【三志塾】 塾長yoneの授業日記

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2002年01月14日(月) TVに映った一部の常識のない新成人を見て

成人式の模様がニュースなどで紹介されていたが、
今年もまた阿呆な新成人たちがいたようだ。
彼らは「身勝手な自由」だけしか教えてもらえずに育った、
「かわいそうな新成人」だと思う。

彼らがすべて悪いわけでなく、
「しつけ」をしっかりしてこなかった(できなかった)彼らの親が悪い、
「自由」しか彼らに与えなかった彼らと関わってきた大人たちが悪い、
と私は思う。

そういう「かわいそうな新成人」を見るにつけ、
ますます教育の大切さを痛感する。
特に小・中学時代の知育・徳育は非常に重要な意味があると思う。

知育においては、
将来社会人となり自立してものを考え、
社会のために役立つ仕事をするときの基礎となる知識や幅広いものの見方を
身につけるという意味で大切だし、

徳育においては、
「他人への思いやり」のために「自分が我慢すること」、
「社会に役立つ人間」になるために「自分が努力すること」、
そういうことを社会のミニチュア版である「学校」という場所で学び、
身につけていくという意味で大切。

しかし、今の大人は、そういう点において
子どもたちに対してちょっと無関心すぎるのではと感じてしまう。
いや、無関心というより、分かっているけどわざと避けている、
そういうほうが正しいかも知れない。

教員のサラリーマン化や犯罪の増加、
大人たちの努力しない姿やわがままな態度、
そういうものを目の当たりにしている子どもたちが、
果たして、自分が我慢し、努力するということを覚えるだろうか?
さらには、他人に迷惑が及ぶ自分勝手なふるまいをする子どもたちを
見て見ぬふりする大人の何と多いことか!

大人と子ども(教師と生徒)が一体となり、
同じ目標に向かって努力する過程において、
「生きている人間同士のぶつかり合い」というのがないと
本当の教育じゃないような気がする。

だから私は、生徒が努力した時には大いにほめるし、
逆に、努力せずにあきらめたり怠けたりした時や、
“自由”をはき違えた言動をした時には、思いっきり叱る。
そうやって、生徒に自分の思いをそのままぶつける。

生徒はそこで、
「この先生、ちゃんとほめてくれた!」とか、
「何でこの先生、こんなに怒ってるんやろ?」と考える。

そういうことを体験していく中で生徒は、
「この人は自分のことをちゃんと見てくれてる」と分かる。


いま大人が子どもたちに、
「我慢すること」や「努力すること」の大切さをしっかり教えないと、
「自分勝手な自由」を真の自由だと勘違いする、
かわいそうな人間ばかりが増えていくような気がする。

長引く不況で大人たちも自分の事で精いっぱいなのかも知れないけれど、
将来の日本を背負って立つ優秀な(←頭も心も)人材の育成に
もっと関心を持って積極的になってほしい。


過去の今日・・・
1999年01月14日(木) 中3も中1もがんばって!



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