・・・?それまでに描かれた世界が自分にとってはあまりにもリアルでした。完全に『誰も知らない』の世界に埋没していて、自分もあの商店街で暮らしている人間になったような感じでした。それは是枝監督が目指していた“観客がリアルに感じる事が出来れば出来るほど、観ている人間により多くの影響を与えるはず!”という狙いが完璧に演出されていたのだと思います。作品としても彼の思惑通りに完成しつつあったんじゃないでしょうか。ところが!それまで、彼の狙い通りに完成しつつあった映画が最後の最後で破綻したような気がします。二女のゆきが死んだ、トランクに入れて約束だった飛行機を見せる為に羽田まで運んだ。ここまでは上手く進んでいたと思います・・・そして、二人(明と紗希)で“掘って埋める”・・・このシーンが自分にとっては問題でした!このシーンだけに異常に違和感を覚えます。映画の全編を通してこのシーンだけが事前に用意された脚本通りに演じるように柳楽優弥と紗希役の韓英恵に要求しているようにしか見えませんでした。例えば万引きシーン等はこの年代では十分考えられる場面ですし、鉢植え遊びとかは子供が自然に遊んでいるように見えれば問題無いと思います。しかし、地面を掘って土をトランクにかけて埋める・・・このような行為は普段しませんし、日常茶飯事の中の出来事ではなく一般的に考えても特別な行動です。是枝監督は最後の最後に彼が避けてきた映画的ファンタジーに帰結したんじゃないでしょうか。それまで排除してきた脚本通りのシーンがいきなり描かれたので違和感を覚えたのだと思います。ラスト・シークエンスまでのこの映画の完成度は群を抜いていますが、観終わった後に妙にちぐはぐな印象が残りました。この映画がいまいち絶賛されないのはラスト・シークエンスの描き方だったような気がします。
例えば、顛末はこのままでも“掘って埋める”という場面を全てカットしただけでもかなり印象は変わったんじゃないでしょうか?例えば、二人(明と紗希)で羽田に行き、トランクを囲んで二人(明と紗希)で夜の空を飛来する飛行機を見る・・・そのまま画面暗転。次のシーンで明と紗希はモノレールの中。服は汚れている・・・そして、再び新たな日常が始まる。というような描き方でも十分だったような気がします。オイラの場合は明らかに“掘って埋める”という行為を見せられたコトによって、いきなり暗い劇場内でスクリーンを観ている現実に引き戻され、シラケてしまったんです。それよりも、最後まで“誰も知らない”・・・つまり「ゆきが入っていたトランクはどうしたの?埋めたのかなぁ・・・海に流したのかなぁ・・・」と、観客の推測に任せたほうが良かったような気がしてなりません。そして新たな日常の始まる・・・その流れの方が“誰も知らない”という問題提議が出来たような気がします。
どちらにせよ、観る価値のある映画なのは間違いないですが、個人的にはこのような結末が良かったとは思えません。まぁ、好みの問題ですけどね。だって、本当にシラケちゃったんだよなぁ・・・・ボソ。
小さい頃、こんな謎々がありました。「目が3つ、手が1本、足が6本!さて、な〜んだ?」答えは丹下左膳が馬に乗ってるトコ!でした(苦笑)。というワケで、26本の作品を残して、若干28歳で中国戦線で病死した天才・山中貞雄の傑作『丹下左膳餘話・百萬両の壷』です。とにかく、観たこと無い人は観て下さい。なにせ70年前の作品ですから、映像も音声も状態が良くありませんが、間違いなく邦画の傑作です。竹を割ったようなコメディとでも言うのでしょうか(言わないよ!(笑))、この作品に流れているテンポの気持ち良さは絶品です。言い方を変えると「タバコ!」と言ったらライターと灰皿が一緒に出てくるような、「お茶が怖い」と言う前にお茶が出てくるような感じでしょうか(笑)。不思議なのは、今はこういうオーソドックスなコメディの邦画って作られないんですよねぇ・・・どうしてでしょうか?誰か教えて下さい!ところで、途中で流れてくる♪この子の七つのお祝い がレゲエのリズムだったような気がするンですが・・・さて、来週は16歳の原節子でも観てくるかぁ〜♪
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