ひびき(日々記)
「夢を叶えて 夢になりたい」

2004年08月06日(金) Roots「順不同で振り返る音記憶達」その7

光を浴びれない 苦しい時も
傷つき迷っても すべては蒼い蜃気楼

さあ今 すべて脱ぎ捨て 生まれたままの姿で
さあ今 光を浴びて 目覚めたままの気持ちで

旅立て

※蜃気楼より
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もう20年近く昔
京都の河原町三条に
「AKARI」というレンタルスタジオがあった

当時ハードロックバンド「ICARUS」のボーカルだった僕は
週に2,3回そのスタジオでリハーサルをしていた

スタジオ「AKARI」は
京都ハードロックバンドの御用達みたいなところで
数々のバンドがリハーサルに使っていた

その中で突出して際立ったバンドがあった

「関西インディーズシーンで一番客を呼ぶハードロックバンド」
「関西ハードロックシーン最後の切り札」

プレゼンスは
そんな形容をされながら
耽々とデビューのタイミングを計りつつ
僕らと同じ「AKARI」でリハーサルをしていた

知らない人はいないだろう
「JUDY&MARY」で活躍した名ベーシスト
恩田快人氏はこのプレゼンスでメジャーデビューし
その後JACKS’N’JOKER を経て
JUDY&MARYで一躍名を馳せたのだ

プレゼンスのリハーサルが終わったら
入れ替えに僕らのリハーサルというパターンが多く
プレゼンスのメンバーとは時折会話もあった
当時は雲の上みたいな人達だったがとても気さくで
しかし音楽に対しては真っ向勝負な人達だった

プレゼンスの勢いと熱気の残るスタジオが
僕らの明日につながっていると信じていたと思う

京都の老舗ライブハウス「磔々:たくたく」に
プレゼンスを何度か見に行った

いつ行っても客席は満員電車のようだった
ステージが始まる前からオーディエンスは盛り上がり
楽屋の階段からメンバーが降りてくるだけで
圧倒されるほどのエネルギーが「磔々」を満たした

プレゼンスのロックンロールはまさにエンターテイメントだった
ライブは「技術発表会」ではないけれど「技術」は要る
そしていわゆる「ノリ」やグルーブ感は不可欠だ(と僕は思う)
それらが絶妙にブレンドされていた「魅せるステージ」

リミッターはない
毎度ブッ倒れる勢いでプレゼンスは駆け抜ける
お客はそれに負けじと弾け飛ぶ

そして「蜃気楼」
このバラードはいつも空気が止まる感じがした
一緒になって歌っていたオーディエンスは静まり
ボーカルの西川茂氏の声だけが響く

初めて見た時に僕は口元微笑みながら
「…すごいな」と自然につぶやいたのを今も覚えている

メジャーデビュー後のプレゼンスは
ハードロックブーム終焉期の波に翻弄された

個人的に思う

「遅かった」

デビューのタイミングについては色々な「噂」もあった
僕らの間では有名な話だが敢えて書く必要もない

僕の所持するメジャーで出された1st 2nd 3rd アルバムには
彼らが求めたとは個人的に思いたくない「迷い」も入っている気がする

何度か行ったライブで「ゲリラ録音」した
デビュー前のプレゼンスのテープが今も手元に残っている

「Yeah!今夜もオマエ達をイカしたロックンロールショーに招待するぜ!」
そう叫んで始まる最高の舞台が
オーディエンスのエネルギーと共に刻まれている
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オマケ話(オバケ話?:笑)

先述のスタジオ「AKARI」

「出た」のだ

スタジオには誰もいないはずなのに
ドラムのバスドラが突然「ダムッ!」と鳴ったり

スタジオ奥のトイレに入っていると
トイレの戸の向こう(即ち無人のスタジオ内)で
「話声」が聞こえたり

僕らも経験していたし
他の練習していたバンドの面子も知っていたと思う
スタジオのおっちゃんはモチロン承知だったハズ(笑)

だからといって悪さされたわけでもなく
みんなあんまり怖がらんと使ってたな〜

※タイムリーやろ?(^_^)


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