82 愛国心 |
さっき「たけしのテレビタックル」見ててさ、あの番組好きなんだけど、お題が「愛国心」についてだったんだ。 教育制度に愛国心に対する教育が盛り込まれるとか・・・。日本が好きか?と言われれば、俺は好きだよ。 ダメなところあげたら、そりゃきりがないだろうけど、理屈じゃないよね。自分が生まれた国を好きってことは。でも、それと愛国心とは別だと思う。愛国心ってのはつくられるものじゃないよね。つくられた愛国心なら、それは愛国心とはよべない。別の名前を考えなくちゃ。 愛国心について語る上で最近の大きな要素の一つに、日韓共催ワールドカップでの若者の熱狂がある。あの熱狂を愛国心と捉えるならば、やはりスポーツの観点からみた愛国心というものは大きいだろう。教育では難しい、自発的な国を愛する心が大きく促される。あのときの若者の心にどんな喜びがあったかといえば、友達や同じような年の仲間と、普段はできないような大きな喜びを共感できるということが喜びで、それがあそこまで大きくなっていったんだ。始まりはそこだろうね。あそこまで多くの人間があそこまで熱狂的なサッカーサポーターなわけじゃないし、始まりはサッカーうんぬんよりも、ただ楽しいものを求めて人々があつまったんだ。どんどん大きくなるにつれて、実際に日本が試合に勝って、決勝リーグに進めるとなると、もっとこの熱狂が続く、もっと楽しいイベントが続くことへの喜びがあったと思う。日本代表が勝つことの喜びにはそんなことも含まれているんだろうな。それを愛国心とよんでいいかな?俺は呼びたいと思う。同じ国の中で、同じ想いを抱いて、笑って、泣いて、それは同じ日本という国での出来事だから特別なんだってことはみんなわかってると思うんだ。よその国で同じようなイベントに参加するのとは違うよね。 今言ったようなことを愛国心と呼べるとするなら、政府が求めるような「愛国心に対する教育」でいう愛国心とは別のもんだよね。戦争のころのイメージでいう「お国のために~」というのとは別のものだと理解したうえでも、やはり違うと思う。愛国心を求めるのなら、国がよくならなきゃ。国がよくなるまえに愛国心を求めたって、そんなの歪んだものにしかならないよ。
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2003年08月11日(月)
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