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45 坂本龍馬という人物

どうしても伝えたい!この素晴らしい人物を!ということで坂本龍馬について。とにかく大好きなんだ。きっかけは母親が大好きで、俺の名前「拓馬」の「馬」はこの人からとられた。(なぜ龍馬にしなかったのかって?名前負けしたら困るから、だって。複雑な気持ち・・・)それを知ってからは妙に親近感が沸いて、いろいろ調べた。知れば知るほどかっこいい人だと思う。坂本龍馬がなんで歴史上の人物の中で人気があるかっていったら、それは若くして死んだから、っていうのが大きい。源義経にしても、織田信長にしても、最近で言えば尾崎豊なんかもそうだけど、偉業を成し、若くして亡くなった人っていうのは不思議な魅力がうまれる。年をとると醜い部分が見えてくるものだ。
坂本龍馬という人物について、みんなはどれくらい知っているだろうか?歴史の教科書では薩長同盟を結んだ人物として取り上げられ、それだけだ。写真だってでてきやしない。
坂本龍馬は、土佐藩(今でいう高知県)に生まれた商人の息子だった。幼いころは泣き虫で、勉強も剣道もまるでだめな子だったらしい。当時の土佐藩というのは、全国でも特に貧富の差が激しい藩だった。そんな中で郷士という低い身分に生まれついた彼は虐げられて育ったんだ。青年になった龍馬は剣道の腕前がすごかった。江戸に修行に行き、江戸の大会で優勝したこともある。北辰一刀流という流儀の達人だったんだ。
龍馬が19歳の時に、日本にペリーが来航する。これによって日本の情勢は一変するんだ。龍馬もペリー来航による時代の波に飲み込まれた一人だった。28歳で彼は脱藩をする。脱藩とは、今でいう脱サラみたいなもんかな?その上家族にまで被害が及ぶ大罪をおかしたことになる。そこからのわずか5年あまりの間に龍馬はすさまじい活躍をみせる。
そこからの龍馬はすごい。まず勝海舟の弟子になる。そして勝海舟の縁で神戸海軍塾の塾頭となる。海に興味を抱いていた龍馬は神戸海軍塾での知識を元に、日本で始めての株式会社をひらくんだ。社名は「亀山社中」。武士が商売をするなんて、当時では異例のことだった。その後、龍馬は黒船を手に入れてしまう。これも当時で言えばありえない話だった。さかのぼること10年前には、日本はわずか4隻の黒船に何もできなかったのに、10年後、一介の浪人にすぎない龍馬が1隻の黒船を手に入れてしまうんだから。その黒船を手に、彼はさらに大きく事業を展開する。そしてやはりなんと言っても薩長同盟だろう。そしてそこから大政奉還へと。彼が成し遂げたこれらの革命的な出来事はなくして、今の日本はありえなかった。そして34歳の誕生日に彼は暗殺されてしまう・・・。なんて劇的な人生なんだろう・・・。かなりはしょったから、またいずれ語りたいな。
2003年06月18日(水)

VOICE / マッキー

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