suzu3neの雲収集家な日々

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2003年06月10日(火) 反応の表現。

感想をかけない。
だいぶ前の日記にも書いたことがあるんですが、私は感想文を書くのが大の苦手なんです。
ところが。
映画やドラマの感想は意外とかいてる。他に小説サイトさまで書きたいところあるのにもかかわらず。

ではなぜこの小心者が、前者はよく後者は苦手なのか。


ない頭を悩ませて出した結論。

相手の有無

ずばりそれにつきるんですね。


映画やドラマの製作者は、個人的に誰だとわかっていない。基本的に総合芸術だし、誰の責任とは問いがたい。対象が不鮮明になりやすい。
何よりも「自分以外の誰かも何か感想を書いているはず」という安心感があるんですね。「私一人が的外れな事を書いても許されるんじゃないかしら」というイメージ? 
だけど、個人が相手になるとそうはいかない。仮に相手がたくさんのファンレターをもらう人間だとしても、私はその相手がどんなペルソナなのか、知っていて感想をかいている。日記にせよ作品そのものにせよ、そのサイトのデザインにせよ……どこかしらその個人のセンスを感じてる。
でもドラマや映画は、仕事としてのコンセプトが先にたっていて、妥協やプロジェクトの方針を先に目にすることができてしまい、あくまで個人攻撃(援護)にはなりにくいんですね。
言い訳をさせていただければ、感想を述べる責任を負うのが嫌というか、自分が的はずれな事を言って相手をがっかりさせてしまうんじゃないかという不安があって。

それでも書いているときがある。
これはもう、レアとしかいいようがない。

掲示板やメールを書くのもびくびくする小心者が書いているというのは、もう、ただひたすら気分がよかったとしかいえない。
その日の体調、その日の出来事、その日にアップされた作品……すべてが私に「感想を書け」といわなきゃかけない。これは確か。
だからなかなか他人にメールをだせない。感想と一緒で、相手に何か不都合な事を何気なく書いてしまうんじゃないかと怯えてるところがある。それで返信が遅れたり。

私が筆不精なのにモノカキもどきなんぞしてるのは、相手が不鮮明だからなのかもしれない。相手を気にしなきゃかけない手紙というものと、相手を無視して展開して”も”よい小説というメディアの違いですな。


だから、感想を書いていなくても、悔しいほど好きなタイプの小説だったリ、シリーズだったりするものは、オンライン小説の中にもちゃんとある。

だけど、ただ、私が小心者だったりタイミングがわるかったりしてるだけ。

いや、本当だって。
ホント。


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