兎に角日記
三日に一度は兎に角と書いてしまう。

2004年07月06日(火) すげぇショックな事がありまして。

毎度毎年のことですが、ツールの季節がやってまいりました。(もう、SPORTS専門チャンネルや、スカパーなどではやってます。今年はフジでの放送は一話すら無い? らしいので、ものすごいもどかしさをを感じてます)
私の大好きな、パンターニ選手は、チームともども今回は出場しないという事が決定し(しばらくは、もしかしたら出場できるかもしれない、という話でドキドキだったんですが)で、あーあ、つまんねーな、なんて去年11月だったか12月だったかにぽつりとつぶやき、それっきりになっておりましたが。

大変、大変、悲しい事に。






パンターニ選手、お亡くなりになられました。
享年34歳でした。




知った瞬間、叫びたくなった。







ジロ・デ・イタリアなどの大会は、ローカルテレビなどでは全く放映されていなかったので、私が動いている彼を見ることのできるのは、フジTVでのツール・ド・フランス放映年三回のみ。
それでも、今年こそ、今年こそ。もう一度パンターニのマイヨ・ジョーヌをと思いながら毎年毎年ビデオに撮ってきたのに。
今年は……。
というかこれからはもう、見られないんだ。

そうか、もう見られないんだ。


私がツールを見始めてから、一度だけ優勝して、その後は薬物疑惑(ドーピング)だとか、その疑惑を晴らすためにボイコットだとか。煮え切らないレースが多くて、腹にむかむかしたものが残るものばかり。
もう年も年だし、アームストロングなんてヤツが出てきちゃったし、でも、参加しているところが見られるだけでも良い、ホントは黄色いジャージの良く似合う彼を見たかった。黄色いバンダナでおそろいにしてるのが見たかった。けど、優勝じゃなくても、それでもツールに参加してる所だけでも見たいと思っていたのに。


しかも。
彼が亡くなったのは、今年の2月15日だったそうです。




もっと早く知れよ自分。
おいてけぼりにされた気分がするけれど、それは自業自得なんだけど。
ブラウン管の中の人だからといって、有名人だからといって、若いからといって、死なないわけじゃあないんだね。

いや……ホントはね、ホントはさ。
どっかでそれっぽい記事を見かけては、いたのさ。

でもね、新聞の比喩とかかと、思って、見ないふりをしたのさ。
「パンターニ死す! 今年のツール絶望!」とかさ。大げさに書いてあるのかと思ったのさ。
そー思いたかったよね。そうだったら良かったよね。



居てもたっても居られないほど落ち込んでしまい、ツールのビデオにその姿を見ようと思って戸棚を探したら、出てきたのは1999年のビデオだけだった。(あとは実家に置いてある模様)

1999年? どんなレースだったっけか?
見始めたら、アハハ。例の薬物疑惑の翌年で、パンターニ出てないや!
しかも大きな落車が二度あって、あんまり(自分的には)面白くなかった年だわ。
どーりで埃を被っていた筈だ。

この年から、ツールではランス・アームストロングが5連勝。
今年勝てば、インデュラインの記録とタイになってしまう。
なってしまう。つーのは、アームストロング嫌いなの。
パンターニを負かした、ヤン・ウルリッヒを更に負かした人だから。逆恨みってやつね。
ランスはとってもとっても強くて、もう、F1で言うならシューマッハみたいに、無敵って感じのする人なのよ。もう、意地張ってないで彼を応援したほうがいいんじゃないかというほどに強いのよ。でも嫌なのよ。強いやつより弱い人を応援したいのよ。
だからこそ、パンターニには、ランスにたった一つのステージでもいいから、古参の実力で一泡吹かせてほしかったのよ。
そーゆーシーンを期待していたのよ。

うっ、うっ、うっ……。


1999年のビデオを見ながら、あまりのまったりさ加減についウトウトしてしまったが(それはいつもの事であって)、ふと「生きていると思っていた遠い知人からの消息が、その亡くなったずいぶん後に届いてくるってのはこういう気分なのか。やりきれねぇなぁ」とか、「死ぬってどういう事なんだろう。この世から消えても、記憶からは消えないけれど、もう二度と会えはしないし、新しい記憶も増えていかないという事?」とか、「あまりに遠い所で亡くなってしまうと、夢のように思えるなぁ。ウソにしてくれないかな」とか「いや、でも事実」とか、そーゆー事を考えていたら、寝ても居られなくなってしまった。
いつかフランスにツールを見に行けるようになっても、パンターニは絶対に走ってはこないのだ……。
やべぇ。書いていて泣きそうだ。泣きそうだ。



チクショー。もう誰でもいい。アームストロング連勝を止めた選手のファンに私はなってやる。
公平じゃなくても邪な理由でもいい。ごっつぁん優勝でもまぁ許す。



……なんてさ。ふざけてみたりするけどさ。
一番最初に好きになった選手への思い入れはやはり深い。
ほんとに深いんだよぅ。
彼のために翻訳サイトで一生懸命記事を読んだりしてた時期もあったのさ。
イタリア語から日本語は難しいから、イタリア語→英語→日本語にしてみたりとかさ。
ワタシ、アホなので、記事の内容を上手く推測できなかったりもしたけれど。
薬物疑惑から早く立ち直ってほしいなあとか。
実際それは、ヤってたかもしんない。でも、それは。
「それでもいい。ただ、それなら尚走ってほしい」
という、1998年当時を振り返った、そのときのキモチを熱く語った日記があったはずだが、いつの頃書いたのかなんと言う題で書いたのか分からなくなってしまった。(探した)

でもね。
今回の亡くなってしまった後の記事を読んだら、そんなキモチは吹っ飛んだよ。
この人は、ヤってない。絶対薬物なんてやってないよぅ!!

読んでくれよぅ。悲しいキモチになったよぅ。
パンターニ追悼記事 by CyclingWeb.jp
そんなにつらかったら、日本にきたら良かったス。ツールなんて無名だから、ゆっくり暮らせたザンス。

そしてものすごく格好いいが、いまは悲しい、追悼フォトギャラリー永久保存だ。
あとは、追悼メッセージ集とか、そん時のファンの嘆きとか。WEB検索してみると見つかると思うので、どぞ、見てください。
ワタシもこれから探してつらつら見ます……。そして保存しておきます。



スキな選手が亡くなった事に4ヶ月も気づかなかったホンットにホンットに、大馬鹿野郎のタワ言なので、本物のツールファンの方、パンターニファンの方、アームストロングファンの方、怒らないで下さい。
ワタシはちょっと今、ちょっとだけカナシイだけなのです。大げさなほどに。


う〜……。今は、さっきまで見てたレースで、チッポリーニが今より少し若く元気で、相変わらず驚くほどホリが深くて、眉間の高さのおかげで目に半分はかかる影ができてることなんか発見したりしてた事がなんか、救いな感じがしている次第。


ちなみに、マルコ・パンターニさんの公式サイトは、健在です。
トップページの文章、今まで何気なく読んでたけど、管理人さんが選んだ、パンターニの言葉なのかなと思って読み返すと、涙が出てくる。



いつか、高い自転車を買えるような身分になったら、ワタシはきっと、ビアンキのベビーグリーン(私はグリーンに近いと思うけど、ブルー?)の車体のヤツを、絶対に買う。
そして今日からツールが終わるまでは、パンターニの写真をデスクトップの前に貼ります。そんで実家からパンターニがツール優勝した時の雑誌持ってきてためすがえすします。そんで、多分泣く。それで自分なりの追悼という事で。

では、また明日。


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