本音と建前と理想と現実と - 2002年08月08日(木) たぁちゃんとはね 幼稚園のとき同じさくらぐみさんで小学校では一緒に児童会の役員をしてたんだ サッカーが得意でさ あんまりたくさん喋らないんだけどよく笑う人気者で誰からも好かれてたよ 帰り道が同じ方向でよく一緒に帰ってたんだけどあたしは当時は同じ副会長だった三浦くんのが仲良だったから児童会を辞めちゃった後のたあちゃんとはクラスもお隣さんであんまり遊んだりしなくなったんだ 中学校は複数の小学校から進学してくるからね 人数は一気に5倍くらいになったんじゃないかな 田舎で育ったあたしたちはは町の子達に冷やかされて男の子と話さなくなっちゃったし 何人かの友達はサッカー推薦や中学受験で私学へ行ったから 本当に中学生になった途端仲良しはばらばらになっちゃった あたしは というと 大好きだった三浦くんが他の中学へ行ってしまったことがショックなのと 新しい同級生たちと過ごすのが楽しくて それで毎日が過ぎてたよ そんな中 いつの間にか 本当に いつの間にか たぁちゃんは いなくなった 中学生になる春休み たあちゃんが溝におっこちて頭をぶつけたと風の噂には聞いていたけれど 大きな事故として話題にならなかったのは家族が隠したからだろうし 私立に進学する事を良しとしない 保守的な田舎の小学校の校風が 誰が他所の学校へ行ったかをわかりづらいものにしていたこともある 今にして思えば 彼が日常生活に復帰するのには 長い 多分 あたしたちが感じる時間の長さより ずっと ずっと 長い長い時間の流れを家族の人たちはたゆたっていたのだろう 今でも 何かを 思い出すのか あたしたちには見えないものが見えるのか 些細なきっかけで酷い癲癇を起こすという彼は いくつかの仕事を転々とした おうちは会社をやってる大きなお家なので 経済的に困る事も無く 今は自宅でいてる 古いしきたりや言い伝えに囲まれた田舎の山村では 障害のある子供ができるのははその家の災や家人の前世に何かあったからだと実しやかに囁かれる そんな旧村の由緒正しい旧家であるたぁちゃん家は 本家の跡取息子である彼を社会から抹消した いや せざるを得なかった 彼の母親がどれだけ責められたかは想像に難くない ね 町を歩いていてね どのくらいの頻度で車椅子みかける? 杖をついた老人は? 盲導犬をつれた人は? 手話で会話してる人たちは? そんな人たちに会った時ってどうやって接する? 手伝った方が良いのかな でも恥ずかしいな どうやって声かけたら良いのかなって 結局目を合わせないで素通りしちゃわない? 見極めるのになれてないあたしたちは いらないときに手を貸して できることは自分でしますから と言われたり いるときに上手く手が出せず 自己嫌悪に陥ったりしているんじゃないかな そう ただ 慣れてないだけなんだよ 先天的 後天的 問わず 障害を負ったものが 社会でやっていくのは この 日ノ本 と書く国では ちょっと大変 例えば映画 主人公が身障者の役をするのに本物の身障者を使うことはまずない あたしが記憶する限りではVシネマはさておき ロードショーでは 「のりこは今」くらいのものだ 身障を一つのその人の個性として認めることは難しい 例えば職場 あなたの会社が補助金を得るために一定枠で身障者を採用したとしよう 同僚であるあなたはかなりのフォローをしなくてはいけないかもしれない その結果 あなたにストレスがかかり過労に陥り 果ては 同僚でなければ プチボランティアくらいはできるであろう優しい気持ちは荒んでしまう 本音と建前と理想と現実とのはざまで 綺麗事はさておき 弁えた上で何ができるか 赤ちゃんをみれば自然とあやしたくなるように 困っている人がいれば自然と手が出るような 力まずに 肩肘張らずに あまりにさりげなくて 誰も気づかないように -
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