彼女と私では、流れている時間が違う、と時々思う。
昔は、とてもよくお話をする関係にあったけれど、 最近は、あんまり話していない人がいます。
それでよかったのかもしれない。 よくなかったのかもしれない。
話さなくなって良かったと思うこと。
期待をしていた訳ではないのですが、 彼女に何かを相談したりすると、出来る限りのことはする。と言われる。
ありがたいコトバです。 落ち込んだ時などに社交辞令でも言ってもらえれば、やはり嬉しくなるし、 実際に頼ることはないとしても、どこかで安心するものだと思う。 だからこそ、社交辞令があるのだろうし。
だけど、もちろん。それは社交辞令なのですよ。 だから、その後、彼女からの何の動きもありはしない。
でも、社交辞令のつもりはない。とも言われる。 きっと、それも社交辞令なのでしょう。
また、出来ることしか言わない。とも言われる。 じゃぁ、社交辞令で言った「出来る限りのこと」とは何ぞや?
よくわかりません。
よくわかりませんが、期せずして話を聞いてもらった時は、 話を聞いてもらうチャンスをもらえたことに感謝をして、 その後のコトバは気にしていません。
私にとってこの状況は、さびしい限りですが、 友達というのは双方で認識していないと友達とは言えない気がするのです。
彼女の中では、私は友達ではないのですから、 特別に話なんてしなくてもいい関係になったのでしょう。
そういうことがわかって、 余計な期待をしてしまい、 勝手にガッカリするということがなくなって良かった、と思う。
話さなくなって悪かったと思うこと。
時々しか話をしないので、コトバが通じなくなります(笑)
なんていうんでしょう・・・ お母さんって、自分の子どもと秘密の会話が出来ますよね?(笑)
子どもがごにゃごにゃ話している言葉をお母さんは察知することができます。 それは、普段から会話をしているからだし、 何の話をしているのか察することができるから。
そういうように、普段から話している仲間というのは、 会話の中に共通語のようなものが存在していきます。
あんまり会話をしなくなると、その「共通語」がなくなってしまうので、 コトバが通じなくなってしまうんです。 例え話もわからなくなってしまうので困りものです。
でも、それもいいんです。 友達じゃないんだから会話が続かなくったって。
気まずいとか悪いなあとか思うのは、私だけかもしれないし。 その気になれば、会話なんて、いくらでも続けられると思うんだけれども、 相手にもその気になってもらわないとね。
自分が友達だと思っていた人が、 自分のことを友達だとは思っていなかったと判った時、 あなたはどう思いますか?
私は、上記のように諦めることしかないのかなー。って思います。
だって、何年も話をしてきたり、一緒に遊んだりしていたことがすべて、 「社交辞令」という言葉で片付いてしまうのですから。
裏切られた・・・という気持ちを持ってしまう自分は、 依存していたということなのか、彼女の事が好きだったからなのか、 もう、今はよくわからない・・・・・・・
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