2004年11月12日(金) |
Roots「順不同で振り返る音記憶達」その10 |
幸せを数えたら片手にさえ余る 不幸せ数えたら両手でも足りない
いくら心が綺麗でも 醜いアヒルの子では嫌だと 泣いた夜さえいつの日か 笑い話になるものさ
SACHIKO 思い通りに SACHIKO 生きてごらん それが悲しい恋でもいい 笑い方も忘れた時は 思い出すまでそばにいるよ
SACHIKO 思い通りに SACHIKO 生きてごらん そして心が傷ついたなら 泣きながら帰っておいで 僕はお前のそばにいるよ
※ばんばひろふみ「SACHIKO」
忘れもしない中学の修学旅行
「すんち!なんか歌えや!」 ※小・中・高のあだ名は「すんち」
九州へ向かうバスの中 みんなにけしかけられてこの歌を歌った カラオケがなくアカペラだったと思う
歌い終わった後 みんなに「お〜!」とかおだてられて 恥ずかしかったが嬉しかったような…
しかし極度の緊張で熱を出し 宿泊先の旅館に着く頃には しんどくなってゴハンがちゃんと食べられなかった (今では考えられへんね:笑)
この頃のスミトは 自分で言うのもなんだが天使のような声だった(笑) 変声期もまだ迎えていなかったと思う 低い方はてんで出なかったが高い声は苦もなく出せた
当時のニューミュージックシンガーは 概して高い声で歌う人が多く 僕の好みも男声は高域系だった
79年に流行ったらしいこの歌も きっと「ザ・ベストテン」で覚えた
ばんばひろふみさん(以下敬称略)が バンバンだったこともその時初めて知る
いつか君と行った 映画がまた来る 授業を抜け出して 二人で出かけた
悲しい場面では 涙ぐんでた 素直な横顔が 今も恋しい
雨に破れかけた 街角のポスターに 過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる
君も見るだろうか 「いちご白書」を 二人だけのメモリー どこかでもう一度
※バンバン「いちご白書をもう一度」
SACHIKOを知って ばんばひろふみを知って やっと結びついただけで
好きだったこの歌を どこでどう僕が知って覚えたのか 今まったく思い出せない
調べてみると僕はまだ当時10歳(1975年) おそらくニューミュージックを聞き始めた中学校の頃に さかのぼって憶えたに違いない
こういう流れで知ったシンガーが 僕の場合かなり多いので ちゃんとリアルタイムで知ってきた人達からは 「モグリ」と突っ込まれることもしばしばだ(笑)
例えばイルカさんなんかも流行った当時は全然知らない なのに名曲「マイスタージンガー:吟遊詩人」なんかは 今でも一通りギター鳴らしながら歌えたりする
これはニューミュージックに限ったことじゃなく 高校時代にハマったハードロック&ヘビーメタルでも 同じように「モグリ」をさらけ出している
ブラックサバス DIO アイアンメイデン ACDC オジーオズボーン このあたりは僕の中ですっぽりとヌケていて 「なんで知らんねん?」と呆れられたりする
なんでも聴いてきたつもりだったが 実はなんにも聴いてきてへんのちゃうか?
振り返ってみると そんな気持ちになったりもして 自分の「浅さ」にちょっとばかし凹む
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