気ままな日記
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中学生の頃、宿題を忘れただの、言いつけを守らなかっただの騒がしかっただの、なにかにつけ、 「デコピンな」と言って、生徒のおでこを勢いよくはじく先生がいた。 大学を出たばかりで、ばりばり張り切ってます、といった感じの男性教師。当時はまだ、今ほど教師の威厳が地に落ちてはいなかったが、そうかと言って、人格的に優れた先生が多かったというわけではない。 比較的教育熱心な家庭の多い地域のこと、うるさい保護者もいたであろう。 家庭訪問にやってきた彼の話し方といったら、滑稽そのものだった。吹き抜けになった2階の廊下から玄関を見下ろすと、わたしの母親と話す彼は、大きなからだを前かがみにさせ、両手を落ちつかなく体の前で擦りあわせ、しきりに動かしている。そして、「でございます」などという語尾の連発である。 揉み手をしながら話す人、というのをわたしはそのとき初めて見た。 その彼の、教室でのおはこが、デコピンなのである。思い切り平手打ちなどしようものなら、保護者及び教育委員会などから苦情やお叱りが舞い込むであろうが、ちょっと指の先ではじきました、というのなら、表向き大層なことに見えないだろう。あらかじめ、罰として決めてあったというのなら、ついカッとして手をあげてしまいました、ということにもならない。 いかにも彼らしいやり方ではないか。 わたしも一度このデコピンをくらったことがあるが、なかなかどうしてその痛みは相当なものである。それに比べ、はじいた側の指の先の爪の痛みなどさほどではなかろう。 撲ったりけったりしたわけではないが、それと同じ苦痛を生徒に与えておきながら、自らはさほどの痛みも感じずに、言い逃れの道筋だけはしっかりと考えていたというのが、今更ながら、とても腹立たしく思われる。 わたしも含め、そのことについて、誰も彼に反旗を翻そうなどと思いも及ばなかったのが、とても残念である。
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