エンドトキシン |
例えば 『私』は『未だ』『私』で『在る』か という質問に 私は明確に答えを用意できない
走馬真人において 「モジカキである」=「走馬真人である」 としたならば 「文字を書き続けている」ことを「モジカキ」とするなら否 「モジカキと思っている」ことを「モジカキ」とするなら是 その程度の認識しか、ないんだ、もう。
走馬真人は走馬真人で在りたかった。 走馬真人は走馬真人で在り続けるべきだ。 走馬真人は 走馬真人は
何度 忘れないように繰り返したか分からない。
「此れ」は 走馬真人が 私が 初めて自分で選んだ唯一の物だって。
「『やっさん』と『走馬真人』は共生出来ないの?」 そう聞かれたことがある。 「『やっさん』も『走馬真人』も同じですよ」 そう言われたことがある。 これに 違うんだと答えることは 思い込みなんだろうか。
境界が分からなくなって ぐちゃぐちゃに溶けて よく分からないものになってしまった。 と、思う。
見ないようにしていた箱を一つ開けたら 見ないようにしたい箱が一つ増えた。 それは透明で中身が見えて まるでプラスチック製なのだけれども それを、認めてしまったら 多分、本格的に 私は私でいられなくなるんだろう、と思う。
日々 色んなものを理由にして 色んなことを先延ばしにして そうしてまで
生きる意味なんて無いって知っている。
今と昔 どちらが意味が価値があったかと問われれば 昔と答えれる自信がある
痛かったし苦しかった けど 昔の私は戦い抜いていた筈なんだ 少なくとも今よりは 筋は通っていた、筈、なんだ
将来役に立つかもだなんて そんな訳のわからない仮定に 毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日 時間を割かれるのが嫌なんだろうけど それを誰かは我儘だと言って それを誰かは誇りだと言う その曖昧さに 闘う気力はもうないんだ
二年通ったんだから 折角受かったんだから 国立大でしょ
煩ェよ。
本当に不透明で不愉快で不確かな膜の中で呼吸する内に 酷く汚い価値のない生き物になってしまった 私は その内に 『走馬真人』を名乗れなくなるのだろう
例えば 「こんなのやりたいことじゃない」 という叫びを 大多数は「我儘」だと名前をつけるんだろう 我儘、なのかな 良く分からないんだ もう。
本当の私なんていないんだって。 そうかもしれないね。 嫌だなぁ 預言が段々事実になるよ
消えたい 逃げたい それすらきっと 大多数には「我儘」だ
多を捨てるか 我を棄てるか それを決めれなければ きっとこのままなんだ
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2009年01月16日(金)
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