ひびき(日々記)
「夢を叶えて 夢になりたい」

2004年07月16日(金) Roots「順不同で振り返る音記憶達」その6

今はなくなってしまった十字屋・出町柳店

ハードロックにやられた僕はエレキギターが欲しくなった
学校が終わると一目散にそこへ向かっては
友達と一緒にエレキギターを食い入るように見て過ごした

おいそれとギターが買えるわけでもなく
「ひやかし」でしかなかった僕らのチャチな質問に
嫌な顔ひとつせず答えてくれた店員さんがいた

宅間 顕という人だった

1981年の初めだったと思う
バイトで貯めた8万円を握りしめてお店に向かった
電車に揺られながら頭はあるギターの事でいっぱいだった

宅間さんを見つけるなり僕は言った
「マイケルシェンカーモデル買いに来た!」
それを聞くなり宅間さんは言った
「オマエ…(苦笑)ちょっと待っとけ」
そこから宅間さんの長〜い「説得」が始まった

「オマエな、あれはちょっとやめとけ」
僕「なんで?」
「考えてみぃ、あのギター年取っても弾けるけ?」
僕「言うたかてカッコええんやもん!」
「ええか、ギターはな、カッコええだけで買うもんちゃうんや」
僕「???」

とにかく長〜い説得の末
宅間さんは一台のギターを持ってきた

僕「え〜…イヤや、こんなオッサンくさいヤツ!」
「何言うてんねん!ジャーニーのニールショーンも使てんねんぞ」
僕「ジャーニー…」
「悪いこと言わん、コレ買うとけ。ワシも持ってるんや、ええギターやぞ」

国産メーカーアリアが作った名器PEシリーズ
このモデルが僕の最初のエレキギターになり
現在も現役で手放すことなく僕の家にいる

出町柳店が閉店して宅間さんが三条店に移ってからも
こんな大人と子供のような関係は幸運にも続き
それは同時に宅間さんがギタリストを務めていた
ファンクバンドITACHI!との出会いにつながった

当時京都のITACHI!といえば
それこそとんでもなく有名なバンドだった
初めてBIG BANG(現VOX HALL)へ見に行った時も
300やそこらは収容できる客席の階段にまで
お客さんがあふれかえっていた

ITACHI!の舞台はとにかく心底楽しかった

演奏していることを忘れてしまうくらい
楽器が体の一部になっていて
ITACHI!が楽しめば楽しむほど
お客さんの楽しみが数倍になっていく

「演ってるもんが楽しまな音楽ちゃうんや」

ITACHI!の舞台を何度も見るうちに
僕は勝手にそんなことを学んでいったと思う

やがてITACHI!は東京へ行き
TOPSと名を変えてメジャーデビュー
ITACHI!と宅間さんは僕が追いかける「星」になった

僕がTOPSではなく
あくまで「ITACHI!として聞くことの出来たアルバム」は
今も僕のレコードライブラリーに大切にしまってある

それから数年の後
「宅間さん、京都帰ってきたはるで」と風の噂が舞い込んだ

「京都のスタジオでプロデューサーしたはるらしいわ」

音楽だけで食べられないままに
社会とバンドを行き来してフラフラしていた僕は
会おうと思えば会えたのに会いに行かなかった

「知り合いなんやったら会いに行ったらええのに」
何人かのミュージシャンは何の気なしにそう言ったが
宅間さんは僕がこうして音楽を続けていることすら知らない

そんな自分が飛び込み同然に会いに行って
義理や見返り目当てと思われるのは絶対に嫌だった

「京都で音楽やってたら、ほっといてもいつか必ず会う」
そう思って暮らしていた

長い時間がかかったが僕と宅間さんは再び出会った

この再会は二人だけの運命ではなく
沢山の人達がいて下さったおかげで叶った
音楽を続けてきて本当に良かった

宅間さんは全然変わらない
「おぉ!スミト!オマエ元気やったんけ?」

その一言で
十数年のブランクは吹き飛んでいった
そしてこれから先もずっと続いていく

僕は宅間さんが心底「好き」なのだ

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華やいだ街の 片隅で
君は脅えたノラ猫 ずぶぬれで

蒼ざめた瞳と 白いシェイプの指先
背伸びして生きてきた 君は負けないように

夢を追いかけてきたはずなのに
何処に行けばいいのか 見えなくなってる

天国を見たかい
それとも地獄を見たのかい
あふれる涙の訳を
誰も知らない…

強く生きるなんて そう簡単じゃない
うまく行かない事の方が多くて 立ち尽くす

つまらない噂に やけにむきになって
悔しくて 悲しくて自分が イヤになる

うなだれて泣けばいいのさ
君の影を作る 光が見えるだろう

天国を見たかい
それとも地獄を見たのかい
あかつきに光る君は
もう大丈夫…

<重いコート脱ぎ捨てて、歩き始めるしかないのさ…>

天国を見たかい
それとも地獄を見たのかい
あふれる涙の訳を
誰も知らない…

これから何処に行こう
つまづいても転んでもいいのさ
光る河を渡り
君に(自分に)逢いに行こう…

※天国を見たかい(MAN-NyA-WAZボーカル三井さんのサイトより抜粋)
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宅間さんがプロデューサーのかたわら
現在ギタリストとしてやっているバンドMAN-NyA-WAZ

MAN-NyA-WAZを見る時の僕は
自分でも思うが手放しに楽しんでいる

この「天国を見たかい」は涙腺にくる
今まで僕以外にも泣いているお客さんを沢山見かけた

舞台に立つ宅間さんは
やっぱり全然変わらない

「演ってるもんが楽しまな音楽ちゃうんや」

京都にはこの思いを胸に刻んだ
「ITACHI!の子」がいっぱいいて
それぞれに自分のスタンスで音楽を続けている

自分が「子」であった幸運を
僕はいつまでも感じて生きていこうと思う


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